夢の中の花嫁

しろもじ

第1話 あなたの隣に

 ステンドグラスを通して入ってくる光が、まるで私たちを祝福しているかのように優しく周囲を照らし出している。司祭の問いかけに「はい、誓います」と、小さいながらもしっかりした声で答える彼女の横顔をそっと確認した。


 キラキラと光るヴェールに包まれた小さな顔。真っ直ぐに前を見据える整った瞳に、思わず吸い込まれそうになる。震える手を必死に押さえつけながら司祭から指輪を受け取ると、透き通るように白い彼女の手を取り、指輪を細い指へあてがう。けど、手の震えは止まらず上手く奥へと入っていかない。


「大丈夫、ゆっくりでいいよ」


 彼女がそっと囁くのが聞こえ、私はその声に救われた気がした。身体を縛っている何かがスッと消えた気がして、私は心の中で彼女に礼を言う。今度は彼女がリングピローに置かれた指輪を手に取る。私の手を取る彼女の指は、少し冷たくてでも絹のようになめらか。その感触に心臓が再びドクンと鼓動するのを感じた。


 司祭に促され、私はヴェールに手をかける。重さを感じさせない白いヴェールは、彼女の美しさを引き立たせるものではない。むしろ、彼女の美しさを周囲に拡散させない遮蔽物であるかのように感じる。そっとヴェールを持ち上げた。彼女の顔があらわになる。


 ほら、思ってたとおりだ。やっぱり彼女は美しい。彼女に惹かれたのは外見の美しさだけではないし、私の彼女に対する思いがより一層そう感じさせているのは分かっている。それを差し引いても、彼女が美しいということに変わりはない。


 目を瞑っている彼女の唇にゆっくり顔を近づける。ダメだ、息が出来ない。苦しい。死にそう。それを押し殺しながら、何とか私の唇が彼女のそれに合さろうとした瞬間――。


「――きなさい」


 声が聞こえてきた。ん、何だろう……。声は段々大きくなっていく。ちょっと待って、今はそれどころでは……。


「起きなさい!」


 声の主が母親だと気づいて、そこで私は夢から覚めた。


「朝海、起きないと遅刻するわよ」





 ふぁぁぁぁあ、と大きなあくび。学校へ向かう通学路。幸いなことに周囲には誰もいない。だから、こんな無防備なあくびもできる。


 なぜそうなったのかはよく分からないけど、学校での私は「何でもできて、クールで知的な優等生」という扱いになっているらしい。確かに勉強は頑張ってるから、そこを褒められるのは純粋に嬉しい。


 でもスポーツやその他のことは、ただ単に身体的な能力値が平均よりも高かった、というだけのことだ。周囲からそういう目で見られるのは高校に入ってからというわけではなく、思えば小学生のころからそういう感じだったのかもしれない。


 周囲の期待に答えないといけない。


 強迫観念のようにのしかかるプレッシャーに、私はずっとさらされてきた。自分で言うと自慢に聞こえるかもしれないけど、特別に努力を重ねてきたわけではない。「たまたま上手くいった」「人よりもちょっとだけ結果がよかった」そんな感じだ。


 そういうのが積み重なっていくうちに「田辺朝海たなべあさみ」という名前のブランド価値は、本人の能力以上に認知されるようになってしまった。ひとつのことに長けていると、他のことでも同じくらい素晴らしいと思われてしまうことは往々にしてある。


 スポーツや勉強が得意なことと、性格が素晴らしいということに相関関係はない。だけど人はそういうことを期待する。だから、私はそういう期待にも答えなければならなかった。そうしている内に、本当の自分がどういう人間で、何が好きで何が嫌いなのか、何がしたくて何がしたくないのか、というのが分からなくなっていってた。


 空気を読んでそれに全力で答える。彼、彼女たちが望むように田辺朝海は創られていった。そして、それは私と周囲との距離を徐々に広げていくこととなった。別に虐められたわけじゃないし、私が周囲を拒絶したわけでもない。


 ただ単に、私が周囲に積極的に関与しなくなったというだけだ。接点が増えれば増えるほど、皆の期待に答えなければならなくなる。それは時間と共に多様性を増し、次第に私の許容範囲を超えてしまうと感じた。


 だから、私は周囲との距離を取ることにした。結果として「すごい人だけど、ちょっと近づきにくいよね」という評価が私に下されることとなった。別にそれに失望しているわけではない。むしろありがたいことだとさえ思っていた。


 そんな私を変えたのが、同級生の森本結月もりもとゆずきだった。彼女と私の関係。今は「親友以上、恋人未満」ということになっている。そこはやや不満を覚えるところだけど、まぁ相手のあってのことだからね。


 お昼休み。いつものように結月を迎えに彼女の教室へと向かう。ドアを開け彼女の姿を見つけて声をかけようとしたとき。彼女と楽しそうに話している男子生徒の姿を目撃してしまう。あいつは確か……そう、浅倉総司あさくらそうじ。ルックスと温和な性格から、女子の中でも人気の高い生徒だ。


 別に私は結月が他の生徒と仲良くしているのを否定はしない。そこまで束縛したくはない……ことはないけれど、結月に嫌われてしまうのが怖くて、表向きはそういう言動は取らないことにしている。


 でもそのときの私は、何故か心がチクッと痛むのを感じた。


「あ、ごめんごめん」


 私に気づいた結月が近づいてくる。


 「今の誰?」知ってるけど敢えて聞いてみる。


「あれ、知らない? 浅倉くん。クラスの副委員長なんだ。ちょっと打ち合わせしてて」


 結月はクラス委員長をしている。副委員長が誰かというのまでは知らなかったけど、まさかあいつがそうだったとは。私とは違い社交的な結月は、男女を問わず友達が多い。色々な生徒と話していることも多いし、二人で廊下を歩いているときでも話しかけられることは珍しくはない。


 でも、そのときの私はいつもとは違う感情を抱えていた。彼女に対してそれを出してはいけない。そう思っているのに咄嗟に出た言葉は「何を話していたの?」だった。そして立て続けに「よく話はするの?」「彼のことどう思っているの?」とまくしたてた。


 言いたいことを言って、心は一瞬軽くなった。でも、すぐに後悔した。それを取り消そうとしたとき結月は「なんで、そんなこと言うの?」と、今にも泣きそうな顔をした。「ごめんなさい」という言葉が喉まで出かかって止まる。


 素直に謝ればいいと分かっているのに、それが言葉にできない。それどころか結月の顔をまともに見ることすらできない。黙ったままじっと床を見続ける。やがて「もういい」という声が聞こえてきた。


 ハッと顔を上げると教室へと戻っていく結月の姿。待って、と手を伸ばすが、その行く手をドアが阻む。閉ざされたドアの前で、私はしばらく途方に暮れていた。





 真っ暗だ、何も見えない。


 なんであんなこと言っちゃったんだろう……。今更ながら後悔の念が私を襲う。だけど、どれほど悔やんだところで、言ったことは取り消せないし、壊れた関係は修復できない。


 結月に嫌われた。


 それだけが私の心に深く影を落とす。閉じている瞼の向こうで、何かが光っているのを感じた。そっと目を開けると、眩しいほどのスポットライトの中に、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ結月の姿があった。


「結月っ!」


 私は思わず立ち上がる。彼女の元へと駆け寄ろうとする。が、すぐに足が止まった。


 結月の隣には同じく白いタキシードを纏ったひとりの男が、私に背を向けるように立っていた。彼はゆっくりと結月の方へと身体を動かす。同時にライトに照らされた顔があらわになる。……浅倉くん……だ。


 浅倉くんと結月は手を取って見つめ合っていた。結月の手に銀色に光る指輪が輝いてる。


 待って、結月。私が悪かったから!


 声が出ない。身体も動かない。私にはどうしようもない状態で、結月は浅倉くんのものになろうとしている。


 ダメっ、お願い、結月を取らないで!!


 結月がゆっくりと私の方へ振り向く。何か言っている……。何、聞こえないよ……。




「……み、朝海っ!」


 目を覚ますと、真っ暗な部屋で寝転んでいた。目の前にはあのとき見せた表情のままの結月がいた。結月は「よかった。全然起きないから……」と涙を拭いながら言った。


「どうして……?」

「朝海の家に来て、おばさんに『部屋にいるから』って言われたんだけど、来てみたら真っ暗な部屋で朝海が転がってるから、私てっきり朝海が……」

「自殺でもしちゃったんじゃないかって?」

「うん……だって、そう思うでしょ、普通?」


 思うかな? 私は苦笑いする。


「でも、なんで家に?」

「……今日のこと、謝りたくって」

「それは私が――」

「ううん。悪いのは私。朝海の気持ちを分かってあげられなくて、ごめんね」


 結月は私の肩に手を伸ばしてくる。そのまま私を抱きしめる。結月の香りが私を包む。私もおずおずと、彼女の腕の下から身体にそっと手を回す。


「私の方こそ……ごめんなさい」


 それを口にした途端、心の中に溜まっていた澱のようなものがすぅっと消えていくのが分かった。「ううん、私もごめんね」と私の肩に顔を埋めながら言う彼女。


 私はどうして彼女のことがこんなにも好きなのかが理解できた。


 彼女だけが、本当の私を見せられる相手なのだ。着飾っていない。ありのままの私。嫉妬深くて、独占欲が強くて、好きな人の気持ちも分かってあげられない。そんな自分の悪いところもさらけ出すことができるのは結月だけだ。


 回していた手に力を込める。ギュッと彼女を抱きしめた。


 あの夢の中のように、結月の隣にいるのは私でなければいけない。そのために、私は変わらなければならない。彼女の隣に立てるような人間にならないと。「ちょっと、痛いよ? 朝海」という彼女の叫びを聞きながら、私はより一層、その思いを強くした。

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