最高の目覚め

キロール

ノイズ

 人々が脊髄チップと呼ばれる小さな機械に、全ての記憶を移し替えたのは百二十年前の事だ。チップが残れば、その人物は半永久的に生き続けると言うのが、当時の政府のお題目で、人々はそれに飛びついた。飛びついてしまった。


 不老不死とまではいかないが、自身が老いても若い肉体さえあれば若返りを続けられるのだから、これは当然と言えた。成功者であれば特に。これには無論、チップソフトを入れる肉体ハードは必要となるが、それらを調達するために工場まで建設された。


 嘗て、移植用臓器を生成するために人類が編み出した、悪名高きの復活である。


 この脊髄チップ化の流れは十分に常軌を逸しているが、その背景には更なる恐るべき陰謀が隠されていた。全国民に施術を命じた政府の方針に、違和感を感じていた新聞記者のマイケルは、二十年と言う歳月を賭けてその陰謀に迫り、最後は呆気なく殺されたのだ。


 所詮彼も脊髄チップの恩恵を受けていた人間である。その動きはすべて監視されていたし、一定のラインを超えたと判断すれば、その命を奪う事に党本部は躊躇しなかった。


 脊髄チップは国民監視の目的もあり、尚且つ思想統制の意味もあったのだ。言葉巧みに過去を改変し、言葉の持つ意味を変容させ、思想を国を主体とした全体主義へと改変する恐るべき国父が支配する、それがマイケルの住んでいた国の正体だ。


 この国には、幾つもの省庁がある。その中の一つに友愛省と呼ばれる組織があった。これは、国民に相互監視を推奨し、それを取り仕切る秘密警察の別名である。そこに百年前に死んだ筈のマイケル・カーティアスが捕らわれたのは、十日前である。



 百年でこの国の多くは変わってしまったと、友愛省の内部にある、灰色の壁に覆われた談話室にて一人座っているマイケルは思う。実に多くが変わった。電子タバコは禁止され、人々はデモを行う権利すらなく、空から黒い雨が降ってくる。


 何より耐え難いのはコーヒーだ。コーヒー豆を用いない単に黒いだけの奇妙な味の飲料が、今やコーヒーと呼ばれ人々に飲まれている。確か、理想的市民のコーヒーとか言う名前だった筈だ。


 本当に反吐が出る国に成り下がった。そう苦く思いながら口の中の鉄錆めいた味に顔を顰め、身じろぎした。椅子の背後で腕を縛る縄は解けそうにない。こんな部分だけはアナクロで辟易する。


 そもそも談話室とは、本来はこんな殺風景で血の跡が残っているような部屋ではなかった筈だが、今の世ではこれが談話なのだそうだ。つまり、動けぬ相手に高圧的な物言いを浴びせかけて、暴力を振るうのが。


 多分、自分は助からないだろうとマイケルは考えた。治安維持部隊のヤクザに見つかり、最低でもマイケルは四度は殺されている筈だ。その度に脊髄チップも破壊されている。


 何十と言う脊髄チップのコピー行為の結果、マイケルと同じ記憶、意思を持つ存在は何十と存在する。その全てが党本部に反旗を翻して行動中である。自分を、家族を殺した者達を許して置けるものか。


 ――その筈なのだが、今囚われの身のマイケルの考えは違った。無論、党本部の行いは許せない。だが、自分自身それ程まともな人間であろうか?


 人間工場の様な存在に頼っている現状を鑑みれば、その問いかけには否と言うしかない。ましてや、何十もの自分という存在がある事に戸惑いを覚えるのだ。自分は、彼等は本当にマイケル・カーティアスなのか? そんな疑問に苛まれているこのマイケルの活動は杜撰になり、党に反旗を翻すレジスタンスからも見限られ、捕らわれたのだ。

 

 空が白む頃、早朝を告げる党本部を称える歌が流れた。今日もまた、談話と言う名の尋問――いや、拷問が始まるのか。碌に眠る事も許されていないマイケルには、早朝を告げられようとも、意味は無かった。


 だが、その日は違った。その日に彼の元に訪れたのは、談話進行官と言う欺瞞に満ちた名前の拷問吏では無く、党の幹部であった。


 党本部は、数多のマイケルに手を焼き始めていた。そこに今回捕らえたマイケルの反応に興味を示した。今まで捕らえたマイケルとは違う反応を示すマイケル、これを上手く使えば厄介者を片付けらっるのではないかと目を付けたのだ。


 拷問と同様に懐柔も党の得意とするところだった。洗脳もまた。


 結局、今回捕らえられたマイケルは、程なくして党に忠誠を誓った。



 党に忠誠を誓ったマイケルは、数多のマイケルの存在をあぶり出し、レジスタンスを叩いた。その一方で正しい手順を取れば、デモを許可するなど、硬軟織り交ぜた方針を推薦した。デモの禁止を党が示した事は無いのだと言う嘘は、過去を遡って真実となり、自らの考えを放棄した理想的市民達は、それを受け入れた。それは、党の支配が完璧である事の証左とされ、提案者である彼は何時しか友愛省の幹部に成り上がっていた。


 彼の肉体ハードはその役職に見合った壮年の男の物に変わり、彼の現状を記憶した脊髄チップソフトは、元のマイケルを上回る数がコピーされ、本来のマイケルの脊髄チップとコピー品は次々に破壊された。彼のコピーはほとんどの記憶を閲覧禁止としされて、本来のマイケルとの差は他者には分からないものに変わっていた。これをスラムにばら撒けば彼のコピーが党への反旗を翻すために動き出すのだ。


 党にはそれが撒き餌であると説明しており、実際に撒き餌の効果を発揮していた。百年前の新聞記者マイケルの存在は、その筋では有名になりつつあったからだ。党は彼の働きと忠誠を称え、彼を国父へと推挙するシンパも増えつつあった。


 彼が国父になった朝は、よく覚えている。それは実に素晴らしい目覚めだった。誰もが彼の真の目的に気付かず、彼をこの地位まで押し上げてくれたのだから。


 マイケル・カーティアスの望みは一つだけだった。


 マイケルが勝ち続ける事。


 この欺瞞に満ちた世にあって、ただただ負け続け、失う続けたマイケルが求めた者が勝利し続ける事であった。


 その下地はすでに出来上がっている。今のマイケルの数多のコピー、党本部の最高権力、そして……幾つかの政策の綻び。


 このまま党の支配が続くも良し。続かず革命が起きても良し。どちらにせよ、マイケルは勝ち続ける。それこそが、あの日、眠る事すら許されなかったあの日に得た天啓である。幹部の語る言葉に付け入る隙を見出した彼が密かに考え出した自分自身を確立するためのアイデンティティー。


 指を鳴らすまでも無く、美しい秘書官が目覚めのコーヒーを運んでくる。真にコーヒーと呼ぶべき飲料を。最良の目覚め、最高の目覚めだと彼は薄く笑いながら、もう何度目かになる百年目の夜明けを迎えた。


 党がその年を西暦二九八四年と定めている以上、誰もがそれに異を唱える事などないのだから。この国の歴みは党の支配が終わるまで永遠に西暦二九八四年なのだ。

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