夢世界からの侵略者

加湿器

夢世界からの侵略者

すっかりと日も傾いて、茜さす駅前広場。

せわしなく行き交う人々を前に、少女が一人、ギターを抱えて歌っている。


夢を追いかける人を応援する、アップテンポなアイドルソング。


道往く人々は、それをまったく気にしないか、ほんの少しだけ足を止めて、すぐに離れていくばかり。

それでも彼女は、足を止めてくれた人の、その瞳をまっすぐに見つめて、微笑みながら歌う。


ボクはといえば、その夢のような風景をただ、噴水に腰掛け、かばんを抱えて見守っている。

まっすぐなあの子への憧れと、その歌声への感動と。

そして、高嶺の花への、分不相応な恋心を抱きながら。


「――ありがとう、ございました!」


夢のようなひと時が終わって、彼女が勢い良く頭を下げると、いつの間にかできていた小さな人だかりから、拍手があがる。

たいていの人はそこでまた歩き出してしまうが、残っている少しの物好きに、彼女はCDやフライヤーを渡していた。


抱えたかばんを持ち上げて、ボクも彼女の元へ向かう。


「一枚、貰えますか。」


「はいっ、ありがとうございます。……あっ。」


いつものお兄さん、と、彼女が微笑んでくれる。


「今日も来てくれたんですね!」


そういいながら、CDと、こっちもよろしくね、といって、QRコードが印刷されたフライヤーを手渡してくれた。


「最近、チャンネル始めたんで!よかったら登録してくださいね!」


してる!チャンネル開始から10分以内にはしてた!

SNSでの告知も毎日見てるよ!更新がんばって!


……と、あまりに素敵過ぎる笑顔に、早口になってしまう言葉を、ぐっと飲み込む。

こんなボクがいまさらそんな面を見せたところで、とも思うが、それでも憧れの人の前で、オタク丸出しにはなりたくない。


「そうなんだ、登録しておくよ。」


そう、もごもごと口ごもりながら返すと、まいどありーっ!とおどけた声で、彼女はまた、別の立ち見客に、フライヤーを配りにいく。


本当は、ボクはお兄さんなんかじゃなくて。彼女とは高校の同級生なのだけど。

当時から、学園のマドンナだった彼女と、教室の隅で一人、彼女にあこがれていただけのボクは、やっぱりすむ世界が違いすぎたようで。


それでも、故郷から離れて就職した僕と、地元の有名私立に進学した彼女。二度と会うことも無いだろうと思っていた、憧れの人との再会は、あまりにもうれしすぎて。


彼女のことを、影から応援して追いかけるあまり、部屋の壁に記念として貼り付けているフライヤーは、そろそろ3面を覆いつくす勢いだった。


* * * *


「やあ、はじめまして地球の方。」


そうかけられた声に、ゆっくりと覚醒する意識の中。

ボクは独房のような狭い檻の中で、椅子に縛られている自分に気がついた。


「ようこそ、我輩の「夢の檻」へ。」


かつ、かつとコンクリの床をステッキで突きながら、どこからか現れた、山高帽の男がそう言う。


「ふむ、これが君の心象か。なかなかに自罰的であるな。」


「アン、タ、誰だ……。」


そう声を出して、異常なまでの息苦しさに気づく。ぜいぜいと、自然、呼吸が浅くなる。


「理解する必要も無いだろうが、聞きたいのであればお聞かせしよう。私は、はるか4億光年のかなたから来た侵略者。君たちの発声器官では正確な発音は難しいので、仮にトロイフ星人としておこう。」


「侵略、者……?」


「左様。」


そういって、山高帽の男……トロイフ星人はゆっくりうなずくと、ボクの横っ面を、ステッキで思い切り殴打した。


「悪逆非道、残虐無比の簒奪者である。たった今、君の精神を侵略に参った。」


口の中で、ごろり、と異物感を覚える。息を荒げて、血とともにそれを吐き出すと、折れた奥歯が数本、コンクリートに転がった。


「地球人の集合無意識を介して、君の夢にアクセスしている。夢とはすなわち「裸の精神」。」


そう言いながら、更に二度、三度と殴打を加える侵略者。

出血した口内が熱を持ち、次第に意識が朦朧としてくる。


「おっと、これを我輩の個人的嗜好と思わないでくれたまえ。これはすべて、君が深層心理で望んでいることなのだよ。涙ぐましいような自己否定と、破滅への願望。」


ニヤニヤと笑いながら、侵略者は笑う。


「しかし、それでこそ我々の仲間にふさわしい。すなわちこれは、もっとも平和的な、無血の侵略なのだ。」


知らないであろうから、教えて差し上げよう、侵略者は笑う。


「影から地球を狙う侵略者は多い。だが、我々トロイフ星人はそんな陰湿なやり方を好まぬのでね。近々、正面から宣告するつもりだ。地球人よ、我々に跪けと。そしてそれは、喜びとともに受け入れられる。」


ちらりと、ボクの目を覗く。侵略者は笑う。


「知りたくも無いだろうが、教えて差し上げよう。我々の侵略計画は非常に順調!今の君と同じように、夢の中でさまざまな防衛機構を脱ぎ去った裸の精神に、直接教えて差し上げるのだ、誰が自分の主人であるか、をね。そして今、我輩の夢の檻には、地球人口の内、、1億と8千万人あまりが繋がれている。見たまえ!」


侵略者が笑う。

ステッキを大仰にかざすと、壁の一面が鉄柵の檻へと変わり、その向こうには。

……無数の檻と、その中にとらわれた人間が。

まるで力尽きたようにうなだれていた。


「見よ、これこそが、我輩と君の仲間だ。すなわち、地球という城砦の閂を、内側から開けるトロイの木馬である!」


侵略者は、笑い続ける。

ああ、これは、ボクの夢か。それとも、破滅願望がもたらす妄想か。

それとも本当に、宇宙人による侵略計画なのか。


あまりに受け止めがたい現実と、激痛と熱に。

ボクは、ぐるぐるとまとまらない思考と、意識を手放した――。


* * * *


――沈み行く意識の中で、ふと、歌が聞こえた。

それはたぶん、ボクが設定した、スマホのアラーム音。

CDがおかしくなるまで、何度も、何度も聞いた、彼女の最初の自主出版シングル。


「まさか、そんなバカなことがあるか!」


侵略者の、ひどくあわてた声が、ふと頭上から聞こえる。

僕の中から歌があふれて、自然に彼女の曲をなぞって、口ずさんでいた。


「お前からあふれるその音は何だ!その音が、1億8千万人の絶望をも、覆すというのか!」


気がつけば、近くの檻からも、同じように彼女の歌が聞こえてくる。

ボクは、陣人と熱を持つ口の中を、ぐっと噛み締めて、意識を持ちなおす。


あふれてくる歌を、必死になぞって。

調子はずれの音程で、夢を、愛を、希望を歌う。


「そのまなざしは何だァ!そのっ、音はァッ!!」


ふと気づくと山高帽の侵略者は消えて、醜い、緑のただれた肌の、大柄な怪物が隣に立っている。

これが、侵略者の正体なのか。それとも、これもまた、痛めつけられた僕らの集合意識が見せる幻なのか。


でも、そんなことはどうでもよくて。

ボクはただ、僕の中に残る、憧憬を、感動を、そして、確かに燃える恋慕を。

ただ、歌に乗せることに精一杯で。


いつの間にか、夢の檻全体に広がった大合唱は、朦朧とする意識の中で、音の連なりが確かに持つ輝きとなって、僕らの夢を満たしていた!


「この不快な音を止めろォォォーーーッ!!」


そうして、ボクは――


* * * * *


いや、僕らは、夢世界の、絶望の檻から開放された。

彼女の歌がくれた希望を胸に。


彼女がくれた、最ッ高の「目覚め」とともに!


――その日、世界中で大セールスを記録する、超新星シンガーが誕生した。

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