眠れない夜は羊の歌を

tolico

執事のいる寝具店



 古ぼけて、こじんまりとしたその建物には、所々掠れた大小踊るような筆文字で「あかし寝具店」と読める看板が掲げられていた。


 薄暗い路地へ入り、そびえ立つビルとビルの間にあって、しかしながら老舗の風格を漂わせる和風な店。ややすすけた窓ガラスには「最高の目覚めは最高の眠りから」という張り紙がされている。


 この、少し場違いで、怪しげな店の扉を開けようと思ったのは、僕が酷い寝不足に悩まされているからに他ならなかった。

 看板を見上げた首が痛い。寝不足で疲れが取れない身体は節々が痛んだ。連日のデスクワークで肩も凝っている。仕事で部下が出来て、上手く立ち回らないといけないという気負いも、寝不足の原因の一つなんだろう。



 意外にも自動扉だったそこから中に入った瞬間、目に飛び込んできたのは白いもふもふで、それが大きな羊だと分かったのは見上げて顔が見えたからだ。


 寝具店に羊とは、マッチしているとは思ったが、羊を数えるのはシープとスリープが似ていて自己暗示になるからで、日本語では意味がないのだよなぁなどと思う。



「ようこそいらっしゃいました、お客様」


 よく通る声が聞こえて、呆然と佇んでいたことに気付く。

 声のした方向に顔を向けると、狐の面のように色白で綺麗な顔立ちの男が立っていた。


 きっちり整えられた長髪を後ろで束ね、黒の燕尾服に黒ネクタイ、白い手袋までして、まるで執事のような出で立ちだ。

 羊と執事でかけてるのか?


「あー……」


 僕は言葉に詰まり、羊の置物ごしに後ろを覗き、店内を見渡した。客の姿は無い。店員もこの男ひとりのようだ。


 外観とは打って変わって、洋風な造りの内装。様々なベットや布団、枕などがディスプレイされている。


 再び羊を見上げる。



「入り口で出迎えたのが、この巨大な羊でさぞ驚かれたことと思います。当店のマスコットのメリーでございます。寝具にはウールが多く使われておりますので。また、眠る際には羊を数えると良いと言われますね。もっとも、あれは英語圏でのお話のようですが」


 執事男がニコニコと喋りかけてくる。笑った招き猫のようにも見える、なかなかに人懐こい笑みだ。



「最高の眠りにはまず、身体に合った寝具です。お試しになってみてはいかがでしょうか? 背骨の形は人によって様々です。貴方の首の曲線、頭の形に合う枕をお選びいたしますよ。質の良い眠りは、最高の目覚めをもたらすことでしょう」


「はあ……じゃあ、ちょっと試してみようかな……」


 僕が答え終わるより早く、執事男はささっと店の奥に行き、あっという間に色々な道具を持って戻ってきていた。



「それではどうぞ、こちらのベットに横になってください」


 促されるままに、僕は背広と靴を脱ぎベットに横たわる。滑らかな手触りのシーツに、程よく沈む敷布団。スプリングより低反発のイメージだ。

 よくあるホテルの、パリッとしてちょっと冷たいイメージのそれとは違い、温かさがあって包まれるようで、とても心地が良い。


 枕に頭を乗せると、顔の横で定規のようなものを宛てがわれた。



「お客様はストレートネックでいらっしゃいますね。肩こりにお悩みでしょう」

「ストレートネック?」


 疑問に見上げる僕に、執事男はにこりと答える。


「ストレートネックというのは、本来は湾曲し、頭を支え、力を逃がす働きがある首の骨、頸椎けいついが真っ直ぐに歪んでいる事です。慢性的な頭痛、首の痛み、肩こりなどの症状が出るのです。正常な人の頸椎の前弯角度は30度~40度なんだそうですよ」


 真っ直ぐに歪んでいるというのは面白い表現だな、などと思いながら彼の良く通るが柔らかい声色と、布団の心地よさに瞼が下がる。

 これはいけないと思い、ぎゅっと閉じて開く。


「どうぞ、そのままで。少し目を閉じられてはいかがでしょうか。その方が使い心地をより実感できるかと思います」


 執事男はにっこりと目を細め僕を見下ろしている。


 言われるままに目を閉じてみる。いつの間にか、僕の首に合わせたであろう枕に換えられていた。最初に頭を下ろした時より断然首に負担が少ない。すっと気分が落ち着いてとても気持ちが良かった。


 遠くなる意識の端で、どこからか歌声が聞こえる。シングアソングと歌う歌詞に、安易なダジャレだなあと笑ってしまった。






 どれくらいそうしていたのだろうか、ぼんやりと佇む僕の目の前はテーブルカウンターで、この店によく合ったおしゃれな飾り枠や、模様が描かれた「契約書」と書かれた紙が置かれている。


 大きな羊が入り口で佇む店内には、控えめな音量で洋楽が流れていた。



「それでは、こちらの枕2点をお買い上げですね。きっと奥様にも良い眠りをお届けできることと存じます。では、こちらにサインを」


 不思議な心地よい気分で僕はサインをする。妻のことなど話しただろうか……。



 手際よく枕を包まれて渡され、店の外へと送り出される。

 僕は夢見心地で振り返り「あかし寝具店」の看板を仰ぎ見る。空は夕暮れに滲んでいた。





 そこからどうやって家に帰ったのかはよく覚えていなかったが、いつの間にか風呂に入っていたしお腹も空いていなかったので、蜂蜜を入れたホットミルクだけ飲んで布団に入った。



 暫くして、玄関の方でガチャガチャと音がする。今日も、僕のが帰ってきた。


 妻はキャリアウーマンで、毎日朝から夜遅くまで働いている。家事はもっぱら僕の仕事。でも僕も働いてるから料理なんて大したものも用意できない。

 栄養バランスなんてきっとめちゃくちゃだろう。それも理由か、彼女も寝不足と不眠に悩まされていた。


 そしていつも僕が寝ているとこへ来てこう言うのだ。


「私が寝られないで苦しんでいるのに、貴方だけ気持ちよさそうに寝てるなんて許せない」



 今日もきっと言うのだろうと覚悟する。


 寝室のドアが開き妻が入ってくる。しかし、どういうわけかいつまで経っても一向に言葉が降ってくる気配がない。それどころか、やがてまどろみの端で寝息すら聞こえる。


 窓の外で何か大きな鳥が羽ばたくような音がした。遠くで良く通る心地よい歌声が聞こえた気がして、そのまますうっと意識が薄れていった。






 そしていつの間にか、アラームに起こされる。すっきりと疲れが取れた寝起きは気分が良かった。

 顔を洗い着替えて、朝食の準備をしていると妻が起きてくる。


「……おはよう。枕、ありがとう。よく眠れたわ」



 久しぶりに見る彼女の笑顔。少し申し訳なさそうに眉が下がっている。


「ちゃんと寝られるとこうも気分が良いのね、今日は最高の目覚めだったわ。その……いつも、ごめんなさいね……」

「いや、良いよ。仕事が大変なのは知ってるしね。ちゃんと眠れてよかったよ。これからは、毎日最高の目覚めになりそうだしね」


 僕も久しぶりの笑顔で彼女に応える。こうして顔を合わせて会話するのも久しぶりな気がした。


「そうね、良い枕だわ。音楽も流れるのね。あの洋楽は何だったかしら」

「あれ? そんな機能あったかな……でも確かに聞こえたね」

「まあ何でもいいわ。とにかくこれでもう不眠に悩まされることは無いんだから!」

「そうだね」


 二人で笑い合い朝食のテーブルに着く。そこには心の余裕があった。睡眠がいかに大切か思い知らされる。


 妻と笑顔で迎える朝こそ、最高の目覚めだ。









 路地裏にある和風の外観の寝具店。


 その店の掠れて踊る筆文字の看板には「」と書かれていた。




「なあウール」

「何だいメリー」


 その店内で、和装に身を包み、文字通り羽を伸ばしながら囲炉裏端で蜂蜜入りのホットミルクを飲む男。その羽の生えた長髪の男に、巨体の羊が話しかける。


「いや、色々と言いたいことはあるんだがな。うん、まずメリーさんの羊の名前はメリーじゃないからな。そのセンス」

「ごちゃごちゃ煩いね、ちょっと黙ろうかメリー。羊は沈黙するものなんだろう?」


 さらに続けようとする羊を遮って男が言う。


 煤けたに、囲炉裏の煙が薄く立ち込めて、辺りを沈黙が支配した。





「最高の目覚めは最高の眠りから。あやかし寝具店はいつでもお客様をお待ちしております」

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