小野寺小雪が疎ましい、のに

いなばー

小野寺小雪が疎ましい、のに

 私はモノトーンの世界に生きている。


 目にするすべてに色彩というものを感じない。


 だけど、私はこのモノトーンの世界が気に入っている。

 凪のように静かな世界。


 だから、小野寺小雪が疎ましい。


 彼女はいつもキラキラしているから。

 近くにいるとハレーションを起こして何も見えなくなる。


 なのにどういう訳か――ふたりには共通の友達がいた。


紗央さおっ! もうお昼休みだよ?」


 いつも朗らかな加奈子が声をかけてくる。

 何も書かれていない紙のように真っ白い彼女は、私にとって心地いい存在。


「そうなんだ」


 私は授業の間も読みふけっていた本を閉じた。


「そうなんだ、じゃなく。そんなんでよく赤点取らないね?」

「赤点どころか、加奈子より成績いいよね、紗央さん」


 お弁当箱を手にした小雪が言う。


「それね。ホント、腹立つ」


 ぷくっと片頬を膨らませてみせる加奈子。かわいらしい。

 私が両肩をすくめてみせると、加奈子は頬の空気を吐き出した。


「もういいや。お昼食べよう、紗央」


 持ち主に断りを入れてから、前の席を反転させて私のにくっつけてくる。


「私、ひとりで食べたいんだけど」


 と、希望を述べても加奈子は首を横に振る。


「ひとりだと小説読みながら食べるでしょ? あれ、お行儀悪いんだから。さ、小雪も座った座った」


 隣から椅子を引っ張ってきてポンポンと叩く加奈子。


「私も一緒していいかな、紗央さん?」

「うん……まぁ……」


 ここで私が断ったら悪者みたいになる。

 それを分かって言っているのだろうか?


 いいや、小雪はそういう底意地の悪いことはしない。

 それは分かってるけど。


「ほら、小雪座る。紗央お弁当出す。私さっそく食べ始める」


 加奈子は言い終わるとすぐにハンバーグを口にした。

 メインのおかずにまず手を付けるのがこの女だ。


「おいしひ~」


 感動の悲鳴を上げる加奈子。


「おばさんのハンバーグは絶品だものね」


 お弁当を机の上に出した私が言う。

 私がモノトーンの世界に生きるようになる前、小中学生の頃、加奈子の家にお泊まりをしては色々とごちそうになったものだ。


「へぇ、ちょっとちょうだいよ。てか、獲る!」


 小雪がいきなり加奈子のお弁当箱の中にお箸を突っ込む。


「あっ! こらーっ!」


 加奈子が拳でポカポカと叩いても気にせずに、小雪はハンバーグを切り取って自分のものとした。


「ハンバーグ~♪ ハンバーグ~♪」


 身体をリズムに乗せて揺すりながら強奪品を口へと運ぶ。

 口に放り込んだ途端に目を大きく見開いた。


「おいひ~!」

「でしょ?」


 得意げに平らな胸を張る加奈子。


 私はそんな騒々しいやり取りを放っておいて、自分のおかずを口にする。

 カボチャの煮物、今日もうまくできた。


「紗央さんって、自分で作ってくるんだよね?」


 小雪が介入してくる。

 相手をしたくないが、ここで無視も感じが悪い。

 「うん」とだけ答える。


「紗央の料理もなかなかのもんだから。小雪、なんかもらいなよ」

「はあ?」


 しまった、思わず声に出してしまった。


「それは悪いよ。やめとく」


 小雪はちょっと気まずそうな表情。

 そうさせたのは私だ。


「いいじゃない、もらいなよ。紗央も小雪を餌付けしよう?」


 と、加奈子が首を傾けて私に提案を押し付けてくる。


 こうやって、私と小雪の仲を取り持とうというのだ。

 その気遣いはありがたいと思うけど……迷惑でもある。


「まぁ……別にいいけど」


 私は屈した。

 お弁当箱を小雪の方へと押しやる。


「ホントにいいの!?」


 そう言う小雪の目はキラキラと輝いていて。


「どれでもどうぞ」

「カボチャがオススメだよ」

「じゃ、カボチャをっ」


 うれしそうに頭を左右に揺すりながら、カボチャの欠片を持っていく。

 そして大げさなくらい大口を開けて、それを口に放り込んだ。


「おいしいっ!」

「でっしょお?」


 私の代わりに加奈子が自慢げに言う。


「すごいよ、紗央さん! 私のお母さんのよりおいしいっ!」

「すごいって程じゃないよ」


 小雪に褒められて戸惑ってしまう。


 と、小雪が自分のお弁当箱をこっちに突き出してきた。


「カボチャの代わりになんか取って? 紗央さん程はおいしくないかもだけど」

「いいよ。気にしないで」


 私が拒絶しても小雪は引っ込めようとしない。

 どうしたものかと思っていると、加奈子が助け船。


「いいじゃない、小雪は素直に餌付けされてたら。てか、さっきからお母さんに失礼だぞ!」


 加奈子が指二本でもって小雪の額を突く。

 「くはぁっ!」と大ダメージを受けた後、小雪がまたこっちに顔を向けた。


「じゃあ、またなんかお返しするね」

「いいよいいよ」


 適当に応えて自分のお弁当に集中する。

 間近で彼女の顔なんて見ていられない。眩しすぎる笑顔なんて。






 私はいわゆる帰宅部だ。

 とはいえ、授業が終わるとすぐに帰るわけではない。

 大抵図書室で数時間過ごす。

 退屈な滑り止めの高校で、唯一気に入っているのが蔵書の多い図書室だ。


 本はいい。白地に黒い文字。モノトーン。私によく合っている。

 今日は日の当たる席でのんびりと小説を読んで過ごす。

 そろそろ温かい日も増えてきた。……もう一年経つのか。




 そして図書室を出たのは十六時前。

 日が傾いてきたという頃合い。


 昇降口にたどり着いて驚いた。

 小雪が下駄箱の横にもたれかかって立っていたのだ。


「あ、紗央さん。今帰り?」

「うん……まぁ」


 彼女の笑みを直視しそうになって目を逸らす。

 不意を打たれた。危ないところだ。


 と、小雪がぴょんと私の方へ跳ね、前屈みになって見上げてきた。


「ねぇ、一緒に帰っていいかな?」

「わ、私と?」


 思いがけない提案に戸惑ってしまう。

 加奈子がいないのにそんなのはあり得ない。


「というより、誰か待ってたんじゃないの? その人と帰りなよ」

「うん、その人と帰りたいんだ」


 自分の胸の高さまで持ってきた右手で私を指差す。


「私を待ってたの?」

「そう。ゴメンね、迷惑かな~って思ったりもしたんだけど」


 小雪が突然身体を起こし、ビシッと背を伸ばす。


「それでも、ワタクシ小野寺小雪は、紗央さんと下校を共にしたいのであります!」


 おどけた敬礼なんてしてみせた。

 本当に嫌なら適当にかわせる言い方をわざとしている。

 でも、待っていたのに逃れるのもどうかと思った。


「……一緒に帰るくらい、いいよ」


 そう言ってしまう。


「ありがとっ!」


 突然、両手で私の手を握ってきた。


「ちょっ!」

「あ、ゴメン。思わず思わず」


 小雪はすぐに手を引っ込めると、両手を振って謝ってくる。

 油断も隙もないというか……。




 昇降口から校門までの広い道を進む間、小雪はステップを踏みながら私の周りをクルクルと回った。


「……何してるの?」


 ついに耐え切れず聞いてしまう。


「ふたりで帰るの、初めてでしょ? うれしくってさあ~」


 「ふふふ~ん♪」と鼻唄交じり。

 ついていけないテンションだ。


「別にただ帰るだけじゃない」

「あ、今日は寄り道したいんだ」


 聞いてないんだけど。


 面倒な気分が顔に出てしまったようで、小雪が慌てたように私の真ん前に寄ってくる。


「いやいや、ちょっとだから。ホントにちょっと。ちょっとだけ」

「いいよ、うん。別に嫌じゃないから」


 あまりに必死なので、気を遣って心にもないことを言う。

 彼女といると調子がおかしくなるので、早く帰りたいのが本当のところ。


「じゃあ、レッツ・ゴー!」


 小雪が私の指先を摘まんで引っ張ってきた。


「ちょっと」


 柔らかい指の感触に戸惑いながら、私は追いかけるみたいにして歩みを早めた。




 通学路から外れて歩く私と小雪。

 前を行く小雪がくるりと振り返り、後ろ歩きをする。


「危ないよ」


 そう言う私は彼女の顔を直視できない。


「危ない時は、紗央が助けてね?」

「いや、そうしないとホントに危ないし」


 しかし小雪は前を見てくれない。

 リズミカルに頭を振りつつ器用に進んでいく。

 そして楽しげな声で言う。


「ありがとうね」

「え、何の話?」

「いろいろあるけど……今日のお弁当とか」

「カボチャくらい、別にいいよ」


 言われるまで忘れていた。

 そんなにたいした話でもないと思うが。


「ごめんね」


 小雪の声が沈んだように聞こえた。

 思いがけないトーンに驚いてしまう。


「どういうこと?」

「仲良しふたりのところに割り込んじゃって。よくないかなあって思ったりもするんだ」

「よくないってことは……ないでしょ?」

「ありがとう」


 またお礼を言われた。

 割り込まれた、か……。

 続く小雪の声は元通り明るくなっていた。


「ふたりと一緒にいるの、楽しくって。一緒にいたいんだ、私」

「楽しいんだ? ……私もいるのに?」


 私こそ、ふたりが楽しくワイワイやっている空気を悪くしている。

 ふたりは気を遣ってくれるから、私の居心地が悪くなることはない。けど、そもそも……。


「私、仲良くしてる紗央と加奈子が好き。見てて楽しくなる」

「そうなんだ」

「見てるだけじゃ我慢できなくて、混ざりたくなったの。けっこー悩んだりもしたけど、結局我慢できなかったんだよね。あはは」


 照れが混じった笑い声。

 我慢できなかったせいで、私は?


「気にしなくていいよ。加奈子が楽しそうにしてると私もうれしいし」

「うん、ありがとう」


 小雪が右手で私の左手を握ってくる。さっきみたいな指先ではなく、しっかりと。

 驚いて小雪の顔を見ると、向こうは口をいっぱいに広げて明るく笑っていた。


「あれだよ! ほら!」


 小雪が左手で指差したのは、道路沿いにあるため池を囲う盛土。

 その歩道に面した土の斜面いっぱいに菜の花が咲き誇っていた。


 光に透かされた数えきれないほどの黄色い花びら。それを引き立てるように緑の茎。風で揺れて。

 鮮烈ではない。

 だけど、傾きかけた陽を浴びた花々は、間違いなく鮮やかな春の色をしていた。


 どうしようもなく胸が高鳴る。

 私はモノトーンの世界に生きているはずなのに、目の前に心を躍らせる色のある世界が広がっていた。


 そうなるのは当たり前だ。

 菜の花を背にした小雪の、陽気な笑顔を目の当たりにしたのだから。


 ようやく気付けた。

 私は――


 小野寺小雪に恋している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小野寺小雪が疎ましい、のに いなばー @inaber

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ