クリームソーダ・ドリーム
笛吹ヒサコ
あるいは、夢見がちな少女の最後の夢
クリームソーダは、大好きだ。
特にアイスクリームとキレイな緑色のソーダ水が触れ合うところの、シャリシャリした部分がたまらない。
やたら柄の長いスプーンで、丸くなった表面を避けてシャリシャリをちょっとずつすくい取る。
うん、美味しい。
「あんたって子は、昔っからボサーっとして夢みたいなことばかり言ってたけどね、もう大学生でしょ」
ママの小言は、大嫌いだ。
口にくわえた小さなスプーンが、苦くなった気がする。
こんなことなら、上京する前にスマホ代は自分で払うとか約束しなければよかった。
「ちゃんとバイトするって、約束したでしょ」
うん、それも約束しなければよかった。
だって、バイトって思ってたより大変で面倒くさくて、つまらなかったんだもん。なにより、素敵なことがなかった。たとえば、素敵なロマンスのきっかけになるとか、唯一無二の親友に出会えるとか、思いがけない才能を
「あのね、大学出たら、あんたも社会人として自分のことは自分で……」
はいはい、それさっきも聞きましたから。
結局、最終的には今までの生活費にスマホ代を足して仕送りしてくれるに決まってるんだから、もういい加減帰ってくれないかな。
お気に入りのレトロなカフェにママを連れてくるんじゃなかった。お気に入りのクリームソーダが、美味しくなくなっちゃったじゃない。
ママもパパも、あたしには甘いんだ。なんだかんだで、お願いもきいてくれる。
そもそも、大学生は学業が最優先ではないのか。たしかに、バイトするって言ったけど、現実は厳しかったんだ。うん、そういうこと。両立なんてできなかったってこと。
ワガママだとか言われるけど、なにが悪いのかわからない。こっちだって、一応やってみたんだ。長続きしなかったけど。だめだったから、こうしてスマホ代もお願いしているっていうのに、なんで目の前で小言を垂れ流されなきゃいけないかなぁ。
アイスクリームをちびちびと食べ終えても、ママの舌は少しも減速しない。まさか、閉店までってことはないよね。
「ねぇ、ちゃんと聞いてるのっ?」
やれやれ、窓際のテーブルだったのがせめてもの救いだ。
本日は、雲一つない快晴。ママの小言も、あたしの憂鬱も、きっとあのクリームソーダの空まで届かない。
赤いストローをくわえて、黄色いチューリップの甘い蜜を吸う。
ママの小言は、遠くの電波塔が発信しているノイズだ。近ごろ、電波塔の調子が悪いのか、途切れる時間のほうが長い。
チューリップの蜜でお腹いっぱいになったので、こてんと後ろに体を倒す。ハナバタケテントウムシの背中に生えたカーペット草が、ふんわりとあたしを受け止めてくれる。
クリームソーダの空では、大小さまざまな気泡がはじけている。あれは、誰かの夢がはじけているんだと、近くの青い鳥が教えてくれた。
ハナバタケテントウムシはのっしのっしと、確実に電波塔から遠ざかっている。
いいぞいいぞ、進路はそのまま。
なんで、電波塔が嫌いだったのか、忘れてしまったけど、嫌いなものは嫌いってことでじゅうぶんだ。
あたしは、これから眠れる王子様を起こしに行くんだ。
素敵な素敵な王子様は、お姫様のあたしのキスで目を覚ましてくれる。それから、何不自由なく幸せな暮らしをさせてくれるんだ。
真っ赤なリンゴをかじりながら、あたしは森の中をずんずんと進む。シャリシャリしたリンゴをくれたのは、誰だっけ。
キラキラした水晶の木々の間を進みながら、ちょっぴり不安になった。
まぁ、いいや。もうすぐ、眠れる王子様と出会えるんだから。
シャリシャリのリンゴは、酸っぱい。美味しくないのに、シャリシャリが好きだからずっと食べている。
シャリシャリ、シャリシャリ……
どんなにかじっても、芯に近づかない。芯がないのかもしれない。芯のないリンゴだから、美味しくないのかな。でもシャリシャリが辞められない。
『あんたには、芯がないの? もっとしっかりしなさい』
遠くでママカラスが鳴いている。
うるさいなぁ。いいじゃない。あたしには、夢があるんだから。
『ちゃんと現実を見て、地に足をつけていかないと、痛い目にあうからね』
現実なんてしらない。つまらないんだもん。
『ママはあんたのことを心配して……』
えいっ!
投げたリンゴがママカラスに命中する。
もったいないことしたけど、これで静かになった。
あんまりうるさいと、王子様が目を覚ましちゃうかもしれないじゃない。あたしのキスで起こしてあげないといけないのに。
そうだよね、王子様。
ガラスの棺の縁に手をおいて、眠れる王子様を覗き込む。
あれれ?
王子様がいない。
素敵な素敵な王子様のかわりに眠っていたのは、生意気そうな女。
「どうしたの? 早く起こしてあげなよ」
顔をあげると、大きな白ウサギが首を傾げていた。
「いつまでも、夢見がちな少女のままじゃ、君は不幸せになるよ」
白ウサギの赤い目に映るあたしを見てはいけない気がした。見てしまったら、大事な何かを失ってしまうような気がする。怖い。
「ほらぁ、早く起こしてあげなよ。夢見るのもいいけど、現実をおろそかにすると不幸せになるよ」
気がついているくせにと、クリームソーダの空の気泡がはじける。
そう、気がついていたんだ。
このままじゃいけないって。
急に涙がこみ上げてきて、溢れないようにと空を見上げる。
にじんだ空は、もうクリームソーダじゃなかった。
起こさなきゃ。あたしを起こして、現実に帰らきゃ。
ゴシゴシ目をこすって、白ウサギに向き合う。
赤い目に映っているあたしの姿は、眠っている生意気そうな女だった。
「夢はほどほどにね」
白ウサギは、素敵な素敵な王子様だった。そんな爽やかな笑顔で言われたら、無条件で頷いちゃうじゃない。
夢はほどほどにしよう。不幸せなんてもってのほかだ。
もう一度、雲一つない青空を見上げて深呼吸をひとつしてから、夢見るあたしに手を伸ばす。
「起きて、あたし。起きなきゃだめだよ」
誰かがあたしを起こそうとしている。
――起きて、起きて、起きなきゃ。あたし、不幸せになっちゃうよ。
うるさいなぁ。
――起きて、起きて、起きなきゃ。現実をおろそかにすると、あたし、不幸せになっちゃうよ。
ママとパパは、あたしを甘やかしたいんだから、不幸せなんかにならない。
――起きて、起きて、起きなきゃ。あたし、あたし…………
泣かないでよ。うるさいなぁ。
わかっているから、いつまでもママとパパがいるわけじゃないってことくらい。
わかっているから、現実はつまらないけど、しかたないことだってことくらい。
わかっているから、全部全部…………
――起きて、起きて、起きなきゃ。
わかったよ。わかったってば。
「ねぇ、ちゃんと聞いてるのっ?」
大きな声にびっくりして、窓の外の青空から慌ててママに視線を戻す。
「ごめん、ボーッとしてた」
呆れたとため息をついたママに、急に申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。
何か大切なモノを失ってしまった気がするけど、それでよかったような気もする。曖昧な喪失感は、ママの小言にかき消されてしまった。
「まったく、どうして……いい? あんたもいつまでも子どもじゃないんだからね」
ママのブレンドコーヒーは、少しも減っていない。きっとぬるくなっているに違いない。
申し訳ないことしたなぁ。ここのブレンドコーヒー飲んだから、地元の喫茶店のコーヒーが飲めなくなるくらい美味しいのに。
赤いストローでクリームソーダをすすってから、あたしはママに頭を下げた。
「新しいバイトを探すから、今月のスマホ代だけはお願いします。ちゃんと返すから」
ママが言葉をつまらせる。
ちゃんとお金は返すし、これからは生活費を節約して仕送りのやりくりも考えなおす。大学出たあとのことも今からちゃんと考えるようにする。
びっくりするくらいすらすらと言いたいことが言えた。けど、それらは全部、前からあたしの中にあった気持ちでもあったんだ。
まだ夢見がちな少女のままでいたかった。それではいけないと、うすうす気がついていたのに、なかなか現実と折り合いをつけられなかった。
ママは急にどうしたのと困惑しているし、あたしを信用しきれないでいる。
まぁ、それはしかたないか。
これから、しっかり地に足をつけて有言実行すればいいだけのことだし。
クリームソーダの小さな気泡がひとつ静かにはじけて、夢見がちな少女の最後の夢は終わった。
クリームソーダ・ドリーム 笛吹ヒサコ @rosemary_h
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