第32話 異世界は快速電車とともに

 東京都内の主要ターミナル駅のひとつである池袋いけぶくろ、ここを起点とする私鉄電車のホームに彼らはいた。まだ帰宅ラッシュまでには十分な時間があったが、それでも埼玉県内の主要都市を沿線に含むその路線には乗車の列ができるほどの人が行き交っている。そんなホームの先頭車両に近い一角に九尾きゅうびが小さな結界を張っていた。


「この人混みの中で姿を見せようものなら大騒ぎじゃ。狭いがここなならば安全じゃろう」

「でもでも九尾、これってほんとに周りからは見えないの?」


 透明なバリヤーの外を普通に通り過ぎていく乗客の姿を眺めながらよもぎが不思議そうに問う。


れは学校の制服姿じゃ、誰に見られようとも問題なかろうが、此奴こやつらは時代錯誤のこの姿じゃ、そうそう人前には出れんじゃろ」

「う――ん、確かに九尾のメイドさんだって微妙だけど、あんたたちのその恰好なんてなおさらです。帰ったら尾野先生に今風のお洋服を買ってもらいなさい」


 そうすれば結界など面倒なものは必要なくなるのだ。よもぎはそんなことを思いながら小さな彼らを姉にでもなったかのような口調で諭した。

 すると九尾と長兄のシイが揃って声を上げた。


「こ、これはわらわのアイデンティティーじゃ!」

「こ、こいつはおいらのアイデンティティーだべ!」


 人ならざる彼らの、まるで駄々っ子ようなやり取りを黙って見ていたヒロキも思わず声を上げて笑ってしまった。


可憐かれん、聞いたか今の。九尾とオサキがハモってたよ。やっぱ血だよな、オサキは九尾の末裔ってことだよ」

「そうね、私もそう思うわ」


 両脇にムチとナギを連れた尾野おの一太かずたも彼らの様子を微笑ましい思いで見守っていた。


「それにしてもこの仕組みはどうなってるんだ。外からは見えないはずなのにみんなどうやってけてるんだろうか」

「尾野先生、ここで探究心は……」

「ハハハ、そうだね。オカルト研究はもうこりごりだ。そうだ、シイ、お前は長男だろう、九尾様のように結界は張れないのか」

「で、できるべ! や、やったことないけど……」

「にゃははは、オサキごときには百年早いわ。ちなみにわらわよわい八百じゃ。れらもあと百年もすればショボいながらもできるようになるじゃろ……イタッ、またもよもぎはわらわの頭を」


 九尾が見上げるとそこには放ったばかりの手刀を構えるよもぎの姿があった。


「九尾、あんたはお姉さんなんだから、もっとやさしくしてあげなさい」

「や――い、怒られたべ、九尾様が浮遊霊に怒られたべ」


 打ち解けたようにはしゃぐ小さな妖怪たちを前にしながら一太がぼそりとつぶやいた。


「まるで異世界の幼稚園だな。でもこいつらにもっと仲間がいたならずいぶんと違ってたのかも知れない」

「先生、それが尾野先生の役割だったんじゃないっすか。だって小さいころは彼らと遊んでたんでしょ」

「先生、私もシロにはたくさん遊んでもらったし、護ってもらいましたよ」

「そうだな、いつの間には僕はこの子たちを疎ましく思うようになって、それで逃げ出してしまったんだな」


 幼い弟たちの兄であるかのようにムチとナギの頭をなでる一太だったが、不意に思い出したように背負ったリュックを下すとその中から茶色い紙袋を取り出した。赤いリボンで口を留められたその袋が気になるのか、にらみ合っていた九尾とシイ、それによもぎまでもが集まって来た。


「太田クン、神子薗みこぞのさん。これは迷惑をかけたお詫びというか、その、受け取って欲しいんだ」

「これは……先生、開けてみてもいいですか」


 一太は満面の笑みとともに大きく頷いた。

 ヒロキ、可憐、よもぎの三人が袋の中を覗き込む。すると空腹を誘うようなほんのりとした香りが広がった。その足元では背が低く仲間外れになった九尾だけがむくれた顔で腕組みをしていた。


「ヒロキ、これはとてもよい品だと思うわ」

「ヒロキさん、可憐ちゃん、三つも入ってますよ」

「これは、鰹節ですか?」

「うん、その通り。実を言うと尾野家は代々金融業と不動産業、それに乾物問屋を営んでいたんだ。それはその名残でね、実家で扱ってる商品なんだ。二年熟成の本枯れ節だそうだ」

「ありがとうございます。ところで先生、三本入ってるんですがこれは」

「君たち二人と、あとはあのメイドさんに。彼女にもずいぶんと迷惑をかけてしまったようで、こんなもので許してもらえるかどうか」

「大丈夫ですよ、きっと彼女も喜んでくれると思います」

「そうです、そうです。ギンさんは強くてやさしいから大丈夫です」

「それにしても猫にかつおぶしとは、ずいぶんとお手軽な……イタッ、よもぎよ、またもやわらわの頭を」


 すると次兄のムチが九尾の前に立ってドヤ顔をして見せる。


「おい、おぇら。こいつはな、そこいらで売ってる安物とは違うべ。その昔は殿様に献上してた代物だ、庶民が口できるもんじゃねぇべさ」

「なんじゃとぉ、そこへなおれ、オサキ風情が!」


 エプロンの中に収めた小太刀を抜かんとする九尾と憎まれ口を叩くムチの二人の頭にまたもやよもぎの手刀が振り下ろされた。


「あんたたち、いい加減に仲良くしなさい!」


 頭を押さえてうずくまる九尾とムチの姿を見て長兄のシイ、妹のナギまでもが笑っている。今、この結界の中はやんちゃながらもにぎやかで微笑ましいひと時に包まれていた。



 彼らの目に列車到着を示す警告灯の光が映る。そろそろ出発の時間だ。そしてそれは別れの時間でもあった。結界から出ようと戸惑う一太に九尾が言う。


「まずは其奴そやつらを荷物の中にでも放り込むのじゃ。さすればあとはわらわが結界を解いてやるのじゃ」

「よし、お前たち、帰るぞ」


 すると三人のオサキはわらべの姿から彼ら本来の姿、それは小さなイタチのような姿、に変化へんげすると素早く一太が着るコートの中に飛び込んだ。そしてそれぞれがポケットやら襟の間からちょこんと顔を見せた。


「か、かわいいです」

「ほんとにあれがプラズマ砲を放つ妖怪だなんて思えないわね」

「ああ、そうだな」

「ふん、最後の最後に人気をかっさらいおって。どれ、わらわも最後のひと仕事じゃ」


 そう言って九尾が結界を解くと同時にそこに立つ者たちの耳に周囲の喧騒が伝わって来た。発車を控えた車両の座席も既に埋まり始めている。

 乗車口に向かう一太にヒロキが最後の声をかけた。


「先生、先生はこれからどうされるんですか?」

「僕は学習塾を始めることにしたんだ。未来の科学者を目指す子供たちを応援したいと考えてね」

「それならこれからも尾野先生ですね」

「田舎の、だけどね」


 そして一太は今一度かしこまった態度でヒロキと可憐に向けて言った。


「つい先日のことなんだけど、教授も許してくれたみたいで、計算システムのメンテナンスを委託してくれることになってね。とは言えリモートワークでの対応になるから神子薗みこぞのさんの支援は必要なんだ。だからこれからもよろしくお願いします」

「いえそんな、私も勉強して頑張ります」

「オレも卒業まではフォローするので安心してください」

「ありがとう。ただ、秋津君のことが気がかりで……」

「それも教授がなんとかしてくれると思います」

「そうか……そうだね」


 快速電車発車のアナウンスが場内に流れる。するといつものように腕組みをした態度で九尾が余計な一言を放つ。


「それにしても別れのシーンが通勤電車のホームの上なんぞ、なんともしまりのない話なのじゃ」

「ハハハ、今や僕の故郷も通勤圏内みたいなもんだしね。九尾様、貴方にもご迷惑をおかけしました」


 一太は小さなメイド姿の九尾に深々と頭を下げた。


「九尾様、今度遊びに来てくれろ」

「来てくれろ」

「くれろ」


 オサキ三兄妹もコートの間から顔をのぞかせて声を揃えた。


 ホームに鳴り響く発車サイン音、あわてて駆け込む乗客たちとともに一太は車両に乗り込む。閉じるドアに続いてホームドアもこの物語の幕を閉じるかのように静かなモーター音を響かせた。

 ゆっくりと動き出す車両、これから一時間も経てば彼ら四人は故郷の地に立っていることだろう。

 一太かずたが別れの挨拶代わりに右手を挙げる。ヒロキ、可憐、そしてよもぎも揃って手を振る。流れる車窓はあっという間に最後尾に達して電車はホームの彼方へと去っていった。


「なんだか異世界が電車に乗って去って行ったみたいだな」

「そうね、でもこれで一件落着ってところかしらね」



――*――



「さてと、これから尾野先生のおみやげを渡しにキャッスルに行こうぜ……って、おい、よもぎ、九尾、おまえら、何やってんだ?」


 人が行き交うホームの上で九尾にしてはめずらしく困り顔を見せてヒロキに助け舟を求めてきた。


「ヒロキよ、よもぎに言ってやってくれ。此奴こやつがしつこいのじゃ」

「ねえ、いいじゃない、もう一度張ってよ、結界」

「どうしたんだ、よもぎ」

「えへへ、ちょっとね。ほら早く早く」

「ええい、一回だけじゃぞ。どれ、ヒロキと可憐も少しこちらに寄るのじゃ」


 訝しげな顔でヒロキと可憐が身を寄せると九尾は四人を包み込むように再び結界を張った。


「さてさて、九尾。ちょっと狐の姿になって見せてよ」

「な、なんじゃ、れの目的はそれか」

「結界の中なんだし、外からは見えないんだよね」

「そ、それはそうじゃが……し、仕方ないのぉ、ほれっ」


 よもぎに言われるがまま、人が行き交う駅のホームで九尾は全身を光に包んで彼女本来の姿に変化した。


「あ――、やっぱりです! 九尾、ほら、シッポ、シッポ」


 よもぎが声を上げて指さすそこでは五本になった金色のフサフサがゆらりゆらりと揺れていた。


「きっときっと、尾野先生とあの子たちの事件を解決したご褒美ですよ。徳として認められたんですよ」


 しかし今回の九尾はどこか不満げな面持ちで自分の尾を眺めていた。


「う――む」

「ほら九尾、もっと喜びなさいよ」

「じゃが、これは……」


 すると今度はヒロキが九尾に声をかける。


「ふ――ん、わかったぞ、九尾。おまえ、一本なのが気に入らないんだろ」

「……」

「前回は二本増えてたもんな。だから今回も、なんて考えたんだろうが、そううまくはいかなかったな」

「そうね、そもそもあの子たちオサキの兄妹きょうだいって九尾の分身みたいなわけだし、なのに知らんぷりしようとしたんだから、連帯責任にならなかっただけでも儲けもんって考えたほうがいいと思うわ」

「なんじゃ可憐かれん天狐てんこがそう言うておるのか」


 可憐は黙って首を横に振った。


「実を言うとシロは『見守りもするし見逃しもする』なんて言葉も残してたの。それで私は賭けてみた。そうしたら九尾はよもぎちゃんから勾玉まがたまを受け取って、でもそれをちゃんと返したわ。今回の一本はそれが評価されたんだと思う」

「なるほど、それは一理あるな」

「うんうん、よもぎもそう思います」


 九尾はいつもの幼いメイド姿に戻ると彼女にしてはめずらしく妙にしおらしい顔で続けた。


「そうか、そういうことにしておくのがよいのじゃな」

「そうです、そうです、そういうことです」


 九尾は吹っ切れたように晴れやかな笑みを浮かべると、よもぎの胸に下がる勾玉の中に姿を消した。


「それでは、よもぎも」


 いつものようにおどけた敬礼をした後、よもぎもヒロキの首に下がる勾玉に光ともに吸い込まれていった。

 同時に結界も消えたのだろう、駅の雑踏とノイズがその場に残されたヒロキと可憐の二人を包み込む。そろそろ夕刻のラッシュを間近に控えたホームでは次の電車の到着を知らせる場内アナウンスが響いていた。

 それを耳にした二人はいつもの日常が戻ってきたことを実感した。そしてどちらともなく互いに手をつなぐと、ホームに背を向けて雑踏の流れに消えていく。


「さあ、行こうか」

「今日のメニューは何かしら。楽しみね」





第三章 ドクター・オノ

―― 幕 ――



次回は

  「第四章 電脳遊戯」

でお会いしましょう。



※謝辞

本章は今話で終幕となりますが、しかしお話はまだまだ続きます。

次章の公開までまたもや暫しの充電をさせて頂きたく、お読みくださっております皆様におかれましてはフォローやブックマークなどで再開をお待ちください。

これからも本作の応援をよろしくお願い申し上げます。

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