第31話 やっちゃえ、九尾!

「よもぎちゃん、勾玉まがたまを!」


 可憐かれんが叫んだ思いもよらぬ一言に一瞬の戸惑いを見せたよもぎだったがすぐに何かを察したのだろう、首に下がる金の勾玉を手にするとそれを九尾きゅうびに差し出した。

 突然のことに九尾も目を丸くする。


「よ、よもぎ、れは何を考えておるのじゃ」

「九尾、見せてあげましょう」

「ほんとうに、よいのか?」

「よもぎは信じてます。だからやっちゃってください。やっちゃえ、九尾!」

御意ぎょいじゃ。れの気持ち、しかと受け取ろう」


 九尾はよもぎから勾玉を受け取るとそれを首から下げた。

 するとすぐさま金色の光がその全身を包み込む。それはみるみる大きくなり、光が消えたそこには身の丈六尺ろくしゃくを優に超える姿があった。

 血のように赤い瞳と鋭い犬歯が垣間見える大きな口に浮かぶ狡猾そうな笑み、その姿はかつて「お屋形やかた様」と呼ばれてよもぎとヒロキ、それに可憐までも苦しめていたあの九尾の姿そのものだった。

 しかしその顔に浮かぶ不敵な笑みはすぐに消えてなくなり、代わって怒りにも似た眼光が目の前で身構えている小さな敵に照準を合わせる。


わらわやいば、とくと味わうがよい!」


 威圧感を感じさせる恫喝にも似た声を上げると、自身とともに小太刀から大太刀へと姿を変えた得物を右から左へ、左から右へと振るう。今までとは比較にならない速さと圧力を持った斬撃がシイとムチに襲いかかった。


「ひ、ひぇ」

「な、なんだべ、なんなんだべ」


 かろうじて身をかわした小さな妖怪はその威力におののききながらも、負けるものかと反撃を試みる。シイのビームを余裕の体で薙ぎ払う九尾。


「へへっ、隙ありだべ!」


 貴様の動きなど計算づくだ、とでも言わんばかりに兄の肩越しから間髪入れずに次弾を放つするムチ、しかし今の九尾にとってそんなものは脅威にすらならなかった。


「どれ、今度はこちらのターンじゃの」


 九尾は大太刀を上段に構えると「フンッ!」と気合を込めてそれを振り下ろす。すると斬撃は地面をえぐりながら地を這いオサキの兄弟を分断した。


「まずは小生意気な弟から片づけるかの」


 九尾の口元から鋭い牙が顔を見せる。

 続く斬撃を迎撃すべくムチが右手を構える。兄のシイも離れた位置から九尾を狙うが、それを察した九尾の眼力に圧倒されて思わず後ずさりしてしまった。

 来る、あの斬撃が。

 ムチは覚悟を決めて九尾に一撃を放った。

 しかしそれはまるで不発の花火のように自分の手元で小さなショートをするのみだった。


「にゃははは、弾切れのようじゃな。しかし容赦はせぬ!」


 九尾は大太刀を構えてムチに向かって大きく踏み込んだ。

 あまりの速さと恐怖に思わず目を閉じるムチ。


「もうやめてくれろ!」


 そう言って兄を護るように両手を広げて立ちはだかったのは、それまで一太に張り付くようにして隠れていた末の妹ナギだった。


「おねげぇだ、これ以上は勘弁してくれろ」


 しかし九尾は構えた太刀を下ろすことなく、ナギのことなど相手にもせずに前に出る。すると今度は長兄のシイまでもが駆け寄ってきて跪いた。


「おいらからもおねげぇします。すべては兄であるおいらの責任です。一太を連れ戻すはずがうまく行かねで、そんでだんだんと腹が立ってきてやりすぎちまったべ」

「ほう、責任。れの責任とは何じゃ?」

「そ、それは……」

「オサキ風情が身のほどをわきまえよ。まあ、れらの命で勘弁してやってもよいのじゃが」


 シイ、ムチ、ナギの三匹は覚悟を決めてその場にひれ伏す。

 ジッと目を閉じる三匹、その姿を見下ろす九尾は彼らの頭上に太刀を振り下ろすと、その峰でコツリコツリと頭を小突いた。


「九尾様、九尾様ぁ――」


 シイ、ムチ、ナギの三匹は即座に人間の姿に変化へんげすると、声を揃えてその名を叫びながらなおも地べたに額を擦り付ける。よく見ると尾野おの一太かずたまでもが直立不動で姿勢を正していた。

 九尾はよもぎに目配せをして小さく頷くと、大太刀を鞘におさめながら芝居がかった態度で続けた。


おもてを上げよ」


 三人はその場に正座したまま九尾を見上げた。そして長兄のシイが今一度頭を下げて問いかけた。


「九尾様、どちらがほんとの九尾様なのですか」

「どっちもじゃ。わらわ思う、ゆえにわらわあり、なのじゃ」


 その言葉を聞いて再び地べたに額を擦り付けるように頭を下げるシイとナギだったが、次兄のムチだけが釈然としない思いで九尾を見上げていた。


あにぃとナギは騙せても、おいらはそうはいかねぇ。そもそも九尾様ともあろうお方がそこのむすめっ子ごときの言いなりなるわけがねぇべ」


 なおも食い下がるムチだったが、その一言が九尾の琴線に触れた。右腕を振り上げながらずんずんとムチの前に歩み寄るとその頭に手刀チョップを振り下ろした。


「い、いてぇ! 何するべ、このニセもんがぁ」

「たわけが、れごとぎがこの九尾に軽口を叩くでない」


 そんなムチの頭を無理やりに抑え込みながら、今度は長兄のシイが問いかける。


「九尾様、教えてください。ならばあの幼い姿は何なのですが」

「そ、それは……」


 さて、この問いに九尾がどう返すのか。ヒロキと可憐、それによもぎも笑いをこらえて続く台詞セリフを待つ。


「お、大人の事情じゃ。長く生きておると、その、いろいろあるのじゃ」

「それならば、そこの娘っ子は何だべ。おぇも人間ヒトではねぇべ」

「よもぎです。よもぎはシロさんや管理人さんから……」

「あ――、あ――、あ――、そのぉ……あれじゃ、細かいことはさておき、まあ、そういうことじゃ」


 九尾はなんとかその場を取り繕うと勾玉を首からはずしてそれをよもぎの手に返した。


「さて、説教はこれくらいでよいじゃろう」


 すると再び全身が金色の光に包まれ、それが消えたときにはいつもの小さい姿の九尾に戻っていた。


「ああ、やっぱり化けてた。あにぃ、こいつ化けてたべよ」


 イキリ立つムチに今度はよもぎが歩み寄る。


「この子は九尾です。小さいのは今は修行の身だからなんです」

「な、よもぎ、それを言うでない!」


 目の前で繰り広げられる、人ならざる者たちのやり取りに一太も加わる。


「お嬢さん方、この子たちがしでかしたことは謝って済むことではないけど、僕は僕なりに責任を負うつもりだ」

「責任? 今度はれか。やれやれ、人間ヒトごときに何ができるというのじゃ」

「僕が帰ればいい。この子たちを連れて僕も故郷で暮らすことにする」


 地べたに正座する三人の子どもに目を向けてそう言った一太かずたは再びよもぎと九尾の顔を見ながら続けた。


「ところでひとつだけ教えて欲しいことがあるんだ。君たちはいわゆる霊的な存在という理解でいいんだよね。ならばなぜ測定器に反応しなかったんだ」

「それは……よもぎにはちょっと難しいので、えっと、ヒロキさん、ヒロキさん、お願いします」

「尾野先生、ご覧の通りオレにはこのよもぎと九尾が憑いてるんです。正しくはよもぎがオレに、九尾はよもぎに憑いてるんです」


 一太も三人のオサキもきょとんとした顔でヒロキとよもぎ、それに九尾を見くらべる。


「そしてここにいる可憐……いえ、神子薗みこぞのさんにもシロという狐、それも天狐てんこという高貴で神的な存在が憑いてるんです」


 可憐が一太に小さく会釈する。


「先生、オレは先生の実験や測定をずっと手伝ってきました。でも測定器がオレや神子薗さんに反応したことってありましたか?」


 一太は神妙な顔で首を横に振った。


「先生の論文では霊的な何かがあったらそこには正イオンが高密度に分布していて、それが人間の精神にも影響を与えるって言ってますよね。でもオレたちには反応がなかった」

「そ、それは……でもこれまでの実験、心霊スポットでの測定やコックリさんのときにはかなりの反応を示したじゃないか」

「あれこそこの子たちの仕業ですよ。この子たちが周囲の負イオンを吸収して正イオンだけを単離させてたんです」

「こいつらが?」

「先生も見てたでしょう、彼らが指先からビームを撃ってたのを。測定器の名を借りたイオン発生器が生成した負イオンを体内に吸収してそれをビームとして発射してたんです。まさに荷電粒子砲ですよ」

「そんなことってあるのか……信じられん」

「信じるもなにも、目の前で起きてたことは事実ですし、それに先生は子供のころから彼らといっしょだったわけで、霊的存在とのかかわりについては先生もこっち側なんですよ」


 ヒロキの話を聞いていたシイが話を続けた。


「おいらたちにも霊的な力はあるべ、九尾様にくらべたら全然だけども。それでもって一太を誘導してみたべ。したらばまんまとその気になってあんな論文を書いた。だけど実験のたんびに気持ちの悪いもんが溜まってきてしまう。ナギなんぞすっかりやられて中毒みたいになっちまったべ。ならば溜まったもんは出さねばならねぇべ」


 既に両手の爪も引っ込めて黙って話を聞いていたギンがシイを睨みつけながら口を開いた。


「それが猫たちの火傷やけどの原因だったのですね。なるほど、理解はできました。でも許すことはできません」

「それでおまえたちはそのビームだかで秋津君も襲ったのか。まったくなんてことをしてくれたんだ」


 すると末の妹ナギが一太の足にすがりつきながら続けた。


「だって、一太は帰ってきてくれねぇべ。だから、だから……」

「僕を追い込むためにやったってのか」

「ごめんなさい。ゆ、許してくれろ……ウェ、ウェ、ヒック」


 ナギは一太の足に抱き着きながらすすり泣いた。


「先生、そこの九尾もかつてはひと騒動起こしたんです。犠牲者も出してます。でもその所業を人間の法律で裁くことはできません。だからオレたちはこうして共存することで彼女の行ないを制御してるんです。だから先生も……」

「わかったよ太田君。これは僕と尾野家の問題だ。これからは僕が後継ぎとしてこいつらの面倒をしっかりと見ていく。二度と他人ひとに迷惑をかけることがないように」


 そして一太はギンに向けても深々と頭を下げた。


「メイドさん、どうかこれで許して欲しい。今の僕にできることはこれが精一杯なんだ」


 ギンは小さなため息をつくと姿勢を正して一太に応えた。


「承知しました。わたくしからおさに申し伝えます」



 人ならざる者たちの戦いも終わり、台風一過の如き静寂に包まれる夕暮れの雑木林でヒロキ、よもぎ、九尾そしてギンと可憐は安堵した顔で小さく頷き合う。そして可憐は胸元に下がるシロの依り代である勾玉を手にして心の中でつぶやいた。


「シロ、見ててくれたかな。これでいいんだよね。よもぎちゃんも九尾もよくやったよね」


 するとその問いに答えるかのようにその手の中で勾玉がほんのりとあかい光を発したのだった。

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