「てんとう虫」のブローチ

ろくごう

第1話 桜の木の下で

「君は・・・」

タカトシは、「誰だ?」という次の言葉を慌てて飲み込んだ。


日曜日の朝。

ベッドで目を覚ました時、妻の美和子ではなく、女性が横たわっていた。

飲み込んだのは、その女性を知っていたからだ。


「小和沢・・・さん?」

「どうしたの、いきなり旧姓で読んだりして。寝ぼけてるの? 」

その女性は、少し呆れた表情を浮かべて聞き返した。


「君が・・・僕の妻になったんだよな・・・」

「そうよー、3年前に結婚したじゃない。やっぱり寝ぼけてるのかしら?」

呆れ顔を一層強くしながら、心配そうにタカトシの顔を覗き込んだ。


目覚めてから時間が徐々に経つに連れて、まったく新しい記憶がされていることに気付いた。

高校3年の卒業式の後にに告白してから、今までの10年間の記憶。

妻の美和子ではなく、この女性が「妻」となるまでの新たな記憶。


タカトシは、昨日の土曜日の朝のことを振り返っていた。


土曜日の朝。

高校時代のあの夢をまた見た。


卒業式の後、体育館横の桜の木の下で。

当時、憧れの女性だった「小和沢さん」に告白した。

そして、

過去の事実そのものの夢。


「またあの夢か・・・」

青春時代の良くある一コマに過ぎない。

とはいえ、当時のタカトシにとっては一大事であったことには変わらない。


「あの夢って、また高校時代の?」

そのつぶやきが、隣で寝ていた妻の美和子にも聞こえていた。

「ああ、例の卒業式の後のことさ」

「あの時は、ほんとにだったわね、ふふ」

思い出すように笑みを浮かべた。


タカトシは、「小和沢さん」に告白するに際して、当時の同級生だった美和子にアドバイスしてもらっていた。同じ中学校出身で、知り合いの女子の中でも一番気さくに話せる間柄だったからだ。

告白のシチュエーション、タイミングから、プレゼントするブローチまで、綿密なプランを美和子からレクチャーされて告白に挑んだ。


結果は、不成功。

だが、落ち込んだりするよりも、スッキリとした気分だった。

「小和沢さん」は、当時、他校からも知られるレベルの評判の美少女で、読者モデルの活動までしていた。

自分にとって「高嶺の花」であることは十分に分かっていた。


(青春の1ページを残せればいいか)

そんな青臭い感情での告白であったことをまた思い出し、苦笑いした。

「あなたが告白してフラれた後に、そのまま私のところにやってきて告白した時は、呆れるよりも笑っちゃったわ」

「・・・あの時は、自分でもどうかしてたよ」

「でも、その後付き合い始めて、こうして結婚までしたし、私としては良かったわよ」

美和子は、愛嬌たっぷりに屈託のない笑みを浮かべながら、朝食の準備を始めた。


タカトシは、「小和沢さん」に振られた後に、消化しきれなかったその感情を自分の中に留めておけず、勢いで美和子に告白していた。

今考えても失礼極まりない行為だったが、美和子は笑ってOKしてくれた。

美和子は、容姿こそ人並みであったが、他人の悩みに親身なるような気立ての良さで、同性異性に限らず教師からも好かれていた。


(美和子で良かったんだろうな)

そんな想いを改めて強めていた。

10年前の卒業式の日から、大学時代と社会人になって数年の交際期間を経て結婚し、今の結婚生活に至るまで、美和子は様々な局面でタカトシの助けとして活躍していた。

特に、実母が心不全で倒れた時の美和子の対応は、後に親戚中で評判になるほどの手際の良さで対応してくれていた。

唯一の不満としては、なぜか子供を欲しがらないこと。

結婚3年目でまだ若く急ぐこともないので、あまり気にしないでいた。


「今日の夜は、川瀬くん達と飲み会だったわよね」

朝食のコーヒーを入れながら、美和子が聞いた。

川瀬はバスケ部の同期だが、同じクラスでもあったので、美和子も知り合いである。


「ああ、帰りは遅くなると思う」

「バスケ部のみんなで集まるのは、ずいぶん久し振りね」

「みんな仕事が忙しくなっているからなぁ」

「あまり無茶な飲み方はしないでね」

美和子は、淹れたてのコーヒーを差し出した。


土曜日の夜19時。

新橋の駅近くの焼き鳥が評判の居酒屋。

タカトシは、高校時代のバスケ部の同期と呑んでいた。


「そういえば、お前が告った小和沢さんって、次の大河ドラマのヒロイン役に抜擢されたらしいな」

鶏つくねを丁寧に箸で外しながら、川瀬がおもむろに話し出した。

「唐突だな、お前。まあ、そうみたいだな」

当時の告白の場に居た川瀬にとっても、想い出深いシーンだったに違いない。

卒業後の華々しい活躍のことは、耳に入っていた。


「でも、お前には美和子さんがお似合いだったと思うよ」

タカトシ自身もそう思っていたが、他人から言われると複雑だ。

「そうかもしれないけどなぁ、もっと時間を掛けて準備したたら、ひょっとしてはあったかもしれないぜ」

「そりゃ、良くあるだな」

「まあな」

「確かに、あの時のプレゼントが『てんとう虫』のブローチじゃなければ、もしもはあったかもな」

「どういうことだ?」

「なんだ知らなかったのか? 小和沢さん、昆虫全般がまったく苦手だったはずだぞ」


(なんだって!)

口にはしなかったが、その後の川瀬の話が頭に入らないほど、タカトシは動揺した。


「てんとう虫」のブローチのプレゼントは、美和子のチョイスだった。

美和子は、小和沢さんと同じ手芸部だったので、そのことを知らなかったはずはない。


帰宅したのは、もう日曜日になりかけの頃だった。

「ただいま」

「おかえりなさい。あら、そんなに酔ってないわね」

「ああ、まあね」


(今さらあの時のことを聞くのもな・・・)

タカトシは、玄関で出迎えた美和子の顔見ながら、「てんとう虫」のブローチのことは忘れることにした。

そして、そのままシャワーだけ浴びて、深い眠りについた。


気が付くと、体育館横の桜の木の下に居た。

自分も高校の制服を着ている。


(またあの夢か)

夢の中で、夢とはっきり分かることもあることを今さら不思議に感じていた。

だが、夢の中とは思えないほど現実感があった。



眼の前には、「小和沢さん」が居た。

おそらく自分の呼び出しに応じて来たばかりの様子。

近く木の陰から、美和子と川瀬も居るのが分かる。


「どうしたの、こんなところに呼び出して?」

美麗な容姿の上に、いたずらっぽい笑顔がさらに追加されて、思わず蕩けそうになる。


ここで告白してフラれるんだよな・・・

「てんとう虫」のブローチを渡し・・・


いや、もし告白したらどうなるんだ?


夢の中のはずなのに、行動を変えることができることに気付いた。


「小和沢さん、実は君ことが・・・」


告白した


ただし、「てんとう虫」のブローチを渡さずに



日曜日の朝。

目覚めた時に横たわっていた妻は、「小和沢さん」に変わっていた。


あの時の告白が「成功」してからの10年間の記憶が追加されていた。

順調に交際が進み、そして3年前に結婚している。


信じられない・・・

あの夢の中での行動が、その後の過去を変えたのか?


夢だと思っていたのは、実際の過去のあの時

つまり、タイムスリップしていた?


タカトシは、思考がまとまらないまま、再びベッドで眠り始めた「小和沢さん」を現実感のないまま眺めていた。


改めて、現状を確認してみる。


「小和沢さん」は、芸能活動は大学時代で辞め、今は専業主婦となっていた。

ただ、派手好きな性格は変わらず、昔のモデル仲間と集まって遊ぶことが多い。

タカトシも、自分には不似合いと思いながらも彼女たちに付き合い、ブランドもののスーツやパーティに参加し、不相応な贅沢な生活を送っていた。

また見栄を張って、代官山近くにマンションまで購入していた。

一般的な収入しかないタカトシには、借金もかなりの額に達していた。


自分に不相応な「小和沢さん」と結婚してしまったことで、彼女の輝かしい未来も潰してしまった想いが湧き上がった。


一度変えられたのなら、もう一度できるのでは?


タカトシは、再び眠りについて。


気が付くと、再び体育館横の桜の木の下に居た。

「小和沢さん」も目の前に居る。


3回目の告白だな

そんなことを思いながら、告白した。


月曜日の朝。

目が覚めるまもなく、

「パパ、もう起きるじかーん」

ばふっ

布団の上から飛びかかってきたのは、2歳になる娘だった。


どうやら、元に戻った、いや違うか。

間違いを修正できたか


「小和沢さん」に告白し、美和子に告白する際に、

「将来、子供はほしくないな」と性的なことを意識した思春期な発言をしていたことに気付いた。


それをずっと覚えていた美和子は子供を作ろうとしなかったらしい。


なので、ここだけ変えておいた


「将来、子供もいっぱい欲しいからね!」






















































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