それは名前の記述があるのみ
深川 七草
第1話 それは名前の記述があるのみ
「おい小僧! 出番と出番のあいだだからって、ボーっとしてないで着替えを手伝わないか」
雇われ和尚は芝居に必死だ。
経よりも、この小屋でやっている台詞の練習の方が多く聞こえてくるぐらい普段から必死なのである。
だから今、手伝えと言っている着替えも袈裟のことではなく舞台衣装のことであった。
こうして、しょっちゅう境内の小屋で芝居が行われているのだけど、それには理由があって雇われ和尚が教えを軽んじていたわけではなかった。
俺がここに通うのは、前の和尚が金平糖を食わせてくれたことと、いろんな話をしてくれたからである。
別に、和尚に恵んでもらわなくても俺は困らなかった。でも、来るようになっていた。
あの日、和尚は死んだ。
みんな泣いていた。本堂に入れない俺も、柱の影から泣いていた。
年老いた和尚が死ぬのは不思議ではなかった。でも、問題はあった。それは、次の和尚をどうするかである。
寺に集まった人たちは、ただにらめっこをしている。
寺も和尚も必要だけど、和尚はここに一人で暮らしていたし、みんなも仕事を持っていた。それに、寺自体の維持費もかかる。
だから請け負うことはできないし、とはいえ誰かにやれとも言えないしでそうしていたのである。
そんな中、来たのが雇われ和尚であった。
みんなから少しずつお金を出してもらい、自分の食べる物や寺の修繕費に当てている。でもある日、それだけでは足りないと芝居小屋の真似ごとを始めたのであった。
近所から集まる人たちは坊さんの小遣い稼ぎとからかっているが、雇われ和尚は本気であった。だって、「みなさんからいただいたお金が足りないから寺が壊れました」なんて言えなかったから。
俺は、雇われ和尚のことが嫌いだ。そして、そいつが始めた芝居も嫌いだ。
行かなければいいのに……。
いつも自分にそう言っていた。
芝居が嫌いな理由は分からない。でも、雇われ和尚が嫌いなのは、前の和尚が好きだったからかなと思う。
だから毎日通うし、寺を守るための芝居も手伝う。
日々が過ぎていくにしたがって、ひとりふたりと客が減っていく。付き合い程度で来てくれていた近所の人たちが見に来なくなったからだ。
芝居の片付けも終わった午後、雇われ和尚は本堂の仏像の前に座り、経も読まず手も合わせず、その像の瞳をずっと見つめている。
木彫りの仏像は何も答えない。
俺は怖くなって、声を掛けないで帰ることにした。
田んぼに水を送る用水路に沿う道を歩く。
そりゃ、金だして芝居見るなら街に行きゃいいもんな。いくら雇われ和尚が頑張ったところで無理があるってもんだ。
そんなことを思っていると、急に空が曇りだす。
黒い雲はたちまち積み重なり、雨を降らせる。
「通り雨だろう。お前もここで雨を凌ぐがよい」
おじさんの声が大樹の方から聞こえ、そうだなと俺も一本の大樹に身を寄せた。
木を挟んだ向こう側に、人影が見える。
「なあ、おじさんはどこに行くんだい?」
寺に行く時間は畑仕事をしている者が多く、途中で誰かと会うことはあまりない。珍しいできごとに何となく話掛けていた。
「お前は難しい質問をするな」
「え? 何言ってんだい。どこが難しいんだよ」
俺は、このおっさんがどんなマヌケづらをしてるのか見てやろうと、木に沿って反対側に進んだ。
「……っ」
声がでなかった。青い。体が青いのだ。
布切れのような服をまとい、見える腕も足も青い。
そして視線を上げていくと顔も青いのだ。
「……っ」
そして次の瞬間、おでこの中心部に小さく線が現れたと思ったら、縦長の眼が開いたのである。
「……なあ、なあ」
怖いという気持ちがあったことは間違いない。だが俺は、奇妙なことを言っていた。
「なあ、なあ……、芝居小屋手伝ってくれよ」
「ふむ、それはできない」
おじさんだか何だかわかれないそれは、淡々と答えた。
そしてあまりに普通に手伝いを断ったそいつは、俺に聞いてくる。
「何故、芝居小屋を手伝って欲しいのか?」
「そりゃ、あんたみたいに珍しい人が来てくれれば、客が集まるに違いないからだよ」
「どうしてだ?」
「どうしてって、普通おでこに眼なんてないだろう?」
「ふむ……。では、おでこに眼があればよいのだな?」
「えっ? まあ、そうだけどよ」
そいつの青い手のひらが、俺のおでこに軽く触れる。
俺がビックリして腰を抜かすとそいつはくるりと背を向けて、木に沿うように歩き出した。
「おい」
俺はやつを追いかけようとしたが、木の陰に入ったそいつはすでにいなかった。
「消えた? どうなってやがるんだ?」
寺は、各地から来る人々であふれるようになっていた。
見物代に、ついでのお賽銭。
そんじょそこらの寺にも芝居小屋にも負けないぐらい金が集まるようになっていた。
おでこにみっつ目の眼を持つ少年と坊さんが戦う話。
物語そのものではなく、三つ目の少年の仕掛けがわからないと噂になっていたからだ。
そして俺は今日も、ここぞとばかりに客の前でみっつ目の眼を開く。
「「「「「おおーーーー」」」」」
芝居中にも関わらず、客たちは声をあげた。
芝居が終わった後、俺は本堂の仏像の前に座り、経も読まず手も合わせず、その像の瞳をみっつの眼でずっと見つめている。
木彫りの仏像は何も答えない。
この眼が開いた朝は“最高の目覚め”だったはずだ。好きだった和尚がいた寺を救うことができる眼が開いた朝だったのだから。
だが、毎日この眼で客を見ているうちに、あなた達はここへ何をしに来たのかと感じるようになっていた。
あの時の和尚の話を聞いてくれる者がこの中にいるのだろうか? そう考えるようになっていたのである。
終わり
それは名前の記述があるのみ 深川 七草 @fukagawa-nanakusa
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