ミレニアム・バグに挑んだ勇者
村中 順
ラスボスは、メモリリークだ
1999年から2000年へ。その瞬間、世界中のシステムが暴走するかもしれない。飛行機が落ち、電力が止まり、核ミサイルが誤発射される……そんな噂が飛び交った。ノストラダムスの大予言が現実になるとまで一部界隈では言われたが、真実はもっと地味で、もっと過酷だった。
当時のプログラマーなら、自分のシステムが2000年問題(Y2K問題)に関係してもしなくても、何かしらの不安を抱えていたはずだ。この物語は、そんなミレニアム・バグに挑んだ一人の勇者の記録である。
◇ ◇ ◇
「おい、デバッグシステムがダウンしたって? 網羅的にチェックしたんじゃなかったのか?」
部下の佐藤が血相を変えて飛び込んできた。つい厳しい言葉で返してしまう。
――あぁ、これで今日も帰れない。布団が恋しい。
年末が目前に迫った時期。Y2K問題に備え、システム改修を一年かけて進めてきた。古いプログラムでは、メモリ節約のため西暦を下二桁だけで記録するのが常識だった。1999年なら「99」、だが2000年になると「00」。つまり、最新データが1900年扱いになる。生まれたばかりの子供が百歳の老人になる――そんな笑えないバグが現実に起きる。
この一年、解析・修正・試験の繰り返し。ここ数週間は全システムの接続試験で徹夜続きだ。
――風呂に入りたい。いや、眠りたい。
「どの辺りに問題がありそうか、見当は?」
なるべく優しく話す。皆、殺気立っている。
「過負荷になると発生しそうです。再現性は……」
過渡現象で起きるバグは厄介だ。ソースを眺めても見つからない。微妙なタイミングのズレが原因だからだ。千回に一度、いや一万回に数回しか起きないこともある。
そんな時、悪魔の囁きが聞こえる。
『確率が低いなら、起きないんじゃね?』
『起きたら、その時対処すればいいんじゃね?』
だが経験上、前者は早期に玉砕する。実環境では驚くほど簡単に起きるからだ。後者も危険だ。対症療法は条件が変われば効かないし、後世のプログラマーが「なんだこの謎コード?」と首をかしげる未来が待っている。
だから、再現条件を突き止め、修正し、同じ条件で再度試験する。それが王道だ。
「なに、メモリリークだって? 過負荷で発生する?」
――ラスボス登場だ。あと数日で2000年だというのに。
ポーションもスキルも総動員して倒したと思ったら、さらに強いボスが出てきた。そんな感じだ。
メモリリーク――確保した記憶領域を解放せず、さらに確保を繰り返す。有限のメモリはやがて枯渇する。多重債務のように、返済前に借金を重ねて破産するのと似ている。しかも過負荷時だけ発生するとなれば、見つけるのは至難の業だ。
『多重割り込みが引き金か……桁を増やしただけなのに』
――またコンピュータ室で悩む夜が来る。あぁ、布団が恋しい。
このような時、営業経由で顧客に納期延長を頼むこともある。だが今回は無理だ。2000年という冷酷な締切は待ってくれない。まるでボスに人質を取られ、その人質のライフが減っていくゲームだ。ゼロになればゲームオーバーって感じだ。
そんな中、佐藤が笑顔で戻ってきた。
「再現条件がわかりました。他社製の古いプログラムに問題がありました。お客さん、今回の改修には、全く関係ないって言ってましたけどね」
――やはり来たか。「全く問題ない」「今までと全く同じ」「今回の改修には全く関係ない」――この“全く”という言葉ほど、技術者を裏切るものはない。何度この“全く”に騙され、痛い目を見てきたことか。だからこそ、私は知っている。“全く”は、全く信用してはいけない。
「修正箇所を吟味して、他のバグを誘発しないか会議を招集してくれ」
ここで手を抜けば後で痛い目を見る。カリスマが必要だ。
「将来、睡魔に負けることがあっても、それは今じゃない。将来、顧客に怒られることがあっても、それも今じゃない。今は全力を尽くす時だ!」
ちょっと某ファンタジー映画っぽい? まあいい。
修正完了。総合試験も終了。時計の針が進む。あと3分、2分、1分――心臓がドラムのように鳴る。誰も喋らない。コンソールを見つめ、祈る。
運命の時。こういう時は、神に祈る気持ちだ。でも信心深くはない。よく裏切られるから。
2000年1月1日。ニュースはY2K問題を騒ぎ立てていたが、うちのシステムは静かだった。
家に帰ったのは1月2日の昼。1月3日朝まで緊急コールなし。一年間の努力が実を結んだ。
――最高の目覚めだった。
ミレニアム・バグに挑んだ勇者 — 完 ー
ミレニアム・バグに挑んだ勇者 村中 順 @JIC1011
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