魔王さんは力になりたい

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

第1話 トラックに轢かれたけど異世界には行けなかった。


 ―――覚醒めざめヨ…… 覚醒めざメよ……


 おどろおどろしい声、RPGの定型文ような台詞に目が覚める。枕元の時計を確認すると七時ちょうど。

 朝だ。学校へ行かなければならない。

 そう思うと気怠さが全身を襲った。


「……うぅん、あと五分」


 ―――覚醒めざめヨ


 再びおどろおどろしい声がする。しかし、お布団の魔力で起き上がれそうにない。俺は無力だ。


 ―――チカラシい カ?


 布団に包まっても関係なしに聞こえてくる声。耳を塞ぎたくなるがそれも無意味だろう。


 ―――世界セカイべル ダケの チカラしイ カ?


「さすがに力の安請け合いしすぎでは?」


 どこの世界に布団から出るためだけにそんな大層な力を必要とする人間がいるのか。

 思わず突っ込んでしまった。寝ぼけ眼を擦りながら喋りかける。


「おはよう、『魔王まおーさん』」


 静かな自室に独り言が響いた。



 …。



 それは二ヶ月前、桜舞う入学式に行く最中のことだった。

 俺、ほり勇児ゆうじは事故に遭った。

 登校中に2tトラックがクラクションを鳴らしながら向かってきた――という記憶シーンで途切れた意識が次に目覚めたのは、ファンタジーな異世界でもRPGゲームの世界でもなく、病院のベッドの上だった。


「ステータス、オープン!」


 上腕骨骨折、全治三ヶ月。


 カバンから取り出した診断書ステータスには、その状態異常が付与されていた。もちろん、一晩寝るだけでHPが全快することはなかったし、傷を癒すマジックアイテムもそこにはなかった。


 目が覚めるまえと今でなにが変わったかというと、なにも変わってなんかいなかった。だって現実リアルだし。


 ―――覚醒めざめヨ


 ただひとつ、この声を除いては。


 発言内容の浅さから俺が『魔王まおーさん』と名付けたその声は、はじめ幻聴だと思った。今も半分くらいそう思っている。正直言って内容も声も怪しすぎた。

 『魔王まおーさん』は意思疎通ができているかどうかもわからなかったが、俺がピンチを感じると。


 ―――チカラシイ か?


 といつも誘惑してくる。

 だからといって、骨折のせいで弁当のおかずが掴みづらい、という理由で力を授けようとしてくるのはどうなのだろうか。


 ぽろりっ、と箸先からだし巻き卵が零れる。


 ―――チカラシイ か?


「くっ……!」


 毎回毎回こうだと、だんだんと煽られているんじゃないかと思えてくる。食事中くらいは静かにしていてほしい。


 ―――ワレす だけノ チカラシい カ?


「本末転倒すぎる!」


 思わず大きな声を出してしまった。もし教室や食堂だったらみんなから「急に独り言を叫ぶやべぇ奴」と噂されていただろう。ここがトイレで良かった。


「はぁ……」


 ため息がトイレの隅に吸いこまれていく。そう、俺はトイレの個室で弁当を食べている。別に今日が特別というわけではない。


 クラスでの人間関係パーティへんせいは最初の一週間で九割ほど決まると言っていい。入院していたのは最初の二週間だけだったが、元々人付き合いがうまくない俺がその期間を逸したのは大きな運命の分かれ道だった。退院した俺を待ちうけていたのは『ぼっち』というクラス称号だった。


 少なくともクラスメイトと友達パーティになれそうになかった。うまく弁当が食べれなくて助けてくれるヤツはいなかったし、そのくせおかずを箸から零すといたたまれない空気デバフがどこともなしに発動してくる。

 別にクラスメイトのことを悪く言いたいわけではない。ただ時期が悪かっただけだ。ちょうど人間関係パーティへんせいの振り分けが終わり、その仲間内で親愛度けっそくを高めていく時期だった。ほとんどが自分のことで精一杯だったのだ。


 結果、俺はスキル『便所飯』を習得した。だれにも気付かれず空腹度を下げることができる。今も絶賛使用しているところだ。お父さんお母さんごめんなさい。学校生活は順調だって嘘ついてごめんなさい。

 かるく手を合わせてから弁当に巾着へ仕舞う。


「トイレしてから、戻ろう」


 便所飯のあとはいつもクラスへ戻るのに少しだけ足踏みしてしまう。


 ―――チカラしイ カ?


「ん?」


 ―――クラスを べル ダけの チカラしイ か?


「クラス委員長かな?」

 クラスに戻りづらいからという理由でクラス征服する発想は飛躍しすぎだ。あと、力の適用範囲なんか矮小化されてない?


 トイレ中に語りかけられると妙に背筋が痒くなるが、それにも段々と慣れてきた。


「ふぅ」


 トイレし終わってなにげなく尻を拭こうとしたその瞬間。

 事件が起きた。


「紙が……、ないッ!?」


 トイレットペーパーの芯しかなかった。周りを見渡すが、予備のトイレットペーパーもなかった。イベント進行的に致命的なバグだった。


「ど、どうすれば……!」


 まず思いついたのは、となりの個室からトイレットペーパーを拝借してくるという荒業だ。しかし、高度の技術が要求される。半ケツ状態で移動して、しかも利き腕が使えない状態だ。手間取ることは目に見えている。

 ここでもっとも重要なのは人間の尊厳だ。トイレットペーパーのことはもちろん、『便所飯』をしていたことは気付かれてはいけない。アレはそういうスキルなのだ。今見つかればクラス称号が『半ケツ便所飯』と呼ばれることは想像に難くない。絶望的だ。


 ―――チカラシい か?


「……! 『魔王まおーさん』ッ!」

 たしかに猫の手も借りたい状況だったが、今は構ってる暇は――。


 ―――世界セカイホロぼス だけノ チカラシい か?


「そんな理由で滅ぼさないで!」

 それで滅ぼされる世界の身にもなって!


 『魔王まおーさん』の問いはめちゃくちゃだった。

 だがしかし、だ。

 ここで頷いたらどうなるのだろう……? と頭によぎる。怪しかったので今の今まで拒否しつづけてきたが、頷いたらこの状況が本当にひっくり返るのだろうか。


 俺は深呼吸をする。


「落ち着け。まだやるべきことがあるはずだ」


 冷静になってもう一度周りを確認する。

 紙代わりになるものはなさそうだった。他に持っているものは……。


「ん?」


 持っている弁当袋を触っていると、柔らかさの中になにか硬い長方形があった。それがなんなのか俺には見当がついた。


「メッセージカード!」


 この弁当には時々メッセージカードが添えてられていることがある。メッセージカードは「弁当おいしい?」とか「最近いかがですか?」など、母のたわいない一言が書かれているのだ。


 すかさず巾着から取りだした。


「これでトイレから脱出でき――!」


『弁当は美味しかったですか?

 勇児はいつも強がりだから、

 言えないことがあるのではない

 かとつい勘繰ってしまいます。

 あなたの学校生活が順風満帆で

 あらんことを。   母より』


 要らない! 今はそんな優しさ要らない! いつも心配かけてごめんね!


 なんでこんなときに限って長文なのかを問い詰めたかった。いつもありがとうです、お父さんお母さん!


 ―――ヒロインを 救ウ だケノ 力が 欲シい カ?


「いや、待って! 勝手にヒロインに仕立てないであげて!」

 たしかに恋人ヒロインいない歴=年齢の俺だけど、母親が人生のヒロインなのは悲しすぎる。


 残念ながら、このカードで尻を拭うことは俺にはできそうになかった。

 巾着のなかにそっと戻す。

 他になにか……。


「あ」


 腰ポケットになにかが入っていることに気付く。

 取りだすと愛用している黒い革の財布だった。すかさず中を確認する。


「紙、レシートは……なし。お札のほうも、か。はぁ」


 貰ったレシートはその場で処理してしまう性格であることを後悔する。こうなったら最終兵器おさつ……! とも思ったが、それも叶わなかった。


 ―――カネシい か?


「そんな用途で金に誘惑されることある?」

 されど、今の俺には効果的な誘惑だった。ほかにうまい方法も思い浮かばない。


 どれかを捨てなければ、なにかを得ることはできないということだろうか。究極の選択だった。


 ―――スベてヲ スクいタイ か?


 唐突に『魔王まおーさん』はそんなことを言ってくる。今までで一番まともな問いだった。

 心情的には頷きたい。だが、これで本当にいいのか、俺を貶める罠なのではないか、紙がないせいで世界が滅びるんじゃないのか……そういう思考が巡った。


「お、俺は……!」


 ―――包帯ホウタイスクいタい カ?


 決意しかけた俺の言葉を遮った『魔王まおーさん』に、目を瞬かせる。


「……あ!」



 …。



 数分後、俺はトイレから出る。

 トイレに入るときにはあったはずのギブスを固定する包帯がなくなっていたのは、たぶん気のせいである。灯台下暗しだった。


 ちなみにトイレ内で俺が戦闘すったもんだしている間に午後の始業チャイムが鳴っていた。今から授業中の教室に入るのを考えるとなかなか足が進まなかった。


「……俺はさ、自分が弱い人間なんだって知ってる」


 引きずるように教室へ足を進めているなか、ぽつりっ、ぽつりっ……と、廊下に独り言が響く。


「もし『魔王まおーさん』が言うことが実現できるとして、世界を滅ぼすまえにこっちの身が先に滅びることを俺は知ってる」


「どんなに憧れても、俺は勇者にも魔王にもなれないんだ」


「だから、期待には応えられない」


「ごめんな」


「……なんか湿っぽい感じになっちまったな。あ、そういや『魔王まおーさん』が欲しいものはない? だれかに施そうとするんじゃなくてさ」


「ほら、さっき助けてくれたことには感謝してるっていうか、なにかお返ししたいというか、あんがとというか、その……ありがとう」


 言いたいことを言い終えると廊下に沈黙が訪れる。ちょうど自分の教室の前まで辿りついた。


「……答えず、か。そりゃそうか」

 トイレでの反応は意思めいたものを感じたのだが、どうやらこちらの気の迷いだったようだ。というより、すでに愛想をつかせてどこかへ消えてしまったのかもしれない。


 しかし、教室のドアにかけた指を諦めかけた、そのとき。


 ―――。


「ん?」


 小さいながらもたしかに『魔王まおーさん』の声が聞こえた。


 ―――ト、


 耳を澄ますと『魔王まおーさん』はなにかを言いあぐねている。こんなこと初めてだった。


 ―――ト、と


「と……?」


 よくわからなかったが、息を呑んで、俺はその声を聴いた。



 ―――と、友達パーティシイ……か?



 その言葉は、今までの『魔王まおーさん』の言ったことをすべて思い出させてくれた。

 そして、俺は頷いた。


「え、そういうことなの?」

 いつのまにかに俺は教室のドアを開けていた。

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魔王さんは力になりたい 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi

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