【KAC7】紙とペンと最高の目覚め

書籍6/15発売@夜逃げ聖女の越智屋ノマ

タクティカルペンと新聞紙

「死ね、“新聞ジジイ”! 死んで責任取れ。俺が何もかも上手くいかなくなったのは、お前がキッカケなんだ!」


 その生徒は私にペンの切っ先を向けて、目を血走らせて吼え立てた。

 手に持つのは一本のペン……

 いや。ペンと呼ぶか、凶器と呼ぶか悩ましい代物だ。


辺見へんみ。それは、タクティカルペンだな」


 ペンを握りしめ殺意をたぎらせている不良生徒――辺見に向けて、私は静かにそう言った。


 タクティカルペン。

 それは、ボールペンとしての機能を併せ持つ、刺突武器だ。

 バタフライナイフのような明らかな凶器には見えず、一見すると普通サイズより少し大きい程度のボールペンである。

 しかし筆記部分の反対側がライフル弾のように尖っていて、刺せば人間の皮膚などたやすく貫通してしまう。


「タクティカルペン・ミリオネラ&ポリスブラウン……アメリカの老舗銃器メーカー5&W社の代物だ。そんなもの、なぜ持ってきた」


「てめぇをブッ殺すためだ!」


 吐息を白く色付かせ、辺見は激しく吠えたてた。


 私と辺見がいるこの部屋は、社会科教材室。

 暖房がないので、12月の今は歯の根がガチガチなるほど寒い。

 それでも社会科教師である私にとっては、職員室よりはるかに居心地の良い場所である。

 私の聖域・社会科教材室に、辺見はいきなり飛び込んできた――その手に凶器を握りしめて。


「堕ちたな、辺見。ひさしぶりに顔を見せてくれたと思ったが……残念だ」


 辺見はかつて、私が顧問を務める新聞部の部長だった。

 生真面目すぎて傷つきやすい一面もあるが、一所懸命な生徒だった。私は彼を高く評価していたのだが。


「辺見、どうしたんだ、その血みたいに真っ赤な髪の色は。耳のピアスも下品だぞ。お前に不良は似合わない」


「うるせぇ!」


 辺見はある日を境に学校に来なくなった。その後いくつかの不幸が重なり、このような不良になり下がったのだ。

 辺見は吼えた。

 彼いわく、彼の不良化の一番の原因は私だったそうだ。内気で弱気で成績も伸び悩んでいた彼が、唯一心血を注いでいたこと――それが新聞部での活動だった。


「私は辺見の書く記事が、とても好きだったよ」

「じゃあなんで、俺の記事をボツにしたんだ!? 全国中学生新聞コンクールに出すのは、俺のあの記事になるはずだったのに……」

「お前なら、もっと良い記事が書けると信じていたからだ。お前は主観的すぎる。新聞記事は、もっと客観的な立場から、視野を広げて――」

 

「うるせぇ! うるせぇ、うるせぇよ!」


 私からすれば、彼の叫びはただのヒステリーだし、幼稚な甘えにしか見えない。 

 だが恐らく、辺見なりの事情があるのだろう。仲間がいない、信頼できる大人がいない、将来の見通しが立たない――本人も把握できていない様々な不安が、凶器となって私に向けられているのだろう。


「黙れ新聞ジジイ! 落ち着き払ったつらしやがって。ムカつくんだよ」


 『新聞ジジイ』というのは、私のあだ名だ。

 なぜ私が『新聞ジジイ』と呼ばれるのか――理由は三つ。


 一つ。私が“じん 文志ふみゆき”という名前だから。音読みすれば“しんぶんし”になる。

 

 二つ。私が新聞部の顧問だから。


 三つ。私は大の新聞好きで、常に最新の新聞を持ち歩いているから。


 生徒たちが嘲りを込めて呼ぶ『新聞ジジイ』という仇名は、新聞を愛する私にとってはむしろ喜ばしいものである。


「辺見。お前はそんな下らないペンで、私を脅そうというのか。さしずめペンと紙との闘い……だが残念だが、それは先日KAC4のお題だぞ」


「なにを訳分かんねぇことほざいてやがる! 死ね!!」


 逆上した辺見は、凶器タクティカルペンを振り上げて私に飛び掛かってきた。

 がむしゃらに凶器をふりまわす――そのペン先が、私の頬をかすめた。


「っ――」


 思わず私は後ずさった。

 あの気弱だった辺見が、本気で襲い掛かってくるとは!

 ただのこけ脅しだと思っていたのに!!

 

「お、落ち着け、辺見! 馬鹿げたことはやめて、目を覚ませっ」


「うるせぇ! テメェが大好きなその新聞に、テメェの死亡記事載せてやる」


 怒声を挙げて辺見が迫る。

 私は必死で身を引いて、社会科教材室の器材を投げ散らかしながら応戦した。

 中学生の体力に、体育教員でもない中年の私が敵う由もなかった。

 私は辺見に馬乗りされて、そして、



   どすっ――



 深々と、私の腹にタクティカルペンが突き刺さった。



「はぁ。はぁ。……はぁっ」

 狂気に染まっていた辺見の顔が、徐々に恐怖に塗り替わっていった。

   カタ。カタカタ…… 

 辺見は震えた。かつての、気弱な辺見の顔だ。



 私は辺見を抱きしめた。

「馬鹿者――――。気が……済んだか? 辺見……」


 馬乗りになっていた辺見は、怯えるように私から離れた。私の無事が、信じられないと言った様子だ。

「新聞ジジイ……てめ……なんで、」


「新聞が、私を守ってくれたのだ」


 私は自分のワイシャツのボタンを外した。

 長折りにした新聞紙をぐるぐると何重にも巻き付けてある胸と腹が、露わになった。


「はっ……新聞? なんだよ、それ――」

「新聞ハラマキだ」


「腹巻きだと?」


「この部屋はとても冷える。防寒具として、新聞は最高の素材となるのだ。お前は新聞部に在籍していたのに、その程度の防災知識も持ち合わせていないのか」


 私の腹に巻つけてある新聞には、タクティカルペンが突き刺さった深い穴が開いていた。

 私は立ち上がる。辺見がたじろいだ。


「哀しいぞ辺見。世の中には、絶対にやってはならないことがある。貴様は、越えてはいけない一線を越えてしまった」


 私は怒っていた。

 気迫に押されたのか、辺見が後ずさる。


「お前は新聞部に在籍していたというのに、新聞の力を何一つ学んでこなかったようだ。甘ったれた貴様の根性、私が叩き直してやる」


 私は腹に巻いていた新聞紙をすばやく抜き取り、細かく折り丸めた。それを硬く丸めて握ってさらに二つ折り。掌サイズに握りこむ。

 私は叫んだ。


「目を覚ませ辺見! 喰らえ必殺、ミ――ルウォール・ブリ――ック!!」



 折り畳み続けてかなりの強度となった新聞紙の固まりで、私は辺見を殴り倒した。

「へぶぁ!!?」

 奇妙な悲鳴を上げて、辺見が昏倒する。


 ミルウォール・ブリック。


 それは1960~70年代のイングランドで、悪質なサッカー観戦者たちが携帯していた隠し武器だ。

 素材は新聞。ただそれだけ。

 ひたすら硬く硬く丸めて作った新聞製の打突武器である。

 

「見たか辺見。これが、新聞の力だ」


 辺見は何も答えない。気を失って、白目をむいて倒れていた――


   * *


 十数分間気を失っていた辺見は、「ぅ――」と呻いて目を開けた。

 憑き物が取れたような、すっきりした表情をしている。


「目が覚めたようだな、辺見」


 私は辺見に手を差し伸べた。

 辺見は、申し訳なさそうな顔で私を見上げている。


 辺見は不良の真似事をすることで不満を吐き出し、誰かに助けてもらいたかったのかもしれない。

 お前を赦そう。と、言葉で言う代わりに、私は少しだけ微笑んで見せた。


「……先生」

「あぁ」

 新聞部に戻りたいのか? 良いだろう。お前の更生を歓迎するぞ――と、私は言うべき言葉を準備していた。


「先生、俺を――」


 ところが。


「俺を、もっともっと殴ってください」

「あぁっ!?」


「こんなに興奮するの……俺、初めてです。はぁ……はぁ……最高……です。お願いします……先生、もう一度その新聞で、俺を――思いっきり……」

 

 はぁはぁという、異様に熱っぽい吐息。目を潤ませて私にすり寄り、懇願してくるその姿を見て、私はぞっとした。


 どうやら私は、辺見を異常性癖に目覚めさせてしまったようだ。


 これはまずい。


「待ってください、先生! せんせーーい!!」


 男子生徒に変態的な目覚めを与えてしまった中学教師――そんな見出し文句とともに新聞掲載される自分の顔を幻視して、私は一目散に逃げだした。

 

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