ヘブン・インサイド・オンライン
片山順一
内なる天国
『ヘブン・インサイド・オンライン』
それは、VRMMOゲームだ。
プレイヤーは、人間、亜人、魔族などあらゆる種類のアバターとして、ホーウィックという異世界に転生。
1から300のレベル帯に合わせたダンジョンへ赴き、世界を侵食する魔物と戦う。
ソードマン、マジシャン、ヒーラー、ハンター、シーフ、グラップラーといったオーソドックスなクラスチェンジシステム。
数万ともいわれるアイテムや武器防具を駆使して、目指すは世界の果て、ゴールダンジョンに生息する、滅亡因子と呼ばれる魔物を倒すこと。
ありきたりなゲームに、全国三千万人ともいわれるプレイヤーが夢中になる理由。
それは、電極による脳と脊髄の刺激で、意識の全てを移し込むことができる、初めてのゲームだったから。いわゆるフルダイブというやつだ。
俺とて、例外ではない。
プレイすること、一万とんで、八百時間。
とうとう、三千万のうち、辿り着いた者が、たった十数人。
世界の果てのゴールダンジョンのクエストに赴いた。
強力な魔物、滅亡因子とは、一体どんな奴なのか。
ゴールダンジョンは、ダンジョンと名ばかりの、爽やかで清潔な場所だった。
一面に広がる青い空の中に、浮かんでいる綿雲。その雲そのものが、足場となりプレイヤーを支える。
レベル293のソードマン、『ジオ』こと俺。
レベル285のハンター、『サラ』。
たった二人で構成されたパーティは、並み居る魔物を次々に突破してきたが、道中、順調とは言えなかった。
雑魚は、プレイヤーの体力を適当に削ってやられるのが仕事、というのは、どのプロデューサーの言葉だったか。
ここの連中は、いやらしさに特化しているのだ。
まず、手数。この前にクリアしてきたダンジョン、地底宮殿で出た、道中の雑魚が、三百くらいとするなら、その五倍は居る。
目玉の黒と白が逆になった、まがまがしい天使、マッドエンジェルという魔物。こいつは回避率無視、かつ防御無視の攻撃を行う。
威力は大したことがない。俺たちのヒットポイント、25000と22000に対して、一発につき100から120。
数値は蚊が刺したようなものだ。
が、百匹近くも同時に現れ、一斉に攻撃してくるとなったら、話が違う。ゲームの仕様上、現れたら全員倒すまで先に進めない。
いやらしいことに、回避率がかなり高く、ソードマンの俺の先制、全体攻撃スキル、『ファストバッシュ』では、十数体が、かわして生き残ってくる。
ハンターであるサラの必中、クリティカル率大幅アップの全体攻撃、『ストームショット』が補わなければ、反撃でハチの巣にされているだろう。
一発100でも100発もらえば、体力20000の半分近くを削り切る計算だ。
レベル10くらいの頃に出会い、意気投合してやってきた俺とサラ。
高火力と高い防御力、回避率でダメージを防ぎ、敵を殲滅するのが基本戦術だ。
このゲームにおいて、レベル30帯と、150帯くらいにしかでてこない、必中や防御無視の敵が、最終局面でこれほどの数で現れるとは。
正直予想外だった。
千体を超えるマッドエンジェルを切り伏せ、撃ち落としてやってきた最後の部屋。
雲の上に設置された巨大な扉の前に、俺とサラはたたずんでいた。
※※ ※※
ハンターの最終装備は、個性的なものだった。ブーツは黒と白のストライプ、フード付きの外套は黒、胸元とへそを大胆に露出した胴衣は白。
色彩自体は葬式のそれだが、目の覚めるような銀色の髪をした、サラの神秘的な美しさを十全に引き立てている。
背負った弓は、弦を結んだ端の部分に、それぞれさっきのマッドエンジェルの灰色の羽と、レベル240帯で出てきたリトルデーモンの蝙蝠の翼をあしらってある。
対する俺は、十字架をかたどった二本の片手剣に、レベル240帯のボスから手に入る素材をふんだんに使ったフルメイルだ。
金属板を多量に使い、兜には勇壮な角飾り、具足の先には爪まであしらった俺の見た目は、鈍重に見えるだろう。だが、これでも全職種で三番目くらいの素早さがあるのだ。
今の俺たちは、さしずめ、地獄の射手とそれを守る地獄の戦士といったところか。
「とうとう、来たのね」
「まあ、な」
付き合いはレベル10帯から。フルダイブの感覚の中で、牙をむき、武器を振りかざしてくる魔物とは、数え切れぬほどたくさん戦ってきた。
サラでなければ、乗り越えられなかっただろう。
あちらのプレイ時間も、軽く見積もって八千時間はあるだろう。
「私たちが、一番じゃなかったのが悔しいわ」
「いいじゃねえか。ネタバレしなかったんだ」
なぜか、滅亡因子を討伐したプレイヤーは行方が分からなくなる。
よっぽどダメなエンディングだったのか。それとも、みんなそろって飽きてしまうのか。
全然分からないが、ここに到達した十数人は、以降このゲームにログインしているのを見たことがない。
積み重ねて来たものは、終わってしまうのか。少し感慨深い。なんとなく言葉を失っていると、サラの手が俺のマントを引いた。
「……約束、ね」
こっちを見上げる灰色の瞳。サラの種族は、その美しさが王侯貴族や将軍すらも惑わすという、レイスピープルという連中。地底深くに住み、地上にあこがれ、ときどき現れる貴重な種族。
「分かってるよ」
俺はあえて、ヒューマン、ただの人間を選んだが、それでも精悍で力強い印象の顔つきにクリエイトされている。
抱きしめたが、鎧のままなのがもどかしい。温度が伝わってこない。
「ここがゲームの中だなんて気にしない。私は、あなたに全てを捧げる」
「俺は受け取る。もう現実は、関係ないからな」
ラスボスである滅亡因子を倒したその時、一線を越えよう。
俺たちのジョブでは、最も成長と勝利が困難なレベル150帯で、立てた誓いだ。
「初めてよ、私、こんなに心が沸き立つのは、初めて……」
何万と弓を引いてなお、滑らかな小さい手が俺の指と絡む。
強い血が体を駆け巡るようだ。これが、人を愛するということか。
俺はサラを抱き寄せると、フードをめくった。絹糸のような銀色の髪が玉の肌を彩る。鮮やかな唇を奪った。
「……サラ。最後だ、行こう」
「ええ……」
見つめ合ってから、二人で扉を開く。最後の雲、滅亡因子めがけて――。
※※ ※※
青い空はそのまま。だが、風景は一変。
ここは、ビルの一室だった。空がそのままなのは、相当な高層階に居るせいだろう。
体から重さが消えている。鎧、剣、具足、数千時間をかけて集めた全てが、はぎとられていた。
代わりに体を包んでいるのは、ただのジャージ。量販店で売っている安物だろう。空調が聞いているから、熱くも寒くもないが。
目の前には長机があり、四人の眼鏡にスーツ姿の男性が何やら書類をめくっていた。
「ジオさん。席へどうぞ」
有無を言わせぬ調子に、俺は椅子に座ってしまった。
男の一人が、ストップウォッチを押した。三分間を計っているのか。
「えー、君みたいな人は一杯居るから、こっちも三分くらいしか時間取ってられないんでね、さっさと決めてほしいんだけど」
「ど、どういうことなんだ、ここは、サラはどこへ」
「現実ですって言えば分かる? ヘブン・インサイド・オンラインは、生きる気力がなくなった人のために国が金だして作ったゲームなんだ。けど容量の制限があるから、来た人には、いずれクリアしてもらうことになる」
『現実』、忘れていたもの。
「つまり、安楽死か、生き直すかだよ。失業率80パーセント、お金持ちと貧乏人が、同じ空気を吸わなくなった現実でね」
80パーセント。失業率が。
金持ちと貧乏人が、同じ空気を吸わない。
思い出してきた。
ヘブン・インサイド・オンラインは、国主導の開発だった。数千万人もプレイヤーが居るのは、それだけ人間が余り倒しているからだ。
2020年から、何年過ぎたか、思い出せないが。自殺率も劇的に上がって、生活保護費もパンク寸前。にっちもさっちもいかなくなった国が、大企業と協力してフルダイブのVRゲームを作り上げた。
ゲームにつながれた、ただの肉塊の方が、生活保護者よりまだ生存のコストが低い。
VRゲームの世界で、戦い続けることは、現実を生きる苦痛を軽減する。
俺は、安楽死施設に居たのだ。
「……思い出したね。じゃあ決めて。あと一分しかないよ」
「サ、サラは」
「ああ? もう決めたみたいですね、ほら、外。Qの89の、7のカプセルだよ」
手元の書類をめくりながら言った面接官。
外から青空が消えている。広がるのは、リノリウムの床にある一人用のカプセルを、管理ドローンが見守っている無機質な光景だ。
カプセルの底が開き、ヘッドマウントディスプレイにつながれていた、白衣の塊が落ちていった。
「先がないと見たんだね。一万時間で英雄になって、頑張ろうなんて人もいるけど、大体戻ってくるんだ。君はどうする?」
力が抜けていく。ガラスは分厚い。
「おれ、は……」
※※ ※※
渡された薬を飲むと、俺はベッドに横になった。
ゲームと接続された部品には、脳や心臓の活動ペースをコントロールする機関があるが、そこから即効性の毒薬が流れる。
穏やかに眠るように死ぬために開発された薬物だ。
生命が消えれば、サラのように施設下の培養層に落とされる。そこで、死体からは医療実験用のあらゆる臓器を取り出され、残りが、食用藻類の培養に使われる。
意志ある人間ではなく、肉塊としてなら、俺たちでさえ役に立つからだ。
ヘブン・インサイド・オンライン。
現実に絶望したこの国の人間のほとんどは、自分の中の天国を見つめて、緩やかに生を手放す。
ゲームは、生きる苦痛を軽減するのだ。
ヘブン・インサイド・オンライン 片山順一 @moni111
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