「ありがとう」か「ごめんなさい」か

turtle

第1話

あれ、ここはどこだ。

病院のベットにしてはふわふわしすぎているし、周りに光が満ちている。

「お目覚めですか?。」

 貧相な初老の男がグレーの服を着て横に立っている。誰だ、と言おうと身を起こした俺に

「ああ皆さん同じ挙動をされますね。お気にされず、私はこの世とあの世の橋渡し役です。いわば天使ですよ。」

 天使という面か、というこちらの気持ちが伝わってしまったのか

「そりゃ私だって若い頃は紅顔の美幼児でしたよ。でもこれだけ長い時代を経れば、歳だって取って当たり前でしょう、それに、、、。」

 自称天使老人は口ごもった後、こちらに向き直り、再び口を開いた。

「さて、貴方の今世での残り時間は最後の3分間となりました、これから3分間だけ元の世界に戻れます。何をされるか考えてください。」

「ちょ、ちょっと待って、それはつまり俺は死んだという事か?」

 身を乗り出す俺に老天使は肩をつかんで押しとどめて

「どうか落ち着いて。貴方は昨晩取引先との飲み会の帰りで足がもつれ、車道に出た所、居眠り運転しているトラックに撥ねられて、集中治療室に居ます。」

 天使の言葉から記憶が蘇る。昨晩俺は会社の重要取引先と接待をしていた。会社の再生をかけており、何とか契約を取り付けたく、4次会まで接待し、酒豪で鳴らした俺も流石に足元がふらついて、、、。

「こうしちゃおれない!会社に戻る!」

 天使はため息をついた。

「オーナー社長は往生際が悪いですね。会社命だからしょうがないか。本当はルール違反ですが、この場合しょうがない。貴方の下界での様子を見せてあげましょう。」

 天使が屈んで指さすと、そこから雲の合間のような隙間が出来た。俺は慌てて下を見ると、自分が病院の集中治療室に横わたり、何本ものチューブにつながれているのが視えた。周囲に妻子と秘書が涙を浮かべて立っている。

「これでご納得いただけましたか?」

 俺は項垂れた。

「それでは最後の3分間に何を伝えるか考えてください。」

「そりゃ決まっているだろう。取引先との約束を伝え、会社の戦略、、。」

 天使は呆れた顔で両手を開いた。

「まだ仕事がどうこう言っているんですか?それよりも残された家族に言い残すのが人の道というものではないですか?取引先との約束はとうに会社に伝わっていますよ。これからの方針だって普段の社長の言動で分かるってもんですよ。常日頃男は背中で語ると言っていたではないですか」

「、、良く知っているな。しかし、それ以外思いつかないのだ。」

 天使は肩を落とした。

「それでは、家族に”ありがとう”か”ごめんなさい”、どちらかをおっしゃったら如何でしょうか?。」

 天使が言うことももっともだ。妻は会社が小さい時から会計係として事業を手伝ってくれた。毎日昼には従業員に弁当を差し入れまでしてくれた。従業員一体となって会社が成長したのは内助の功によるものが大きい。息子の受験も妻の裁量に任せたが、見事期待に応えて志望校に合格してくれた。

「うん、そうだな。俺は妻に感謝の念と息子に妻を託す言葉を伝える事にする。」

 天使は怪訝な顔をした。

「貴方のされたことを考えると、それは如何なものでしょうか。」

 天使はじーっと俺の顔を見る。俺は顔を徐々に伏せていった。俺は会社が大きくなるにしたがって調子にのって浮気を繰り返し、挙句は銀座のママの旦那になった。それが元で妻と諍い、息子が引きこもりになっても反省するどころか秘書に対応を任せっきりだった。

「思い当たる節があるようですね。」

「、、、悪かった。」

 天使は俺の方を叩き、言った。

「私はどちらでもいいと思いますよ。ただ後悔なく、あの世に旅立って頂ければいいのです。それが私の望みでもありますから。」

 俺を天使の手を握った。皺だらけのその手を握り返し、天使は言った。

「これから貴方を3分だけ元の世界に戻します。どうぞ心残りないよう。」

言葉と共に天使の姿が薄くなっていった。


 目覚めると、俺は集中治療室でマスクをかぶりながら横渡っていた。俺が目を開くと、妻が涙でハンカチをぐっしょりにじませて俺の顔を覗き込んでいた。

想いを伝えようと口を開きかけた所、

「貴方、ありがとう。」

 妻は嗚咽をこらえつつ言った。ああそうか、妻はやはり俺に感謝していたのだな。これなら俺は後顧の憂いなく旅立てそうだ。だが、横にいる秘書と手を繋いでいるのが見えた。

「貴方、ありがとう、会社を立て直してくれて。そして彼と会わせてくれて。私達息子の事を相談しているうちに心を通わせるようになったの。」

 秘書が口を開いた。

「社長、奥様の事は安心してください。会社も命がけで立て直していただいたおかげでご子息が卒業して後を継がれるまで大丈夫です。社長のお考えは従業員皆に伝わっていますから。」

ちょっと待って、と喘ぐ俺に息子が手を取った。

「親父ありがとう。ああ良かった、言っておきたかったんだ。母さんの事で恨んだこともあったけど、こうしていい人を残してくれて。会社は僕ががんばって父さんの遺志を継ぐよ。」

 俺の手はだらりとたれ、意識が薄れていった。


「やれやれ、また駄目か。」

 老天使は呟いた。

「なんと人間は欲深い事か。会社が第一って言ってたじゃないか。それを叶えたんだから本望だろうよ。まてよ、下手に妻子とか言い出したから悪かったのか。」

 老天使は自らの額を叩いた。年々広くなっていく。

「人間に最後の3分間を与え、後悔なく旅立たせれば天使は天上界入れるのに。こんなに長くかかるとは思いもしなかった。」

 老天使は空を仰いだ。


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