1-10 メイヤー・オブ・シンプルトン その2


 メイヤー・オブ・シンプルトン!

 後に竹落葉日々季自身も知ることになる名、この名こそが彼女の能力の名前だ。

 その機能は至ってシンプルである。

 『市民を正解に導く』!

 彼は市民にとっての最適解を、共に考える。

 方策を思考して施行するまでが市長の仕事。

 実際に稼働するのは、市長と共にある存在―――市民、つまるところが結局は日々季の頑張りにかかっているのだ!


 ※


 トイレに辿り着く―――簡単そうなことが、今の状況ではできそうもない。


 トイレは個室で、浴室と隣接している。

 ふつうなら20歩程度で辿り着けるが、移動力を著しく制限された現状の日々季にとっては長い道のりだ。スムーズに到達できる自信は無い。

 歩くことは困難だが―――

 転がる、もしくは這いずることは出来るだろうか?


「どうであろうな。

 君の身体が溶け出したのはシャワーを浴びてからだったな」


 そのとおりだ。

 冷水ではなく温水を浴びた瞬間から肉体の損壊は激しくなった。

 湯―――それが引き金となった可能性は高い。だが冷水ならダメージを受けないと言い切ることもできない。 


「水分が剣呑だな。

 濡れた床に身体を引きずれば、いたましく皮膚が爛れるかもしれん。歩くよりも大きな被害が見込まれる」


(でも、ここ水場じゃん! 八方塞がりってことじゃん……)


「時間をかけてゆっくりと、周囲のものを検討してやろう。

 まず、ひと一人分が入るカラの浴槽。

 手が届くところに冷水・温水どちらも出る蛇口。

 温水を噴出しているシャワーは、壁面のシャワーかけに設置されている。

 壁際には身体を洗うためのタオル。目が粗く、サイズも小さい。

 添え付けの棚には、剃刀、リンスインシャンプー、コンディショナー、それから化粧水と乳液。床には湯おけが裏返しに転がっている。これは被れるサイズだ

 排水口には髪の毛を集めて捨てるカバーがついておる。もう君の髪の毛がいくつか絡まっているな」


 ありきたりの道具しか無い。

 水分を除去したり、身体を包み込めるようなものは見受けられない。

 強引に、身体にムチを打って外に出るしかないのだろうか。

 だが、さきほど時間を動かした限りでは、荷重に耐えながら身体を動かしたとして、洗面所まで飛び出るのが精一杯のようにも思えた。


「君自身の目算として―――動ける範囲は狭い。

 出られないと仮定して、対案を考えよう。トイレは狭かったかね?」


 日々季は、ひととおり室内を案内されたときのことを思い出した。いたって普通の、二畳あるかないかのスペースだったように記憶している。ウォシュレット付きで、棚板も備え付けてある。


「トイレの床を三回踏み鳴らすと何が起こるのか考えてみよう。

 一に、床下に武器が隠してあり、床を鳴らすことで収納が開く。

 二に、何らかの装置を発動するトリガーであり、三回鳴らすことで我々にとって有利な出来事が起こる。

 三に、単に大きな音を出して階下に異常を知らせる行為である。

 ほか、考えうる可能性はあるかね?」


 こじつければ幾らでもあるだろうと日々季は思った。それこそ、トイレに封じられた魔獣やらを召喚する合図かもしれないし、はたまた、この出来事がぜんぶ幻で、幻覚を見せているガスを停める装置がトイレにあるのかもしれないし。


「それらも、我輩が挙げた一から三のバリエーションであろう。

 つまり、ここで大切なことは、一と二の選択肢は、トイレに辿り着けなければ無意味であるということだ」

 

 当たり前のことを言うな、と日々季は怒りたい気分になる。

 そんな彼女の意志は伝わっているとは思うのだが、市長は等々と演説をぶつ。


「無意味な選択肢のことを考えても仕方がない。

 仮にトイレから召喚獣を呼べたとしてもトイレに行けないのだから、だとすれば召喚獣のことなど忘れたほうが良いのだ!

 トイレには行かない! うむ、これしかないな」


 何ということだ。管理人に指定された方法を、こいつ早速放棄した。

 理詰めと居直りの境界線上で物事を判断しているように思える。

 

「もっとも出来そうなことをするのが大切なのだ。駄目なときはスパッと他のことを考えるに限る。

 この場合、トイレにまつわることで代替が効き、さらに我々の目的と合致した選択肢は三のみだ。つまり、なんでもよいから下に異常を知らせること」


 階下にこの状況を伝える。かつ、風呂場でも可能なこと。

 日々季は、頭の隅で引っかかるものを感じた。そのような結果に達する手がかりを、管理人さんが言っていた気がしたのだ。

 じっと考えることしばし、日々季は―――ひとつの結論に達した。

 まったく馬鹿げた博打だが、試す価値のある方法を見つけたのだ。

 ―――やらないよりは、マシ。 

 ―――ちっくしょう。


(……時間を動かして!)


 日々季の全身に、温水が降りかかる。

 重力の苛烈さを骨身で受け止めながら、日々季は手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Thrill,Shock,Suspense リマスタリング盤 ふるさとほっこり村 @huruhoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る