君と帰る路

橘花やよい

君と帰る路

 学校の帰り、彼女は腕時計をみて顔をしかめた。


「ドラマ始まっちゃう! 早く帰ろう!」


 大きな声でそう叫んで、僕の腕をひいていつもより早く足を進めた。


「ドラマってなんの?」

「知らない? 最近女子高生に人気のドラマ。『解決はスピード勝負』って探偵もの」


 さあ、知らないなと僕が言うと、彼女は大袈裟に驚いてみせた。


「探偵が物凄く優秀でね、三分で事件の真相を見抜いちゃうのよ」

「そんな短いドラマなの?」

「違う違う! 探偵の助手が出てくるのね、その助手の方が主人公なの。優秀な探偵が助手に色々とヒントを与えて、助手が事件を解決するのよ」

「優秀な探偵さまがさっさと事件解決すればいいじゃん」

「駄目なの。その探偵は目立つのが嫌いだから、自分では解決してくれないのよ」

「でも助手に真相を話して、その助手が推理ショーすればいいだろ。なんでヒントしかくれないのさ」

「それは助手を育成しようとする思いがあって」


 なんだか僕には理解できないドラマらしかった。でも彼女はとてもそのドラマが気に入っているようで、楽しそうにドラマの説明をしていた。


「探偵役の俳優が好きなの」


 そう言って、彼女はとてもきらきらした名前を口にした。僕には到底覚えられそうにない名前だ。

 最近女子高生の間で人気急上昇中の俳優らしい。美しい容姿と、ミステリアスな雰囲気がいいらしい。僕はあまりテレビを見ないから、出演作品の名前を言われてもぴんとこなかった。


「私、デビュー作の『愛は金槌より重い』の時から好きだったんだよね」


 そんな名前の作品はじめて聞いた。


「あの時はまだちょっとしか台詞がなかったんだけど、もうあの頃からオーラが溢れてたよ」

「へー」


 彼女は腕時計をもう一度確認して、「あ、駄目だこれ」と叫んだ。


「歩いていたら間に合わないよ! 走ろう!」

「あと何分?」

「五分!」


 家まではまだ距離がある。走ってぎりぎり家につけるかどうかくらいだろう。


「録画とかしてないの」

「リアルタイムで見ないと嫌なの! 推しをおがまなきゃ!」


 彼女はあまり足が速くない。

 一生懸命走っているのだろうけれど、僕からしたらとてもちんたらした走りだった。彼女は早くも息が乱れてきている。


「もうね、本当にかっこいいの! めちゃくちゃかっこいいから、あんたもドラマ見た方がいいよ!」

「そうですか」


 彼女はとても楽しそうに、その俳優の話をする。どんどん声のボリュームが上がっていて、興奮しているのだろうことが分かった。

 僕はそんな彼女に妙に腹が立った。相槌もどんどん適当になる。


「なに? なんか機嫌悪くない?」


 彼女はむっと眉を寄せた。僕が雑に返事をしていることに気づいたらしい。


「機嫌悪くてもドラマ見たら元気になれるからさ! 早く帰って一緒にドラマ見ようよ! 本当に探偵かっこいいんだから!」


 ねっと彼女は笑う。


「私、ずーっと彼のこと応援してたからさ、最近人気でてくれて嬉しいんだよねー。まじでかっこいいの。一緒に見よう!」


 人の気も知らないで、彼女は元気にそう言った。僕はやっぱり腹が立った。

 だから、僕は足を止めた。


「僕は興味ないから、さっさとお前だけ帰ればいいだろ。勝手に人のことまで走らせて、迷惑なんだけど」


 本当はこれくらい走ったところで、そこまで疲れてもいないし、迷惑だとも思っていない。でも腹が立っているのだから仕方ない。

 彼女は驚いたように目をぱちぱちとさせた。何も分かっていないような彼女の表情に、僕は無性にいらいらした。

 そして僕はいらないことまで言ってしまった。


「だいたい、デビュー作から応援してたからって古株自慢かよ」

「別に自慢なんてしてないじゃん!」

「お前なんかに応援されたところで、俳優も嬉しくないんじゃないの。それに、こんな声だけでかい女に応援されたら、その俳優もうるさくってたまらないんじゃないか」


 そう言ってしまって、僕は「あ」と口をつぐんだ。

 恐る恐る彼女を見ると、随分と傷ついた顔をしていた。制服のスカートをぎゅっと握って、泣きそうになる。

 彼女は昔、声が大きいことをからかわれていた。そのせいで、今も自分の声のことを言われるのが嫌いなのだ。

 僕は彼女の声は元気があふれていていいなと思っていた。ただ、この時はとてもいらいらしていて、そんな彼女の声も癪に障った。


「あと三分」


 彼女はぽつりと呟いた。


「ドラマ始まるまであと三分もないや。私、先に帰るね」


 そう言って彼女は僕に背を向ける。そして先程よりももっとずっと早く、わき目もふらない様子で走り出した。


「結局ドラマかよ」


 僕は吐き捨てるようにそう言った。

 あんなに無我夢中で走ったら危ないよ。彼女のことだから、つまずいて転んでしまうのではないか。そんなことを、普段の僕なら思っていたと思う。そして彼女に駆け寄っていたはずだ。

 でも、僕は本当に腹が立っていて、普段の行動ができなかった。


 彼女はスカートを揺らしながら、住宅街をかける。

 一心不乱に走っていた。

 僕はそんな彼女の後ろ姿を眺めていた。

 そうしたら、急に彼女は。

 急に何か大きなものがきて。

 彼女の体が。

 吹き飛んでいた。




 僕はテレビをつける。

 ニュースでは見知った道にリポーターが立って何事かを話していた。道路についた黒い血の跡が画面に映る。

 スピード違反に、一時停止無視、ひき逃げ。あの日、交通違反を犯した車は、彼女の体をいとも簡単に吹き飛ばした。

 重い音が、今でも耳に残っている。

 彼女は地面にうつ伏せになっていた。僕は動けなかった。

 車は少しだけ止まって、急にまた発進した。

 彼女の体をふんずけて、ひきずって、でたらめな動きで車は走っていった。

 彼女は数メートル地面の上を引きずられた。赤い跡が地面に刻まれた。

 車のエンジン音が、引きずられる彼女の体が、赤い跡が、頭から離れない。

 僕が最後にみた彼女の泣きそうな表情が、頭から離れない。

 あの時。あと三分だけ。

 僕が彼女についていてあげたら――。

 僕がもう少し大人になれていたら――。

 もう少し、優しくしてあげていたら――。

 たったあと三分だけ――。

 どうして僕はあんなことをしてしまったのだろう。

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君と帰る路 橘花やよい @yayoi326

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