ババ抜き二人きり
夢月七海
ババ抜き二人きり
「好きな画家は?」
「サルバドール・ダリとヒエロニムス・ボスとヘンリー・ダーガー」
手札を睨みながら僕が正直に答えると、目の前に腰掛けた彼が噴き出した。
「こじらせてるな」
「よく言われるよ」
僕は肩をすくめる。
実のところ、「こじらせている」と言われるのはまだいい方で、真正面から「趣味が悪い」と言われたこともあった。
「君の方はどうなの? 好きな画家は誰?」
僕が三のペアをテーブルの上に置きながら尋ねると、少なくなったトランプの束をシャッフルしていた彼は、気まずそうに目を逸らせた。
「いや、正直に言うとな、絵を鑑賞する気持ちってやつが、よく分からないんだ」
「へえ」
「ただのインクの染みを見て、なんで感動するのかが、ずっと分かんなかった」
自嘲交じりの言葉を吐きながら、彼は手札を扇形に広げた。目線で僕に合図をする。
先程のゲームは僕が勝ったので、今度は僕から引くことになっていた。
「まあ、変わっているね」
「だから、仕事を長ーく続けられてんだろうな。人の心ってやつを理解できないから」
新品の匂いが残っているプラスチックのトランプを一枚、彼の手の中から取る。
ハートのエース。ペアがすぐに見つかった。
「でも、他にもいると思うよ? 絵画鑑賞の面白さが分からない人」
「小説とか映画を見ても、つまらないとしか感じないんだぞ? 可笑しいだろ」
彼は諦観を淡々と語る。声色には自虐すら含まれていなかった。
「趣味はあったでしょ」
僕は彼を擁護するようなことを勝手に口走っていた。
彼が僕の手札から一枚抜く。そして、自分の手札から一枚取り出して、乱暴にキングのペアをテーブルの真ん中に叩きつけた。
「ねぇえよ」
彼の重苦しい溜め息が、窓もドアのない長方形の空間に放たれた。
「ずっと仕事漬けの毎日だった」
今度は僕がカードを彼の手札から抜いた。現在、彼がジョーカーを持っているので悩んでしまった。
ジャックのペア。ほっとしながらそれを捨てる。このゲームも、三分以内に終わりそうだ。
「殺して、殺して、殺して、殺し続けた」
彼はまだ、僕の手札を抜かない。
頬杖をついて、口元だけがゆがんだ笑みを形作っている。
「そんな男に、価値があると思うか?」
「……すぐに人生に対して、価値とか意味とか付随しようとするのが、人間の悪い癖だと思う」
ちょっとむっとした僕は、いつも思っていることを彼にぶつけていた。
すると彼は、快活そうな声で笑った。
「それは間違いないな」
やっと彼がトランプを抜いた。今度は四のペア。
そして、自身の右側に置かれた、湯気の全く出ないコーヒーカップを見た。
「何か飲むか?」
「大丈夫」
僕は断ったが、彼も新しくコーヒーを入れに行こうとしなかった。
僕らが座っているのは部屋の真ん中のテーブルで、左にはキッチンが、右には本棚が置かれていた。
キッチンにはシンクがあったが、そこは水道が繋がっていなかった。生活用水は、小型冷蔵庫内のミネラルウォーターを使っていると彼が教えてくれた。
また、コンロは最初からついていなかったらしい。
本棚の方はすかすかで、入っている本は聖書や仏典などだった。それ以外は、ジグソーパズルとかルービックキューブとか、このトランプも合わせて、暇つぶしの道具が入っていた。
彼が座っているのは、本棚に入っていた本を重ねたタワーのようなものだった。この場所には、椅子が一脚しかなくて、それを僕に譲った結果だった。
「飲みたくなったら、遠慮なく言えよ」
「どうも」
僕がカードを抜くときに、彼がそう言った。今度は十のペアが出来た。
彼はとても気が利く。今は無精ひげを生やして、よれよれのYシャツを着ているけれど、この状況下では仕方のないことだった。
「ババ抜きだと、すぐに終わっちまうな」
彼が手札を抜きながら呟いた。これで残った彼の手札は四枚で、僕の方は三枚だった。
僕は呆れて、溜息をついた。
「ババ抜きをしようと提案したのは、君の方だろ?」
「そうだけどな。存外味気なくてな」
突然ここに現れた僕を見て、彼は封の切られていないトランプを持ってババ抜きをしようと言ってきた。
曰く、喋りたいけれど手持ち無沙汰は嫌だから、片手間に出来るゲームが良いかららしい。
僕がカードを抜いて、六のペアが出来た。
どんどん、テーブルの上にカードの山が積み上がっていく。
「……あとどれくらいか?」
「気になる?」
自身の手札を見たまま、彼が尋ねたのか独り言なのかよく分からない音量で言った。
僕は、伏せた彼の赤毛のつむじを眺めながら返した。我ながら、感情のこもっていない声だった。
「いや、いい」
「そっか」
彼はしっかりと首を振って、僕の手札に手を伸ばす。引き抜いたカードで、七のペアが生まれた。
彼がなぜ時間を気にしているのかは分からなかった。このゲームを早く終わらせたいのか、やはり恐怖を感じているのか。
時計など、時間を測るものはここに置いていなかった。左の角に換気扇があるけれど、それはどういう仕組みだか外からの光が入って来ないようになっていて、彼は今が昼か夜かすら分からないのだろう。
ここの光源は、僕らの頭上を照らす、ちょっと懐かしい気がするくらいの裸電球だけだった。
だが、時計が無くても、体の中に正確無比の時計が内蔵されている僕だけが知っている。
彼の残りの時間は、僕に好きな画家を聞いた時点で三分を切ってしまっていたという事を。
「君はすごい人間だと思うよ」
「そうか?」
こちらを見て、彼は目を丸くした。
僕は頷いて、あの時に思ったことを正直に話す。
「死ぬ間際に、僕ら《死神》の姿を見る人間は別に珍しくは無いんだ。だけど、僕のことを理解した上で、ババ抜きに誘ってくるなんて、とんでもない精神力だよ。少なくとも、僕にとっては初めての体験だった」
「何日間か分からんが、俺もずっとここで一人だったからな。それが堪えたんだろ」
彼はとんでもなく快活に笑った。鉄製の壁に、声が反響するくらいに。
僕は、冗談交じりでも、そう言ってのける彼に感動を覚えていた。
最初のババ抜きの時に、彼は僕に丁寧に説明してくれた。
自分は殺し屋で、これまでたくさんの恨みを買ってきた。ある日、自分が殺した奴らの遺族に拉致されて、このコンテナに軟禁状態された。
「テーブルにあった手紙によるとな、数日後に、ここに仕掛けた爆弾が爆発することになっている。それがいつになるのか分からない恐怖を味わえだとさ。
その割には丁寧だよな、食事はもちろん、暇をつぶせる道具もそろってるんだから。聖書とかは俺の行いを悔いろって意味だと思うけど」
彼はまるで、他人事の温度で話していた。それを聞いていると、この軟禁状態で悟りを開いたのではなく、最初から諦めがついているように思えた。
僕の姿を見てしまったからには、自分の残り時間が少ないことを知っている筈なのに、取り乱さないのはこういう理由があったようだ。
「君はどうして自殺しようとはしなかったの?」
残り二枚になった彼の手札を眺めながら、そんなことを無意識に尋ねていた。
彼は、僕の疑問もごもっともと言いたげに、強く頷く。
「火とか刃物とか、そういうのは最初からなかったけどな、確かに死のうと思えば何でも出来た。けど、俺は監視されているんだ」
彼が指差したのは、僕の背後、右の角だった。
振り返ると、スーパーなどに設置されているタイプの監視カメラが睨みを利かせている。
「俺が怪しい動きをしようとした時点で、ドカンだろうな。遺族の熱望は、その手で俺を殺すことだから」
「それでいいと思ってるんだね」
「ああ。これも、殺し屋商売の代償だな」
満足そうに目を細めていた彼が、ふと真顔に戻る。
「しかし、あれで俺を見ているやつには、この状況がどう見えてるんだろうな」
「さあ。僕の姿がカメラには映っていないのは確かだけど」
「じゃあ、急に独り言を言いながら、ババ抜きしているように見えるんだろうな」
彼は心底嬉しそうに言い切った。
僕は彼の一言に頷きながら、彼の手札を一枚抜く。
「あ……」
それはジョーカーだった。
僕が驚いている間に、彼は僕の一枚の手札を抜いて、上がってしまった。
「こんな時でも、勝てて嬉しいもんだな。これで、俺の勝ち越しだ」
彼が子供のようににやにやしている。もう、新しいゲームを始めるつもりはないようだった。
「あんたとババ抜きをして、純粋に楽しかった。こんな感覚、ガキの頃すら味わったことなかったよ。話し相手になってくれて、ありがとう」
……時間的に、これが彼の最後の一言になるようだ。
僕は、殺し屋の真っ直ぐな視線を受けながら、笑みを返した。
「僕も、この仕事をしていて、感謝されたのは初めてだよ。ありがとう」
彼が感謝されるのも、これが初めてなんじゃないかな。
そんなことを思った直後、カウントがゼロになった。
ババ抜き二人きり 夢月七海 @yumetuki-773
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
箇条書き日記/夢月七海
★34 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1,639話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます