さよなら、パソコン

かめかめ

さよなら、パソコン


十年以上、苦楽を共にしたパソコンを手放すことに決めたのは、東京五輪で贈られるメダルの素材を集めるための都市鉱山プロジェクトの話を聞いたからだった。

パソコンやスマートホンなどに含まれる金属を使うらしく、そのために小型電子機器の無料回収が行われているのだと聞きこみ、新しく買ったデスクトップ型のパソコンで調べてみた。十年物のこいつと違ってさくさく動いて快適だ。

回収されるパソコンは送料もかからず宅配で送れて、その前にパソコンを白紙化するためのソフトを、これまた無料でダウンロードできるそうだと知り安心した。古いノートパソコンのハードディスクを自分で破壊するなんていう高等技術は持ち合わせがない。

さっそくハードディスク破壊用のソフトをダウンロードしようと半年ぶりにノートパソコンを立ち上げた。新しいパソコンを買ってから一度も使わず不用品と一緒にクローゼットに突っ込んでいたからもう動かないかもしれないと危惧していたが、電源コードを繋ぐとちゃんとランプがついた。起動してみると新品を買おうと思った時よりも動作が速くなっているような気がした。未使用期間が、ノートパソコンにとって良い休息になったのだろうか。それでも動作は新しいデスクトップ型のパソコンとは比べ物にならないほど遅い。

パソコンは日進月歩だ。古いやつは使用年数と比例して遅くなったように感じていたが、もしかしたら初めからこんなに遅かったのかもしれない。人は新しいものに慣れてすぐに昔のことを忘れてしまう。のんびりした時間を捨てて、より早く、より軽快に生きようとする。

僕も機械にかまける時間は短い方がいい。仕事も早く終わるし、なにより待ち時間がないというのは快適だ。などと考えながら旧パソコンの立ち上がりを待つ。今日でお別れだと思うと待ち時間にイライラすることもない。なんだか自分がえらく優しくなったような気になる。

「お前には本当に世話になったよなあ」

 旧パソコンに話しかけてみたりする。自分が小説を書き始めたのも、賞に応募するようになったのも、このパソコンのおかげだ。大学のレポート用に購入した時には高すぎると思ったものだが、結局、新人賞をとれたのも小説家デビューできたのも、こいつがいてくれたからだ。手書きではとても十万字以上を紙に書きつけることなどできっこない。

 やっと立ち上がったパソコンの起動音が懐かしい。壁紙のファンシーな花束は彼女が誕生日にくれたものを写真に収めたのだった。そんなこともたった半年で忘れてしまっていた。新しいパソコンに移行していないファイルを開いてみると、小説を書き始めた初期の原稿がごろごろ出てきた。懐かしさに顔をほころばせて開いてみる。やはりかなりの時間をかけてWordが起動する。じっと待つ間、いろいろなことを思い出した。初めて完結させたホラー長編を彼女に読ませたら大笑いされたこと、賞には届かなかったが一次通過した時の興奮、そして大賞と出版社からの仕事の依頼のメールを受信した夜の恐怖も混ざった喜び。遠距離だった彼女とスカイプで話し続けて、プロポーズもこいつの画面越しだった。

 そんなもろもろのことを思いだすと、パソコンを手放すのが惜しくなってきた。いつまでも思い出として取っておいてもいいのではないだろうか。そう思った途端、ノートパソコンはフリーズした。思わずため息がもれる。やはり寿命だ。外形だけ取っておいても中身が動かないのでは思い出もなにもない。データはパソコンにとっての魂だ。新しいマシンに移行すればこのパソコンだって生きているようなもの、人に例えれば臓器移植になるだろうか。

 強制終了して、また時間をかけて立ち上げる。真っ青な画面に写る自分が老けていることにあらためて気づかされる。十年間、毎日見ていたはずなのにパソコン画面を通してだと自分のことがはっきり見えるものなんだな。

 フォルダをすべて開いて必要なファイルの取り忘れがないか確認する。大丈夫だと確信が持てるまで三度、見直した。余計なソフトを開いてまたフリーズしたら困るので、さっさとネットに接続して回収業者のサイトを開いた。機械は新しいライバル機種がやってくると動きがよくなるという都市伝説があるが、こいつもそうなのかサクサクとスムーズに動く。いつもこうなら処分する必要もないのにと、また手放すのが惜しくなった。だがもう決めたことだ。データ消去ソフトのダウンロードボタンを押す。かなり時間がかかるのではないかと予想していたのだが驚くほど短時間で済んだ。こいつも腹を決めたのかもしれない。ソフトを起動するとブイーンという振動音が響いた。完全にデータ消去が終わるまで10時間近くかかるという。このまま放っておいて今日はもう寝ることにした。


 翌朝、目覚めてすぐにノートパソコンの様子を見に行った。ブイーンという音は相変わらず続いていたが、画面に表示されている残り時間を表すプログレスバーはあと3分で最終点まで到達すると告げている。もうすぐこのパソコンと本当にお別れなんだと実感して体の中をひやりとした風が吹き抜けるような寂しさを感じる。パソコンの前に座り、少しだけ残った時間を共に過ごすことにした。

こいつが解体されて金銀銅のメダルになるのかと、今さらながらに思う。オリンピックのアスリートの首に生まれ変わったこいつがぶら下がる。いったい、どんなスポーツのどんな国の選手にもらわれていくのだろう。それを確かめるためにオリンピックの全試合を観戦してみたくなる。できることなら、こいつの晴れ舞台を一目見てみたい。そんなことを考えていると3分はあっという間に過ぎた。画面が真っ白になり、英語表記でデータが完全になくなったことが知らされた。なんだかあっけないほど簡単に、ノートパソコンは静かに眠りについた。

 パソコンを業者に送るためによく拭いてきれいにしてから段ボールに詰める。その見た目はまるで買ってきたばかりのようで、電源ボタンを押せば元気よく起動する気がする。だがもう二度と再会することはない。新しい命を吹き込むために送り出すべき時だ。

「さよなら。お前は俺の金メダルだよ」

 そう言って静かに蓋を閉めた。

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