ゴールまで残り1200m!!

東苑

最後の一滴まで搾り出す


 場所は陸上競技場。

 俺は今まさに400mトラックを走ってる。

 参加している種目は長距離5000m。

 レースは佳境に入っていた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ」


 トラックの内側、電光掲示板が据えられたところに差し掛かる。

 画面をちらっと見た。

 11分20秒。

 レース開始と同時に時間を刻む計測器はそう示していた。


 あと3分くらいか。


 瞬間的にそう思った。

 試合で走ればタイムが出るこの競技。

 自然とタイムに対して繊細になる。

 あと3分。

 つまり、あと3周すればこのレースの勝者が決まる。

 ゴールまで残り1200mを切っていた。


 先頭集団は俺を含め4人まで絞られている。

 相手は全員、見飽きたやつら。

 顔も名前も持ちタイムもよく知っている。


 今日も厳しいレースになるな。


 まあそれはスタートする前から分かりきってたことだ。

 それでも、レースの後半までもつれることが分かっていても、キツさが和らぐわけではない。

 現に、今この瞬間もめちゃくちゃキツい。


 脚が重い。もっと速く捌けるはずなのに!

 呼吸が辛い。吸っても吸っても酸素が足りない!


 もう4000m走ってきた。あと1000mくらいだ!


 そう思って自分を元気付ける。するとたちまち――


 まだ1000mも残ってるのか……。

 こんなキツいペースで最後まで持つはずない……。

 ラスト1周は必ずもっとペースが上がるぞ……。


 弱気な自分がネガティブな情報ばかり吐き出してくる。


 そんなふうに自分の中で戦いが起こっていても、身体は前に進んでいく。

 時計も1秒、また1秒と刻んでいく。


 と、残り2周を切ったところで、先頭を走ってた選手――大迫がペースを上げた……!?


 これはラストスパートではない。相手の心を圧し折るためのペースアップだ。

 あぁああああああキツイ!

 俺を含め3人の選手がすかさずそれに反応し、先頭を追う。

 ここは死んでも離されちゃいけない、勝ちたいのなら! しがみ付け!


 しかし。


「ぁあ! ぁあ! ぁあ!」


 先頭を追う同士の1人――川内が付いて来られなくなり、悲鳴にも似た呼吸音を発しながら脱落した。

 辛そうな川内に同調し、こっちまで心が折れそうになる。


 俺もここでやめてしまい――ふざけるな!  


 川内のキツそうな呼吸音がどんどん遠ざかって行き、すぐに聞こえなくなった。彼はもう戻ってこられないだろう。


 これで先頭争いは残り3人。

 逃げる先頭の大迫をなんとか捉え、また集団が形成される。

 よかった、追い付けた……。

 固まって走ると幾分楽になる。

 このまま集団の流れに乗って走り、ラスト250mからスパートをかけて勝つ! と、ゴールまでの逆算をした瞬間のことだった。


 今さっきまで一緒に先頭を追っていた選手、設楽がペースを上げる……!?

 正気か、設楽! 

 まだ500mもあるんだぞ!?


 でも、設楽が勝つならこのシナリオしかない。

 スプリント力――短距離走のスピードで劣る設楽は、ゴールまでまだ少し距離があるところから仕掛けるロングスパートで、今までのレースを勝ってきたのだから。


 ちょっと待って、設楽! まだ息が整ってない!

 とか言ってる場合じゃねえ!

 追うんだよ、設楽を!


 弱気な自分を叱咤して最後の力を振り絞る!

 設楽の背中がどんどん近付いてきた。

 残り300m!

 もう追い付く。それでそのまま――抜かす!

 この勢いのまま、いや今以上にペースを上げてゴールまで走り切る! 脚はやばい! でも大丈夫! 大丈夫にする! 意味分からん!

 ゴール前までスプリントする力は残して置きたかったけど、勝負を決めるならここだ!

 そう思ったときには設楽を抜いていた。でもその俺の隣を、大迫がもの凄い勢いで走り抜けていく!?


 俺の天下は3日どころか1秒にも満たない一瞬だった。


 マジかよ、やめてくれよ! 殺す気かよ!


 心臓がやばい。レース展開もやばい。


 ほんと楽させてくれねえな!


 でも走るんだよ。

 大迫、追うんだよ。

 それで並んで、引き離して、勝つんだよ、俺が!


 ここであきらめたら絶対後悔する。

 ここであきらめたら今までの4700mはなんだったんだ!

 ここまで頑張ってきた俺に俺は顔向けできない。

 なんであとたった300m頑張れなかったんだって自分を責める。


 そんなこと過去のレースから分かりきってる。

 一生懸命やればいいとかそんな言葉、今は聞きたくない。


 もう考えるな! 身体を動かせ!

 歯を食いしばり、顔を歪めさせ、腕と脚をぶん回す。

 口に向かって何かがせり上がってくる。心臓? 口から心臓出る?


 そして遂に大迫に並ぶ!


「ッ~~~~~~!」


 負けん気の強い大迫が雄叫びを上げる。

 相手の必死な姿に怯む。

 昔、雄叫びを上げられて怯んで負けたことがある。

 これだけ本気なやつになら負けてもいいかと。

 そして今も同じことを思ってしまう。このお人好し!


 でも立ち直る。俺も雄叫びを上げて対抗する。自分を奮い立たせる。 

 同じ失敗を繰り返したくない。あんな後悔はもうしたくない。

 二度と御免だ!


 俺と大迫が並んで走る。

 最終コーナーを曲がり終え、残り100mを切った。

 完全な一騎打ち。

 そう思った瞬間、隣に川内がやってきた。

 川内!?

 設楽じゃなくて川内!?

 お前は随分前に落ちたはずだろ、ゾンビか!

 そんなキツそうな顔してるのに、なんでここまで戻って来られるんだよ!


 ほんとに強い! 設楽も、川内も、大迫も!

 でもこいつらと渡り合ってきた俺も強い!


 もう100mを切ってるのにゴールが遠い。

 スパートした俺たちなら13秒もかからない距離なのに。


 3人横並びになったこの状況。この緊張感。

 心臓が、こめかみが絞め上げられるように痛む。

 意識がぼやけ始め、数瞬前までの絶対に勝ちたいという決意が嘘のように霧散した。


 ああ、そうか……。


 もう自分は出し切ったのか。

 ならしょうがないよな。

 スパートかけるのがちょっと速かったんだな。設楽と同じだ。

 勝負所を見誤ったから、この大一番でガス欠に――ぐっと右手を、左手を握り締める。


 消え欠けた意識を呼び戻すために、両手をきつく握る。

 

 まだ力は残ってる。


 手を握れるだけの力が身体に残ってる。脳の命令をしっかり遂行できる。ってことはだ。


 俺はまだ走れる!


 そう思えたことで力が湧いてくる。喉に痛みが走る。一瞬で喉が干からびってしまったような痛み。


 今、一つ壁を壊せたことを悟る。

 

 身体が前のめりになる。構わない。


 そして。


 俺はゴールテープを一番に切った。


 そして。


 電池が切れたようにばたんと倒れた。


 もう、走らなくていいんだ。

 どくんどくんどくんと心臓の激しい鼓動が聞こえる。

 口の中が鉄の味がする。唾を出したくて仕方ない。


 ああ、死ぬのかな、俺……。


 腕時計をちらっと見る。

 14分15秒。16、17、18……慌てて止める。

 

 確か残り3周のとき電光掲示板見たとき11分20秒だったよな。

 あれから3分くらいしか経ってないってほんと!?

 10分くらい走ってるかと思った。


「お疲れ」


 トラックで仰向けになっていた俺のところに設楽がやってきた。

 設楽に手を差し伸べられ、起き上がらせてもらう。


「お疲れ」


 そう返して抱き合う。背中をぽんぽんと軽く叩く。

 続いてやってきた大迫とも握手する。川内は……レース後に気絶して医務室に運び込まれたらしい。

 

「ああ、マジできつかった」


 心からの言葉だ。


 でも今、すごく気持ちいい。


 自分に勝って。

 競ったライバルたちと健闘を称え合って。


 今までの苦しさが嘘のように最高の気分だ。


 それまでの道のりは険しいけれど。

 ゴールしたこの瞬間があるから。

 どんなにキツくても。

 何度自分に負けそうになっても。


 俺は走るのをやめられない。

 

 この究極の3分間を乗り切ったことで次への活力が生まれるから――



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