【KAC6】砂時計

牧野 麻也

砂が落ち切ったら

 コトリ──


 目の前の椅子に腰掛けた男が、傍にある小さなテーブルの上に、砂時計を置いた音で、私は意識を取り戻した。


 男に見覚えは──ない、と思う。

 黒いスーツにシルバーのアスコットタイ、銀縁の片眼鏡モノクルに、磨かれた黒い革靴。

 安楽椅子アームチェアにゆったりと腰をかけ、砂時計から離した手を胸の前で優雅に組む。

 年の頃は──分からない。

 若いようにも、歳をとってるようにも見える。


 私といえば。

 男と同じデザインの安楽椅子に座っていた。しかし、手首と足首が革ベルトのようなもので椅子に固定されている。


 状況が飲み込めず、左右を見回した。

 何処だろう? ここは。


 見回したそこは、──真っ白な何もない空間だった。


 壁も天井もない。無限に広がる空間だと言われたらそんな気がする。

 唯一、床だけが黒と白のモザイク調のタイル張りになっている事だけが分かった。


「さて。残り三分。時間もないのでサッサと説明させてもらうよ」

 男は、不気味なほど場違いにフンワリも笑いかけてきた。

「僕はクロノス。だよ。

 そして、君は反逆者。

 神の怒りを買い、今まさに消滅の危機に瀕している。消滅のリミットまであと三分。

 そのリミットそのものは、もう僕にも如何ともし得ない。

 君が消滅の危機から脱する為の唯一の方法は、

 ただし。僕にはその言葉を直接教える事が出来ないし、匂わす事も出来ない。

 ただし、その言葉に繋がるであろうヒントを伝える事なら出来る。

 だから、君は僕の言動を注意深く観察し推理して、を見つけるんだよ」

「そんな事突然言われても──」

「押し問答してる暇はないよ。頭上を見てごらん。?」

 男のその言葉に、私は上を見上げる。


 よくよく目を凝らすと、白くボンヤリとした輪郭ではあるが──馬鹿でかい掌が私の頭上にあった。私の身体なんぞ、簡単に押し潰してしまえるほど巨大な。


「あの手は神の手。君を消滅させるためのものだよ。あと三分もしないうちに、君へと振り下ろされる。

 さて。状況が分かったところで、スタートするよ」


 男の言葉を信じるには、いささか状況が飲み込めてないし、胡散臭さも尋常ではなかったが、彼の言う事が本当であったなら。

 時間がない。

 男の横のテーブルに置かれた砂時計──あれが、恐らく三分を計っているのだろう。もう、砂が四分の一ほど落ちている。


 私はコクリと頷いた。


 さて。

 では──君は、僕のカッコイイと思うかい?」


「は?」

 今までの緊迫した雰囲気と、まったく真逆な質問をされて、思わず呆気に取られてしまう。


「悩む時間はないよ? 第一印象、見たままの感想で述べるといい」

 男はニッコリとして答えを催促する。


「……思います」

 顔の造形も整っているし、椅子に座って組まれた足はスラリと長く形もいい。

 変に否定する意味もないように思った。


 すると、男は満足そうにウンウンとうなずいた。

「僕もね、君の事はこの世界の中で最も美しいと思ってるよ! 他人にどう言われようとね!」


 その言葉に、後頭部に鋭い痛みを感じた。

 何?


「もし、、どうなっていたと思う?」


「質問の意味が分かりません」

 まだ鈍痛の残る後頭部。手を当てたいけど縛られてる為それも出来ない。


 男は、途端に笑顔を消してチラリと砂時計に視線を落とす。

 砂は、三分の一が落ちていた。


 素早く考えて、悩まず答えろって事か。


「何と比較してるのか分からないと答えようもないですが……さっきの言葉も合わせるて考えると……一目惚れしたかどうかって事ですか?

 さぁ……したんじゃないですか?」

 そう答えると、男は満面の笑みになる。

 照れたように口角をフニャフニャと上げたので、思わずイラっとして言い募る。


「でも、私造形が整ってるからとか、そういった事で好きにはならないので、可能性の話ですよ。天文学的数値の確率であればって事です」

 私のそんな反撃にも、男は動じない。


「いいんだいいんだ! だよ! 僕はね。最初に君を見た時からとりこになっていたんだ! 可能性があった言葉が引き出せただけで嬉しいんだよ!」


 むしろ、なんか喜ばせてしまったようなので、更にイライラした。


「おっと。しまった。君はこういった直接的表現はあまり好きではなかったね。

 どうも難しいな。


 男のその言葉に、また後頭部に痛みを感じる。

 今度は──何かの影が脳裏に浮かんだ。

 アレは、何? 人? 白いスーツの胸元が見えた気がした。


「さて続きだよ。

 普段冷淡な君だけれど、そういった人間が、、どうなると思う?」


 さっきからよく分からない質問を……

 しかし、男はさっき『匂わす事も出来ない』と言っていたから、回りくどく表現するしかないのだろう。重要な言葉を使わずに。


「自分にそういった一面があるかどうかはこの際置いておくとして……。

 感情に無頓着な人間が、ある時激しい脳内麻薬に支配されたら……

 溺れるんじゃないですか?」


 男が椅子から腰を浮かす。

 どうやら、この方面の答えで合っていたようだ。

「そう……そう思う?! 凄いな凄い!

 もしかしたら、いけるかもしれない!」


 喜びを爆発させる男とは逆に、なんだか段々と気持ちが冷めていく自分を感じる。

 後頭部の鈍痛も酷くなってきてる。


 さっきから、白いスーツの男の姿がチラチラとフラッシュバックしている。

 なんなのコレ、何を思い出そうとしてるの?


 段々、辺りの白い空間が眩しく感じて来た。目の前がチカチカする。


 なんとか視線を男の横の砂時計に滑らせる。

 砂浜三分の二が落ちていた。

 後一分──

 これで本当に間に合うの?


 ああ、頭が痛い……

 白いスーツの男の顔が、見え──


「そもそも時間もないよ?! さあ、頭の良い君ならもう『当たり』の言葉が何なのか、察しがついてるんじゃないか?!

 言って! 当たるまで言い続けてればきっと今度は!!」

 男が、浮かした腰を椅子へと戻し、しかし前のめりになって膝に肘を置いている。

 両手をグッと握りしめて、彼は、『言葉』を待っていた。


「カイロス……」


 私が口から漏らした言葉に、目の前の男は突然厳しい顔をする。

 先程までの柔和な笑顔が突然消え、怒りにも近い感情を出していた。


「何故……この時点でヤツの名前が出るのかな……?」

「見えたから……」

「……もしかして、思い出してしまった?」


 先程からフラッシュバックする男の顔。

 そうだ。

 そうだった、思い出した。

 私が何で『反逆者』になったのか。


「ええ、思い出したわ……。

 カイロス……私の愛しい人。彼のいない世界なんて、意味がないのよ。

 アンタしかいない世界なんて、爪の先程も面白くない。

 だから壊すの。

 こんなつまんない世界を……」


 砂時計の砂が……もう残り少ない。


 思い出せた。

 だから、後悔はない。

 消滅したって構わない。


 カイロスがいない世界なんて、存在してたって


「ああ……またか。

 また君はそうやって拒むんだ。

 そんなにアイツがいい? アイツと僕は同じ顔をしてるんだよ? オマケに、むしろアイツの方が姿をしてるのに。

 同じだろ? 僕とアイツは同じだろ? なんで僕じゃダメなんだ?」


 砂時計の砂が……そろそろ落ち切る。


 私は、やっと思い出せたハッキリとした頭で、アイツに──カイロスを消滅させたクロノスに、吐き捨てる。


「チャンスのない世界なんて、面白くないのよ」


 頭上から神の手が急降下してくる音を聞き、私は目を閉じた。



 ***



 僕は、砂時計の最後の砂が落ち切る前に、砂時計を反転させる。


 さあ、これでまた


 次こそは、ちゃんと言ってくれるかな?


『貴方だけがいればいい』


 って。



 了

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