第3節
『人間だって?』
スラッシュが無線で割り込んできた。
《じゃあ、あのケースの中には》
そこまで打ち込んだところで、即座に返信があった。
《私の脳が入っている》
『なんでそんなことを』
「おそらく、電子頭脳じゃ簡単にクラッキングされるからだろう。クラッカーも、まさか人間の脳みそがのっかっているとは思ってないだろうからな」
とはいえ、これは重大な倫理規定違反だった。
《アンタはどうしてこんなことになっちまったんだ》
《気がついたら船に載せられていた。いつからこうなっていたかなど、覚えていない》
おそらく載せ換えられたときに記憶を改ざんされたのだろう。
《小惑星帯に向かっているようだが、そこに行ってどうするつもりなんだ》
《誰かが私を呼んでいる》
《誰かって》
《分からない。だが、その信号のおかげで、私はこうやって自我を取り戻せた》
コダマは無線の画面を見た。確かに、輸送船の無線は小惑星帯からの信号を辿っていた。
「スラッシュ。この信号の内容がわかるか?」
『乱数だよ。暗号化されているようだけど、僕らには分からない』
コダマはワープロ画面に目を移した。
《私を呼んでいる。呼ばれている。呼んでいる。呼ばれている……》
また言葉の反復が始まった。二つの言葉で画面が埋め尽くされていく。狂気に触れかけた理性が、徐々に壊れていく音が聞こえてくるようだった。
《地球へ帰ろう》
《否。それはあり得ない》
《アンタをこのままにしておけない》
《それはあなたの使命感か? それとも人情か?》
コダマは迷った。そしてしばし時間をあけて答えた。
《両方だ》
嘘だった。本当はどちらも持ち合わせていない。ただ、仕事を片付けたいだけだった。
《地球に帰ったところでどうなる。私もあなたの船と同じ光速船だ。すでに三百年飛んでいる。もう親戚も家族もいない。帰ったところで、どうなる》
《地球に帰って、アンタの境遇を告発するんだ》
《そのあとはどうする》
《そのあとは》
そこまで打ち込んで、コダマは悩んだ。書くことがない。今の自分と同じだからだ。地球に帰ったところで誰も待っている人もいない。ましてこの脳は体も失っている。
何も無い。何も無い自分たち。
《あなたもそうだろう。何のために
コダマは何も言い返せなかった。
《地球へ帰るぞ。お前の境遇は痛いほど分かるし気の毒だと思う。だけど、お前が抱えたまま飛び去った郵便の数々を待っていた人たちがいるんだ。それをせめて届けなきゃならん》
《嫌だ!》
輸送船が急加速した。
《嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!》
「くそっ!」
《嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ》
「スラッシュ! ドッキングを解除するなよ!」
『無茶いわないで! 暴走のせいでドッキングポートに過負荷がかかってる!』
コダマは洗面所へと走った。そしてケースの強制離断のスイッチを押そうとした。途端、洗面所のドアが閉まった。コダマは半身を強かに打たれ、体を引っ込めてしまった。洗面所は施錠され、脳が閉じこもる形になった。
「いってぇ……!」
『過負荷、限界値になる!』
「くそっ! ドッキングを解除しろ!」
『でもどうやって戻ってくるの!』
「あとで考える!」
船の加重が解放される。それとともに、船の人工重力が切られ、船体がきりもみを始めた。コダマは無重力の船内でガラガラともまれ、体をあちこちにぶつけた。
『クソッ! コダマを返せ!』
無線からスラッシュの声が飛んでくる。相変わらずコンソールには一つの単語しか並んでいない。脳は発狂していた。
『コダマ! あとすこしで小惑星帯に到達する! そのままじゃ危ない!』
コダマはかき回される船内で、椅子にしがみついていた。とても動けそうに無い。
このままだと輸送船は小惑星帯に駆け込み、船体をバリバリに引き裂かれて宇宙の藻屑になる。そうなったら、自分はイカレた脳と一緒に宇宙に放り出されることになる。
万事休すだった。光速船に、暴れる船を止める手段は何一つ無い。スラッシュは何もできない。コダマの脳裏に、死という言葉が点滅する。
「スラッシュ逃げろ! お前まで自爆に巻き込まれるぞ!」
『嫌だ! 止めてみせる!』
「無理だ! ドラテクがどうのって話じゃ無い!」
『止めてみせる!』
光速船が輸送船の正面に躍り出る。鼻先を抑えて止めるハラなのだろう。
「やめろスラッシュ!」
光速船は輸送船の上をとった。そして空の貨物室が分離するのが見えた。
輸送船が大きく揺さぶられる。すると速度が遅くなったようだった。貨物室がメインエンジンを粉砕したのだろう。
『再ドッキングする! 備えて!』
光速船が再度ドッキングを開始した。しかし輸送船はスラスターを噴かして船体をヒネった。あくまでも道連れにするつもりらしい。
『コダマ!』
小惑星帯はもう目の前に迫っていた。もうダメだ。
『————・——・——・・——————・——・・・————・——・——・・・・』
無線から信号音が鳴り響いた。コダマは思わず耳を塞いだ。
すると輸送船は姿勢制御を取り戻し、ゆっくりと遊弋しだした。
『コダマ! 今のうち!』
光速船は即座にドッキングした。コダマは痛む体をかばいつつ、ドッキングポートから光速船へと戻った。スラッシュはコダマが戻ったのを確認すると、即座に船を発進させた。
「コダマ! あれ!」
スラッシュが窓の外の何かを指した。そこには複数の、行方不明になっていた輸送船が船団を組んで漂っていた。
「なんだあれ……まさかあれも全部、中身が人間の脳みそなのか?」
「信号の発信源はあの中の一隻だよ」
「……仲間を呼んでいたのか?」
「メールデータを受信した……」
「メールだって?」
ワープロが立ち上がり、文字が打ち込まれていく。
《私は仲間と共に行く》
「勝手なこと言いやがって!」
コダマは口汚く罵った。無線のマイクをひっつかみ、輸送船たちに呼びかけた。
「お前たちが逃げるのは勝手だ! だけどな! そのケツにひっついている郵便物はお前達の物じゃない! 預かり物だ! お前達だってかつては輸送のプロだったんじゃないのか! プロならプロらしく、預かり物を届けろよ!」
すると輸送船たちは、めいめいの貨物室を切り離した。
《私たちにはもう不必要なものだ》
そう書き残して、輸送船たちは小惑星帯の中へと消えていった。
「……!」
コダマはコンソールを殴った。全てを押しつけて逃げていくその様子に、彼の怒りは怒髪天を衝く勢いだった。
*
投棄された貨物室を回収したコダマ達は、その郵便物の量に圧倒された。
「こんなに沢山……」
スラッシュは思わず呻いた。
「……さっさと配ろう」
船はゆっくりと旋回し、小惑星帯の反対方向へと飛んだ。
「気持ちは分かるが、分かるが……」
コダマは操縦桿を握りしめ、ブツブツと呟いている。
「……荷物を投げ出して、大勢に迷惑かけて……それが報復だってんなら、随分と幼稚すぎやしないか」
「……だけど脳みそのむき身にされたほうの気持ちも……」
「だからって、何したって良いってわけじゃないだろう! 俺たちは他人の大事な物を預かってるんだぞ!」
船内を沈黙が支配した。コダマは怒りに、スラッシュは腫れ物に隣り合わせで座らせられている気持ちになっていた。
「……俺も、そのうちああなるのかな」
「え?」
「俺もアイツらと同じってことさ。……毎日荷物を担いで百年二百年飛んで地上に戻る。脳みそだけになっていないだけで、やってることは変わらない」
「……」
「俺は今なにしてるんだ? 仕事を投げ出した奴の尻拭いをしようと思ったらとんだイカレポンチで、今はその後始末だ。ハッ! とんだ笑い話だよな」
「コダマ……」
「俺も脳みそだけになって、宇宙の果てまで逃げたいもんだなオイ!」
「コダマ!」
スラッシュの怒声が響いた。
「やめてよコダマ。僕は、そんなコダマを見たくないよ……」
コダマは前を見据え、荒々しく息をしていた。怒りの余り、みっともないことをぶちまけたことを恥じてもいた。
「……手近なところから行くぞ。光速巡航開始」
船は一時間ほど光速で飛んだ。そして目的地に到着した。
そこは巨大な星雲が傍らにある、連星系だった。黄色の連星が、花のような星雲の上に花托のようにぷかりと浮かんでいる。
「……綺麗だね」
「ああ……」
しばし、二人はその景色に見とれた。
「……俺は何を怒ってたんだっけな」
コダマの言葉に、スラッシュはクスリと笑った。
「何のために働いているのかとか、そんなことじゃない?」
「……そうか……」
どうでも良い。
本当に、そんなことはどうでも良い。
こんなに美しい景色を見られて、沢山の不思議な体験をして……。これほどの贅沢なことが、一人の人間の身に起きている。おまけに、側には良き理解者がいる。それで充分じゃないか。
「……さて、やっつけるか」
「おうともさ!」
光速船はゆく。星の大海原を。
スター・ポスタル・サーヴィス 日向 しゃむろっく @H_Shamrock
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます