つまらない死に方は選択しない  ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

つまらない死に方は選択しない




 次の電車に飛び込もう。


 電車がホームに入ってきたのを見てから、目を閉じればいい。


 一歩、また一歩を前へとかけ出し、電車に近づき、そして、身体を投げ出せばいい。


 そうすればきっと電車が私を無残に殺してくれるだろう。


 通称『マグロ』になって死んでいる事だろう。


 これが私の望んだ死のイメージだ。


 死ねなかったとしても、再起不能に近い傷を負って、この世界からある種の『死の宣告』をされるに違いない。


 その瞬間、苦しいだけのこの世界から私は解放される。


 生きる意味のない、この世界から抜け出せる。


 死ぬ事によって。


 駅に向かってくる電車の姿がホームから見えてきた。


 そろそろ心の準備をしなくっちゃ。


 これでようやく私は死ねる。


 死ぬと決めたのは四日前だった。


 私を馬鹿にしてきた人達に迷惑をかけて死ねる方法が人身事故だと気づいた事もあって、この方法を選んだ。


 これが私を馬鹿にしてきたあの人達に対するささやかな復讐でもあった。


 電車が近づいてきた。


 目を閉じて……


「……ふっ」


 そんな時に、背後に人の気配を感じ取った。


 その人は私に寄り添うように身体を近づけて、耳元に顔を寄せたのだろう。


 吐息が私の耳に軽くかかった。


 全く想定していなかった出来事のあまり、私は閉じていた目をハッと開けてしまった。


「……樋口美幸ひぐち みゆきさん、自殺ですか?」


 耳元で誰かがそう囁いた。


 見抜かれていた事もそうだけど、名前を呼ばれた事もあってか、私はビクッと身体を震わせて、飛び込むことができずに膠着してしまった。


 同時に、自殺しようとしていた気持ちが離散してしまった。


「……誰?」


 私は思わず身体を引いて、耳元に顔を寄せていた人と距離をとって、その人と正対した。


「……あ」


 その人はどこか見覚えのある顔立ちの巫女さんだった。


 左目に眼帯をしているけれども、どこか懐かしいような、苦しいような、そんな思いが去来してくる。


「……稲荷原瑠羽さん?」


 私が知っている稲荷原さんとは何が違うような気がする。


 私と同い年のはずなのに、とても若い。


 私は二十一歳なのだけど、瑠羽はまるで高校生のようなに若々しい。


「姉の瑠羽が樋口さんを家に呼んだ時に、何度か顔を合わせた事がある妹の稲荷原流香です」


 愛想笑いを浮かべるでもなく、懐かしそうに遠くを見つめるでもなく、稲荷原流香と名乗った巫女さんは無表情でそう自己紹介をした。


 稲荷原瑠羽とは小中高と同級生だった間柄で、何度か同じクラスになった事もあって、仲は結構良かった。


 高校を卒業後、瑠羽とは疎遠になってしまって、今どうしているのか私は知らない。


 小学生の頃から瑠羽の実家や神社などで遊んだ事もあったので、妹さんとは何度か顔合わせをしていたはずだけど、どこか記憶はおぼろげだった。


「妹さん?」


「自殺者の霊があなたの周りにたくさんいたので、自殺しようしているところかと思ったのですが違いますか?」


 流香は私の目をじっと見つめている。


「……」


 私はどう答えるべきか思案する。


 この子は私の自殺を止めようとしているのか。


「私はあなたが自殺する事を思いとどまらせるような事はしません」


「なら、どうして声をかけてきたの?」


 自殺しようとしていた事を肯定するような言葉だったけど、あえてそう口にした。


「つまらない死に方を選択するのではなく、百年に一回ある『最後の三分間』で死を迎えるのはどうかと提案しようかと思っただけです。もし気になるようでしたら、私に付いてきてください。次の電車で終点まで行きますので」


 流香は私が飛び込もうとしていた電車の次に駅に入ってきた電車に悠然と乗り込んでいった。


 私は『つまらない死に方』というフレーズが頭にひっかかったので、瑠羽の妹さんを追うことにした。


 私の人生がつまらないから、つまらない死に方にしかならないという事なのか。


「瑠羽は元気?」


 電車が動き出した。


 終電に近い事もあって結構空いていた。


 流香が席に腰掛けたので、その隣に腰を下ろしてそう訊ねた。


「姉は死にました。都市伝説の化け物と対決して無様な最後を遂げました」


 私は絶句して言葉を失った。


 あの瑠羽が死んでいただなんて今日初めて知った。


 しかも、その死を嘲るような言い方をする妹に嫌悪感を抱いて、それ以上何も言えなくなってしまった。


「そんな姉の魂はここにいます。失った左目の中で魂として生きています」


 流香は私の方に顔を向けるなり、左目の眼帯に手をかけてそっと上にずらした。


 そこにあったのは闇だった。


 本来ならば、目玉が有るべき場所に目玉がなく、あるのは深淵の闇そのもの。


 その闇が揺らめいていた。


 これが人の魂というのならば、死んだ後、私もこうなるのか。


 揺らめくだけの闇になるのかな。


「姉はあなたに再会できて喜んでいます。昔のように話せないのが残念だとも言っています」


「……はぁ」


 私は気のない返事をして、流香と魂だけの瑠羽から顔を逸らして、窓の外の風景を見始めた。


 魂は闇。


 死んでしまったら、夜にしか現れない闇にしかなれないという事なのか。


 私はそんな事をぼんやりと考えていた。


 とりとめのない事を考えていると、終点へと到着した。


 その駅で流香が降りたので、私も降りて、その背中を追う。


 流香がタクシーに乗ったので、そのタクシーに乗り込んだ。


 タクシーは山の奥へと入っていき、闇の中でうっすらと浮かぶ漆塗りの鳥居の前で停車した。


 流香が降りたので私も降りた。


 鳥居の先にあるのは、どこまでも深い闇で、その先にある神社を見ることはできなかった。


「気をつけてください。禍々しい者や神様などが大勢来ていますので、下手したら食べられてしまいます。大声などを上げずに静かにしていてください」


 嘘なのか本当なのか判別しづらい事を口にした後、流香は鳥居をくぐり、闇の中へと分け入っていく。


 私は多少の躊躇いを覚えながらも、その流香の背中に付いて行くことにした。


 流香の心が見えない。


 おそらくは自殺する私には関係のない事かもしれないけど、何故か気になる。


「……?」


 道を歩いているのは私達二人だけのはずなのに、人の気配が無数に感じられた。


 息づかいや足音、それに、気配がそこかしこでしていて、なんだか気味が悪かった。


 人ならざる者がいるという事なの?


「今日は百年に一度の日。人ならざる者の意識はそちらに向いていますので安心してください。人を取って食ったりするような輩も今日は大人しいはずです」


「……」


 私の心は見透かされている。


「百年に一度咲く花があります。その名は『阿闍梨の煌めきあじゃりのきらめき』と言い、かつて阿闍梨となった者の身体の一部が種となり、百年という年月を経て花を咲かせるのです。咲いたときにその花は三分ほど歌い、そして、枯れるのだそうです」


「……歌って枯れる?」


 歌う花?


「伝聞なので本当かどうかは知りようがありません。それが事実であるかどうかは今日分かりますけど」


「その花が歌うとどうして死ぬの?」


「高貴すぎて人の魂では耐えきれないという話です」


「下賤だから死ぬ……私には相応しそうね」


「……どうでしょう」


 闇の中から神社の社がうっすらと浮かんでいるのが見えた。


 浮かんでいるのではなく、ようやく見える位置まで来たといったところなのだろう。


「そろそろのようです」


 流香は社から多少離れた位置で立ち止まった。


 するとどうだろうか。


 松明でも灯されたように社と境内とが赤い光で照らし出される。


 光は境内を照らし出したのでは無く、とあるものを見せようと光ったのだと分かった。


 人の顔のような実がなっている赤い葉を持つ、人の身体のような木だった。


 木と感じたのは、根っこが生えているからで、もし根っこがなければ、人と勘違いしてしまいそうだ。


「……始まります」


 流香がそう言うと、人の顔のような実に人の目が浮かび上がる。


 それだけではなく、鼻ができ、口ができ、耳までもが作られ、人の顔そのものへと成った。


 男なのか、女なのか、それさえ分からない中性的な顔立ちだった。


 目が開く。


 口が開く。


 唇が動く。


 歌を歌う。


 声が届く。


 声と認識できるのだけど、音は聞こえない。


 私の魂が下賤だから聞こえないのかもしれない。


 けれども、魂が私の身体から離れようとしているのか、身体の中にある『何か』がふわふわとし始める。


 歌は三分間だったか。


 その三分で私の魂は闇になってしまうのかもしれない。


 死んでしまったという瑠羽と同じように。


 ただの闇に。


 ふわり、ふわりとたゆたう。


 私の魂が。


 私の身体から抜け出そうと。


 ふわり、ふわり、ふわり……。


 そして、私は……


 魂と身体とに分離して……


 歌が聞こえる。


 歌だと分かるのだけど、何も聞こえない、人の耳では聞こえない歌が……


「……え?」


 不意に目が開いた。


 そこにはもう人の顔をした実が成った、人の形をした木はなかった。


 あるのは、どこか郷愁さが漂う神社の境内だった。


 そう……ここは、瑠羽と遊んだ境内。


 瑠羽の実家の神社。


 死んだから、懐かしいこの場所に戻ってきたの?


 それにもう夜がすっかり明けている。


「おはようございます」


 声をかけられた。


 声がした方を見ると、流香が立っていた。


 あの時と同じように巫女服を着て。


「あの……私は……」


 私はまだ生きているのかな。


 それとも、死んで魂となったのかな。


「死ぬに値しない魂と見なされたか、それとも、魂が高貴であったため死ねなかったのか、私は分かりません。好きなようにしろ、ということかもしれません」


 流香は深意がありそうな事を呟いて、社務所の中へと消えていった。


 一人残された私は思う。


 一度死んだものと思って、もうしばらく生きてみよう。


 ダメだったら、今度は本当に電車に飛び込もう。


 確実に死のう。


 そして、私は闇になる。


 瑠羽と同じような闇のような魂に。



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