01

 じめじめとした梅雨も明けて、少しずつ暑さが増して来た。頭上には燦々さんさんと輝く太陽と澄み渡った空の青。

 ジリジリと陽光に焼かれたアスファルトから昇り立つ熱気は、白南風しらはえに乗って肌を焼く。


 謎の女、末那まな透迦とうかと出会ってから三週間——。検査の結果も問題無く、俺はめでたく病院を退院した。

 そして現在いま。俺は彼女から手渡された地図と写真を手掛かりに、彼女が拠点兼住居としている建物を探して暑い陽射しが降り注ぐ中を歩いていた。


 「暑い。なんだよこれ、暑すぎるだろ」


 ここ一週間で気温が一気に上昇して、連日朝から焼け付くような暑さが続いていた。あまりの暑さに少し歩いただけで汗が馬鹿みたいに噴き出してくる。

 天気予報によれば、この炎熱地獄もかくやあらん暑さがあと十日も続くらしい。


 陽炎かげろうに揺らぐ真昼の街の中、暑さに項垂うなだれ、負け犬の遠吠えよろしく悪態あくたいを吐きながら地図と写真と睨めっこを続けて実に三十分。


 比較的新しめの住宅街を抜け、まばらに人が歩くだけの古く寂れた街の中。

 開けた十字路で立ち止まって周囲を見回していると、写真の建物が突然空から降って現れたような唐突さで視界に現われた。


「ここ……だよな?」


 十字路の隅。どちらかというと灰色が主体のかび臭いような街の中には、明らかに場違いな建物。

 中世ヨーロッパあたりの建物をそのまんま摘んで来て置いたような、小規模の集合住宅といった感じの赤茶けた煉瓦造れんがづくりの二階建て。その壁には、夕暮れ空のように深く濃い青紫の花を咲かせたバラが幾重にも絡みついていた。


 少し足を踏み出すと、ふわりと甘く濃厚な如何いかにもバラらしい匂いが漂ってくる。


 軒先には黒いペンキか何かで塗られた木の板に白で《青薔薇亭La rose bleue》と書かれた、繊細な金属製の意匠が施された瀟洒しょうしゃな看板が吊り下げられている。

 透迦から渡された地図にも赤いペンで執拗にこの名称が書いてあるので、彼女がいるのはここで間違いなさそうだ。


「よし、行くか!」


 ごくりと唾を一飲みして、旧びた木製のドアを開けようとドアノブに手を掛ける——。

 次の瞬間、ドアが吹き飛ぶような勢いでバタンと大きな音を立てて開き、ドアが俺の顔面を強打した。


「がッふぉっ?!!」


 俺はみっともない声を上げて後ろへ吹っ飛ばされるように盛大に倒れ込む。


「いってぇ……」

「え?ちょっと、何!?」


 ドア鈴が強く鳴り響く中に混じって、いかにも明朗な響きが鼓膜を打った。


「ちょ、なんか今すっごい音したんだけど!」


 声が聞こえる方向を見ると、そこには俺と同年代くらいの少女が立っていた。

 艶やかな長い黒髪と、強い意志を感じさせる亜麻色の瞳。日本人らしい目鼻にはまだあどけなさが残る可愛らしさが覗く一方で、どこか大人びた雰囲気が滲み出ていた。


「あ!あなた大丈夫?あぁ、ごめんなさい!ホントにごめんなさい」


 少女があたふたと落ち着かない様子で俺の周囲をウロウロしていると、その騒ぎを聞きつけて扉の奥からまた別の声が響いてきた。


「おいどうしたよ、そんなに騒いで。近所迷惑だろうが」


 奥から現れた低い声の主は、長身で体格が良い男だった。その顔はゲルマン系の濃い顔立ちで、その体格と相まって明らかに日本人っぽくない。

 男は少女と俺を交互に見て深くため息を吐くと、その筋張った大きな手をゆっくりと差し出した。


「おい、立てるか?」

「あ、ありがとうございます」


 まだ星がキラキラと瞬くようにくらむ頭を振って、俺は差し出された手を掴んで立ち上がる。


「ん、お前は?……」


 男は突然そう言いかけて口をつぐみ、首を傾げながら俺の顔を爛々らんらんとした目つきでジッと睨みつける。


「ええと、俺の顔になにか変なものでも付いてますか?」

「んあ?いや、暑い中立ちっぱなしというわけにもいかんしなぁと思ってな。まぁなんだ、とりあえず中入れ」


 有耶無耶うやむやな返答で誤魔化されたまま、俺は男に半ば強引に引っ張られるように店内へと入っていった。


 ◆


 思ったよりも広い店内はひんやりと程よく冷房が効いていた。


 外見に負けじ劣らず中も本格的なアンティーク風の仕上がりになっており、ますます異国に来たような錯覚が強まる。

 外から差し込む昼下がりの陽光と内装の明るく淡いオレンジ色のランプの光は、互いにうまく混じって明るすぎず暗すぎず、落ち着いた雰囲気をかもし出している。


「今の時間帯は客も少ないし、適当にどっかに座ってゆっくり休んどけ」

「ありがとう、ございます」


 男は異様なくらいがら空きの店内を指して席を促す。俺はとりあえず、すぐそばにあった窓側のテーブル席に腰を降ろした。


「琴羽、俺は少し奥に行く。悪いがしばらく店番とそいつの相手を頼む」

「はぁーい」


 そう言った男と入れ替わるようにして、店の奥から先の少女が濃い琥珀こはく色の液体がたっぷりと入ったガラスのポットと氷の入ったコップを持って現れた。


「はい、麦茶!」


 綺麗きれいに磨き上げられたコップに冷えた麦茶が注がれる。キン、とコップと氷がぶつかり合う音が静かな店内にこだまする。

 少女は手慣れた様子で素早く麦茶を注ぎ終えると、テーブルを挟んで俺の反対側の椅子にどさりと腰を下ろした。


「さっきは本当にごめんなさい!顔、大丈夫?」

「まぁ気にしないで、お互い運が悪かったんだ」


 俺は結露で水滴がびっしり付いたコップを持って冷えた麦茶を渇いた喉へと一気に流し込む。

 途端に口いっぱいに広がる冷たい感触と清涼感。嚥下すると香ばしい香りと渋みと微かな甘みがふわりと口腔と喉を吹き抜ける。


「……美味しいなこれ」

「でしょ?」


 俺はあっという間に麦茶を飲み干し、氷だけが残されたコップをコースターに置いたところで少女が切り出した。


「ところで、あなたはどんな要件でここまできたの?」

「要件?」

「うん。いかにも健全な一般人がさ、わざわざこんな怪しげでカビ臭くて陰湿な怪しい街の奥まで来るっていうことは?それなりの要件があるってことでしょう?」


 朗らかな笑みを浮かべて不思議そうに首を傾げる少女をじっと眺めながら、俺は三週間前の出来事を改めて思い出す。


《人して怪物を演じるか、それとも怪物として人を演じるのか、貴方が選びなさい》


 人を棄てて人の皮を被る怪物として生きるか。それとも己が裡の怪物を理解し、律し、人として生きる苦悩を選ぶのか——。


 正直言って、あの状況では俺に選択肢なんてものは無かった。前者を選んでいれば、俺はあそこで殺されないたかもしれない。

 だからこそ、俺が後者を選んだ理由は単純だ。俺は死にたく無かった。そこには剣と魔法の世界の勇者のような崇高な使命があるとかそんな綺麗なものではなく、良くも悪くも生き汚い、としての意思だった。


 格好悪いかもしれない。それでも、俺は家族が繋いでくれたこの命を無為むいに扱いたくは無かった。


「あの、大丈夫?へんなコト聞いたかな?」

「え?いや、ええと、末那透迦って人に会いに来たんだけど」

「あれ?ということはつまり、あなたが新しい弟子なんだ……ふーん」


 少女は絵に描いたように目を丸くして俺を値踏みするようにまじまじと見つめる。


「ん?何か?」

「あ、ごめんなさい。バカにしてるわけじゃないよ?!ただ、あんまりにもだったから……」


 その時、入り口が開き鈴が鳴った。

 そして開いた扉の向こうから見覚えのある人物が姿を見せた。


「っ〜!腑抜けた老人どもだ!、くだらない愚痴を聞かせるためだけにわざわざ私を呼びつけやがって!あ〜あ、まったく腹が立つ。あんな連中はこの暑さで干からびてミイラになればいいんだ」


 入ってくるなり凄まじく早口で悪態を吐き出したその人物は、三週間前に出会った魔術師・末那透迦その人だった。


「お疲れ様です、透迦さん」

「あ〜、琴羽ちゃん、いつものカフェオレをミルク多めでとびっきり冷たいのでお願いできる?甘めで」

「はーい、それと透迦さんにお客さんがきてますよ」


 少女は俺をちらりと見てウインクをすると、そのまま奥へと入って行ってしまった。

 透迦と俺だけが残った店内。眠気を誘われる甘い香りと昼下がりの穏やかな沈黙が空気に満ちる。


「客?ん……あ、廉士君?来てくれたんだね!よかったよ、来ないかと思ってた!というわけで、早速だけど助手として協力してくれたまえ」

「え?ちょっ、早速も何もいきなり過ぎやしません?まだ詳しい話も……」


 驚く俺を後目に、透迦はゆっくり立ち上がると女神が宿ったと感じられる程に美しい、それでいてなんだか寒気がするような笑みを浮かべてその右手を差し出す。


「改めまして、よろしく頼むよ新しい我が弟子にして助手、きさらぎ廉士れんじ君。色々頼りにさせて貰うからね」

「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします……」


 俺はいたたまれず、躊躇ためらいを残しつつも透迦の手を取って固く握手をした。血の通った暖かい肉の感触が強く手を包む。


「それじゃ、まず私の部屋に行こう。早速といっても色々と準備をしないといけないからね」


 そうして俺は握手をした体勢のまま、半ば強引に透迦に手を引かれつつ喫茶店を後にした。

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モルフェウスの冠 久遠 離安 @Quaniam

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