みどりから、さくらへ

「見て、翠! ほらこれ!」

「うわあ〜桜だ! 満開じゃない?」

「でもまだちょっと蕾があるね」


 学校のすぐ近く、長くて大きい桜並木道を歩いた去年四月。修了式を終えて帰り道、思わぬ花曇りだった。薄暗い空に負けない明るいピンク色の花弁は、強めの風に揺られて少しずつ散っている。


「ねー、翠」


 彼女が少しだけ、声のトーンを下げて私に話しかけてきた。振り返って彼女を見ると、お揃いで買ったハンカチを握りしめて、彼女は空を見上げていた。


「あと一年で、卒業だねえ」

「そうだね…って、なんでそんな泣きそうな顔してんのよー」

「だってさ〜、もう会えなくなっちゃうかもじゃん〜」


 声を鈴のように震わせて、彼女は俯く。

 確かにな、なんて思ってしまって、私も泣きそうになってしまい、慌てて首を振って、私は笑ってみせた。


「そんな悲しいこと言うなよー! 卒業してもまた会えるじゃん、それに、まだ一年もあるし、ね!」


 瞳を私の顔に向けた彼女の頭に、ひらひらと花弁が一枚舞い落ちる。私はそれを受け止めて、彼女の頭を人差し指でつついて、


「顔上げなよ、さくらちゃーんっ」


 小さな顎を掴んで、くいっと顔を上げさせた。


「くくくっ、くすぐったい!」


 さくらは飛び上がって私から離れ、「もー」と頬を染めた。


「私に顎クイされたくなかったらちゃんと顔上げなっ、ね!」

「…分かったよ」


 さくらは顎を抑えながら頰を緩めた。

 あの時、強い風が吹いて、私達の真上で真新しい花弁が舞ったのを覚えている。




 ♦︎♦︎





「翠へ

 手紙、見つけてくれてありがとう。(翠だよね?)


 まずは、ごめんね。

 なんて書いたらいいのか分からないけど、私には、翠に隠してたことがあります。

 私には、昔から病気があって、最近は落ち着いているけど、余命を宣告されて、もう、一年、生きられるかどうか、と言われました。ほんとに、今でもペンが動かないほど、なんて言えば伝わるのか分からないけど、翠なりに受け取っていいよ。


 三年生の、三月に、私はあなたにあるお題を出すと思います。そう、共同制作のお題だよ。

 お題は「桜」、それ以外思いつかないよ。

 三年生の冬、超寒かったけど、二人で頑張ってお高めのパレッドを買ったよね。

 私がいなくても、いても(いたら恥ずかしいな!)それを使ってください。たぶん教室のロッカーの中にあると思う。引っ張り出してお題の通りの絵を描いてね。

 もしかしたらうまく伝わらないかもしれないね。

 翠は、私の最初で最後の大親友なんだよ。三年間だけだけど、その分濃かった。こんな小さいハガキに収まりきらないくらい思い出語りたいな。

 まあいいか。翠の記憶にもあるよね。それを信じて。

 今までありがとう。

 さくら」


 ねえ、翠。

 翠起きろー! 昼休みだぞ!

 翠のばかー!


 ありがと、翠っ。



「私…っ、まだ、あなたに、ありがとって、言えて、ないよ……」


 なんであなたばっかり、謝って、私の方が、ごめんねって、言わなきゃいけないこと、たくさんあるのに。

 あの時もあの時もあの時も…さくらには既に一年のカウントダウンがあって……でも…私を傷つけないように……。


「描けないよ……」


 あなたの事を考えて、一緒に描くことなんか。

 弱い私には、無理。



「そんなこと言わずに描けよー」

「さくら……私には、無理だよ…」


 机の上には、A4サイズのキャンバスが置かれている。さくらは笑いながらそれを手のひらで叩いた。


「でも私は描きたいな。翠と」


 さくらは筆をとって、私に握らせる。気がついたら私の手には細筆が握られていた。


「ほら、こーやっていつもみたいに、感情の赴くままに! 描けば良いのが出来るよ!」


 肩のくっつくような位置で、私の手を握って、水も絵の具も何もついていない乾いた細筆でキャンバスの上をなぞっていく。私にはそれは、ぼやけて見えなかった。そこにいるはずのないさくらも、涙で見えない。当たり前だ、いるはずも、ないから。でも、なんで声だけははっきり聞こえるの?


「はい、今すぐパレッド持ってきて!」


 さくらに背中を押されて、私は美術室を出て教室に向かった。さくらの教室、空っぽのロッカー、ではなく、少し絵の具汚れが着いた綺麗な木製の白いパレッドが、置かれている。それは間違いなくあの日一緒に買ったもの。さくらが私に、残したもの。


 早くしないと美術室から、さくらはいなくなってしまうかもしれない、と慌てて、急いで手にとって走って戻った。


 おかえり。


 目の前の、彼女は笑う。

 でも、姿は見えなかった。

 声が聞こえるたびに、思い出す思い出たち。


 ちょっとは勉強しなよ、さくら。

 ええ〜、でも絵描きたい〜

 もう…。ってさくら、何この落書き!

 えへへ、面白い?

 面白いけど、…スケッチブック没収!

 ちょっと待ってよー!



 ふと、棚にしまわれたスケッチブックに目が留まる。

 開いて覗くと、そこにはあの時さくらが描いたキャラクターのイラストが描かれていた。


「ふふふっ」


 思わず笑みがこぼれる。それは、私がさくらに壁ドンをしているおかしなイラストだった。傍らには、「カリスマ翠」と大きな字で書いてある。


「ふ……さくらのバカ……」


 でもひょっとして、さくらは全部分かってたのかもしれない。私がこうなるのを予測して、描いて欲しいから、背中を押してあげようって、思ってここまで用意してくれたのかもしれない。


 じゃあ、そんな用意周到なさくらの計画通りにしなくては、私はさくらの親友ではいられないのだ。



 筆洗バケツと絵の具セット、大筆小筆、平筆、イーゼル、椅子二つ分。用意して、しっかりパレッドを持って準備する。あっ、エプロン忘れてた。しっかりと着用。


 さくらに言われた通り、感情が赴くままに、まずは鉛筆で下書きをしてみる。


 …描けるよさくら。私、あなたが思っているぐらいの弱虫じゃないからね。


 モチーフは美術室から見えるソメイヨシノの花。

 それを窓から覗いてみる。すると、木下に誰かがいた。


「…さくら!」


 さくらはこちらを見上げてないけれど、私にははっきりと見えた。あの子は、笑ってる。にこにこ、笑ってる。でも…泣いてる? うつむき気味になって、涙ぐんでる。

 あっ、今すぐ向こうへ行って、顎クイしてあげなきゃ。顔を上げさせなきゃ。


 と思って立ち上がったら、とたんにさくらは顔をあげて、こちらを見た。にこにこ、笑ってる。楽しそうに、嬉しそうに。


「描いて、くれてるんだね」


 そうだよ。

 そうだよさくら。

 共同制作だもん、さくらもこっち来てよ。


 泣き虫だなあ翠ちゃんは。

 さくらもでしょ。



 でも良いか、また二人でお絵かきできるね。

 ね、さくら。

 何?

 ありがとう、それに、ごめんね。色々。ずっと言えなかった。

 あはは、良いってこと。親友なんだしこれくらい共有できてるよ。

 まあね。


 二人で筆を持って、桜色に輝く絵の具を、キャンバスにかざす。


 強い風が吹いて、二人で身を寄せ合って、桜の雨を、一緒に浴びた。

 花弁を踏むのがもったいないから、拾い集めてキャンバスに散らしてみた。

 楽しいこと、一杯するだけの親友だから。

 姿が見えなくても、もう大丈夫。

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春だけの、あなたと みずみやこ @mlz

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