春だけの、あなたと
みずみやこ
さくらから、みどりへ
「ね、もうすぐ卒業だし、最後にここで一作描いてみない?」
三月一日。私と同じ美術部員だった「友達」から誘いがあった。随分前に部活は引退していたけれど、受験が終わってからちょくちょく部室に遊びに来ては、落書きを残す毎日が続いていた、その日だった。
「いいねぇ! 共同制作ってこと?」
「そーそー。お題を考えておかなきゃね、明日までに!」
一年生から部活に参加していくにつれて仲良くなった、今では「最高の友達」は、私の肩を組んで、さらに私の頭をぐしゃぐしゃ撫でると、鞄を持って美術室から出た。
「ま、待ってよー!」
太陽が夕日色に染まりつつある午後四時。絵の具でちょっとだけ汚れた美術室のドアを押して、私達は部室を後にした。
既に授業が終わって、誰もいない静かな廊下を私達はなんとなくぶらぶらと歩いてみる。
「もうすぐ卒業かー」
「作品、式までに描きあげられるかなあ?」
「さあねー! もしかしたら春休み中にまで延長っしちゃうかも!」
「えーっ」
他愛無い会話を、二人は大きな窓の外を眺めながら続けていく。校庭から、運動部の掛け声が聞こえてくる。相変わらずすごい熱気だよね、あの二年生、などと、「友達」はため息をついた。彼女は騒がしいのとか、運動とかがすごく苦手で美術部に入った。だいたい美術部に入部するのはみんな、運動ができない静かな子達ばかりだから、彼女にとってはこの部は一番良いコンディションだったのかもしれない。
もちろん私にとっても。
「じゃあ、明日までね、絶対」
「うん。 じゃあね」
「ちゃんと考えて来いよー?!」
「分かってるよー!」
私達はスクールバッグで一発ずつお互いをぶってから、学校の門の前で別れた。
軽そうな革のバッグを肩に下げてゆっくりと歩く「友達」の後ろ姿を少しだけ見て、私もゆっくりと帰路を進む。さっき彼女が言った絵のお題は、どれもどうもしっくりこなかった。
「共同制作……か。そういえば初めてかなぁ」
思わず普通のノリで共同制作と言ったけど、どうも二人には馴染みのない言葉である。
確かに、絵柄の違う二人で同じキャライラストを描いてみよう、だとか、絵しりとりとかは一緒にやってきたけど、二人で一緒に筆を握って、同じキャンバスの上、肩を並べて一つの本格的な絵画を創るなんて、今までやっている人もあまり見た事ない。
でも、お互い三年間いつも一緒にいたんだから、進学先は別だけど、いつも通りに私達らしいものが出来上がるだろう、と、私は一人で勝手に確信していた。
あっ、そうだ。せっかくだからあれも使ってみよう……。
色々思いつくことがあった。なのに、お題だけはあまり浮かんでこない。いつも直感的に動く私だから、頭の中に出たものを何も考えずにお題にしてしまう。今はそれどころか頭の中にも出てこないけど。
「そっか……卒業…ね」
卒業っていうテーマだとざっくりしすぎ?
卒業っていったら、あの彼女とも離れてしまう。
じゃあ、「お別れ」とか? うーん。ありきたりなのは嫌だな。
そんなこんなで、家に帰ってからもあれこれ考えたけど、結局明日までにぴったりなお題を導き出すことは無理だった。
三月二日。この日は最後のマトモな授業の日だった。
各教科の先生は、みんな「三年間ありがとう」だとか、「頑張ってね」とか、同じような言葉を最後には掛けて、教室を後にしていた。別に特段世話になった先生がいないつまらない私は、退屈で窓の外の空を眺めるほかない。そこで、気付いた。
桜……まだ全然咲いてないな。
ここ最近寒すぎて、桜どころじゃなかったけど、やっと今日あったかくなってきたかもしれない。
桜、か。春という季節にしか咲かない、ピンク色の花弁を付けた大きな木。学校のすぐ前には桜並木の道がある。今は枝を剥き出しにしているだけで寒々しさが増すけど、これが色付いたらまた綺麗なんだろうな……
お題が桜、なんてどうだろう?
やっとそれらしいものが見つかった気がして、私は急いで教室を見渡した。今日あの「友達」には会っていない。隣のクラスだ。
休み時間になったら会いに行こう。そして、お題考えたよ、って、誇らしげに胸を張って言ってやろう。ふふ、あいつの感動する顔が目に見えるぞ。
私は思わず微笑んでしまった。教卓に立つ国語の先生が、別れに関する俳句を詠んでいた。
休み時間になった。
授業の途中からあっけなく睡魔にやられてしまい、先生曰くの有り難いお話を聞き逃してしまった。お陰でクラスメイトから寒い視線を送られた気がする。私は欠伸をしながら教室を出て、隣のクラスに遠慮なく入った。ええと、あいつの席は……一番後ろの真ん中だったっけ。あっ、座ってないな。
教室を見渡しても、「友達」の姿は見当たらない。しょうがない、トイレでも行ったかな? 私は女子トイレや廊下を練り歩いて探した。私から逃げてるのか、どこにも姿を現してくれない。私は職員室に行って、隣のクラスの担任の先生に聞いてみた。もしかしたら休んでるかも? もう、明日までにお題とか言っておいて……。
私はそんな軽い気持ちで職員室の扉をノックして…––––、
ちょうど、その音楽科の先生は電話を切ったところだった。
いつもふわふわしていて笑顔を崩さないその先生が暗い面持ちでこちらを振り返る。少しだけ違和感を持ちながら、私はそれとなく、訊いてみた。
返ってきた答えは–––––
そのまま私の体を、真上から押し潰してきた。
…あの日、そうか、あれは寒すぎる冬の日だった。
その日から、少しだけ月日ははたって、もう陽も長くなった。あの時お互いの手袋とマフラーを交換してみたけれど、そこまで変わらなかったよね。
暗い夜道、寒いし暗すぎるよ、なんて笑い合いながら体寄せ合って歩いた時は、あれは、嘘、では、なかった、と、思う。
近所の小さな文房具店。高いなぁなんて呟きながら、二人で一つの大きなパレッドを割り勘で購入。
美術部の顧問の先生に、「あなた達みたいな仲の良さはちょっと気味悪く感じるよ」って苦笑されて、誇らしげな表情を浮かべてたあなたは、もう、二度と、私の、肩がくっつくような距離のところには、いない。
これも全部、夢なら良かったのに。
その放課後、真っ直ぐ帰る気にもなれなくて、私は美術室に行った。私とあの人との作品をまとめた作品箱が、棚に置いてある。なんの気もなくそれを手にとって、漁った。あの日々が夢ではなかったことを確かめるために。確かに、あの人の作品はたくさん残っていた。紙の裏に書いた私との落書きもある。少しホッとして、ああでも、この筆跡を残した人はいないと思うと、息が苦しくて苦しくて、望んでいない涙が出て。こんな思いをするくらいだったら見るのはもうやめようかと思った。
でも、見つけてしまった以上。
三年生の初め頃、私達ははがきに絵を描いて、その裏に未来への自分に宛てた手紙を書こう、という、ほとんど忘れることを前提にしたようなふざけた企画を立てた。手紙は家で書いて、相手には見せない、というルールをあの人は決めていた。
あの人が描いた、初夏の新緑がまぶしい森の絵の裏に、びっしりとあの人の文字が。
宛先は、未来の自分ではなく、
私、
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