デコボコンビニ
時任西瓜
最後の三分間
住宅街の外れ、街灯もまばらな薄暗い通りを照らす、目映く光る四角い箱。弁当から雑誌、文房具にお菓子まで、何だって揃う二十四時間営業のそれ、コンビニエンスストアーが俺の仕事場だ。といっても、大学に通いながらのアルバイトだけど。
用具入れに掃除道具を仕舞って、ピカピカに磨き上げた床を見やる、達成感に浸りつつ、ふいに見た店内の掛け時計は、もうすぐ夜の十二時を回ろうとしていた。深夜のシフトは一見暇そうだが、明日の営業に向けての仕事が山盛りだ、お客さんが来店しないうちに、次の作業に取り掛かろうと、菓子の棚にポテトチップスを補充している店長に声をかける。
「店長、床掃除終わりました」
「お、ありがとね」
床に膝をついて作業をしていた店長が俺の方を見る。ふっくらとした輪郭線に、薄く生えたヒゲ、黒縁眼鏡越しの印象薄げな瞳、生えっぱなしだろう眉。最近生え際が怪しくて、と嘆く声を聞いてしまったせいか髪型を見ることは俺の中で憚られた、が、とにかく、店長はどこにでもいるおじさんである。
今は立っている俺の方が視線は高いはずなのだが、そのコンビニ勤めにしておくには勿体ない、スポーツ選手と見紛うガタイの良さと、逆にコンビニ勤めのせいでなったのであろうビール腹は、他意はなくとも、高校時代にゴボウと揶揄されたヒョロヒョロガリガリ、おまけに身長も平均以下の俺を威圧してくる。店長は非常に優しいので、威圧どうこうは俺自身の問題なのだが。
「次、フライヤー洗ってもいいですか?」
さて、チキンなどのホットスナックを揚げるためのフライヤーを掃除することも、お客さんの少ない深夜のうちにする仕事だ。
「あー、ごめんだけど、品出し手伝ってもらってもいい?」
申し訳なさそうな顔を浮かべた店長の後ろには、ガラガラに空いた棚と、お菓子類の袋が入った段ボールが、カート三個分控えていた。なるほど、この量を一人でやっていたらそれこそ片付かまい、俺は快諾する。
「大丈夫です、やりますよ」
「ありがとねえ」
中の商品を傷つけないように気をつけながら、段ボールをカッターで開封し、その中身をどんどん並べていく。しかしここまで棚が寂しくなる光景はここでバイトをし始めてから見たことはなかった、一体何が原因なのだろうか。ここ数日は友人との約束が重なってバイトは休みがちだったため、内情もよく分からない。作業の手は止めることなく、ぼんやりとした頭で、何となく考えていると、店長が腕時計を見て、あと三分か、と呟いた。誰かに宛てた言葉ではないだろう、ただの独り言だ。しかしその意図が気になってしまった、俺は尋ねる。
「何がですか?」
「新元号だよ、あと三分で日付が変わるから」
ポテトチップスの次はポップコーンの大袋を棚に並べながら、店長は言う。そういえば今日は四月三十日、天皇の即位を明日に控えた日と、テレビでもSNSのトレンドでも、そればかりだった。
「そっか、今って十連休でしたね」
友人との約束が増えたのも十連休のおかげだったというのに、なぜか全く思い至らなかった、通っている大学が休校にならなかったのもあるだろう。しかし、この棚の空き具合は明日、仕事や学校が休みになった人々がお菓子を買いだめしたと思えば頷ける。
「遂に平成最後ってやつですね」
「そうそう」
関連商品の売れ行き良かったなあ、と独り言つ店長に心の中で頷いた、日本人は祭り好きだ。かくいう俺も、賞味期限が今日までというだけの、ただのポテトチップスが平成最後と銘打たれていて、つい買ってしまったりした。
「あれ、
「ですね、平成11年です」
「若いなあ、僕なんて昭和だよ」
「え、何年ですか」
「昭和55年、って言っても分からないか」
「まあ、ピンとはこないですね……」
「だろうなあ」
しみじみと、寂しげに店長は零した、その横顔からは哀愁が漂っている。
「あのう、やっぱり昭和天皇の時って大変だったんですか」
気まずく途切れそうになった会話を繋ごうと、話題をひねり出す、最近のテレビ番組の中でもその話題はよく取り上げられているので、当事者に聞いてみたかったのだ。
「そうだね、大変だったよ、子どもながら大変なことになったって思ったね」
バラエティもアニメも、CMだってちょっとでも表現が引っかかると自粛でね……と語り出した店長の言葉を相槌を打ちながら聞く、レンタルビデオ屋が儲かったとか、テンノウホウギョという謎の言葉が出てきたりと、生まれてもなかった頃の話は想像もつかないことばかりで、とても興味深いものだった。そして、お互い口も動くが、手を止めることもない、てきぱきと作業を進め、三つもあったカートは遂に一つになる。存外早く、終わりが見えてきた。
「亡くなる前から、ニュースの速報で容体が知らされてたんだよ」
「容体って、天皇のですか?」
「そう、体温とか血圧とか、数値まで詳しくね」
「ええっ」
目から鱗だ、俺は声を上げて驚いた。ニュース速報といえば普通は地震や豪雨の危険を知らせるイメージである。その上、全国に自分の容体が発信されてしまうのか。今はSNSで『入院なう』だとか『子どもが生まれました』なんて投稿を見かけるけれど、数値や病状みたいな、詳しい所、発信したくない部分はそれぞれで守っているだろう。
「それって、プライバシーとかないんですか」
「確かに、今だったら問題になりそうだね」
眉根を寄せて聞いた俺に、それが当たり前だったからなあ、と店長は唸る、そして何か思い立ったように俺の顔を見てから、ははは、と笑った。
「でもまあ、あの時はみんな不安だったけど、世の中は変わらなかったよ」
いい意味でも、悪い意味でもね、と続けて言った店長は微笑んでいた、俺のことを言ってくれたのだろうか、不安げな顔をした覚えはなかったが。何か気の利いた言葉を返そうと逡巡していると、入口の方から軽快なメロディが聞こえてくる、自動ドアの開いた合図だ。
「おっと、いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ」
店長に続くように、いつもの挨拶、さて、作業を続行して、終わらせてしまうべきか、それともレジに行って待機すべきか、悩む余地があった、ダンボールの中身はあと少しだ。
「三鷹君、レジ任せてもいいかな」
「あっ、はい」
頼んだよ、と背中を押される、さすが店長、的確な指示だ、きっと俺がレジから戻る頃には品出しも終わっているだろう、店内を物色するお客さんの動向をカウンターの中から伺う。
そういえば、もう三分経ったのだろうか。掛け時計を見ようにも、正面の棚に陳列されたアニメの景品付きくじのポップに阻まれて、レジからは時間を確認できなかった。まだ平成のままかもしれないし、もう変わっているかもしれない、店長の腕時計と、俺からは見ることのできない掛け時計だけがその答えを知っている。だから、レジカウンターの内側は、変わりゆく世界に置いてきぼりにされているようで、世の中から隔絶された世界なんじゃないかとも思えた。でも、人生の先輩である店長が言ったように、元号が変わっても、世の中はきっとそう変わらない、いい意味でも、悪い意味でも。だから俺はいつも通りの夜明けをこの箱の中で待っていよう。
デコボコンビニ 時任西瓜 @Tokitosuika
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