その背の向こうに見えるもの。
美澄 そら
その背の向こうに見えるもの。
「先生、グミの食べ比べなんてしている場合じゃないですよ。早く着替えてください。先生にって、テレビ局のプロデューサーから打診があったそうです」
「へー」
テレビ局という言葉に興味はないのか、さっきからグミのおいしい食べ合わせを探しているらしい。
子供のようなことをしている彼は、こう見えて、最近人気のミステリー作家だったりする。
「ほら、着替えてくださいよ。そんな格好でうろつかれたら不審者として警察に連れていかれるのが落ちです」
甲斐甲斐しく世話をする男、狛江は彼の担当になって二年目の編集者である。
御年三十五歳の小金澤の服を、クローゼットから適当に見繕って放り投げる。
顔に直撃したのか「へぶっ」っと変な鳴き声が聞こえてきたけれど、狛江は無視して手帳を開き、スケジュールを確認した。
先方はすでに出版社のほうに着いていて、狛江は引きずるような形で小金澤を会議室へ放り込む。
「すみません、遅くなりました。担当の狛江です」
「お待たせしました、小金澤です」
先程グミを頬一杯に詰め込んでいた人物とは思えないほど、小金澤は爽やかな笑顔で挨拶をしている。
狛江は心の内で、舌打ちをした。
座っていた三人が腰を上げて会釈する。
「初めまして、プロデューサーの山内です」
「監督の白井です」
「……脚本の安川です」
山内と白井の二人と違い、安川は暗い表情をしている。
挨拶もそこそこに腰を掛けると、「早速ですみませんが」と、山内が切り出した。
「小金澤先生、貴方の腕を見込んでお願いがあります。……脚本にご協力頂きたいのです」
「脚本、ですか?」
「はい。ゴールデンウィークに、青石先生の七回忌として、スペシャルドラマを考えています。あと数行を残して未完に終わった、『月の城』に」
稀代のミステリー作家、青石
彼は心臓の止まる最期の一秒まで、筆を手に取って書いていたというものだから、作家内ではバケモノ扱いされている。
しかしそれも狛江が入社する前の話なので、噂で聞いた程度だ。
「何故、小金澤に?」
「お引き受けさせてください」
狛江の質問の答えが返ってくる間もなく、小金澤は引き受けてしまった。
テレビ局側の表情が和らぐ。
横を盗み見ると小金澤の表情が、いつになく硬かった。
「先生、何考えているんですか。締め切り近い作品が二つもあるんですよ」
「大丈夫だ、落としたりしない」
「……本当ですかね」
「ああ。今日は一人で帰るよ。お疲れ、狛江くん」
去っていく小金澤を追いかけようか迷って、狛江はその場に留まった。
それから小金澤は自主的に缶詰状態になって、自身の作品とドラマの脚本のために一日中机に向かっていた。
狛江は心配して時折弁当を差し入れしたが、他に何も食べていないのか、小金澤はみるみる痩せていった。眼光だけが鋭く浮き出て、まるで何者かに取り憑かれているかのようで薄気味悪い。
「先生、ちゃんと食事を摂っていますか。睡眠も」
「とってるよー……もうすぐ、短編のほうは終わるから」
「……やっぱり、テレビ局の件、お断りさせて頂いたほうが」
狛江がそう言うや否や、小金澤はテーブルを力強く叩いた。
「うるっせぇな! 俺がやるって決めたんだ! ほっといてくれ!」
狛江が言ったのは、あくまで小金澤を心配しての言葉で、まさか拒絶が返ってくるとは思わなかった。
「……そうですか」
狛江は小金澤のマンションを出ると、社に戻ることにした。
二年付き合ってきて、いかにちゃらんぽらんでどうしようもない性格かは知っていたが、今日のように口調を荒くした小金沢を見たのは初めてだった。
心なしか、歩くスピードは速くなっている。小金澤の苛々に当てられたのかもしれない。
「あの、狛江さん……ですよね」
声を掛けられて、怒りで狭まっていた視界が開けた。
「どうも」
先日暗い表情をしていた脚本家の安川だった。
「ああ、安川さん」
「小金澤先生、どうですか? 『月の城』、手をつけるの大変だろうと思って」
安川は小金澤にと菓子を持ってきてくれたらしい。
流星堂のシュークリームだ。わかっていらっしゃる。
「青石先生の他の作品を拝読したことはありますが、『月の城』は一体どんな話なんですか?」
最後の結末を書ききる前に、青石はその生涯を閉じた。最初は未完でも読みたいという読者の声もあったが、結局実現がされることはなかった。
安川は溜息をつくと、苦々しく笑った。
「未完成なはずなのに、手を付けられないんです。どう手を付けても、この作品を完成させることが僕には出来そうにありません
監督の白井さんが青石先生と少し親交があったみたいで、そこで小金澤先生の名前が挙がったんです。彼、青石先生を師匠と慕っていたって聞きました」
小金澤の師匠。狛江が小金澤を知るずっと前の話だ。
――ああ、だから。
「お引き受けさせてください」と言った、小金澤の横顔を思い出す。
「安川さん、シュークリームありがとうございます」
先生とちゃんと話そう。狛江は踵を返した。
どこの出版社の賞に送っても、箸にも棒にもかからなかった。
そんな中で、一人だけ小金澤に興味を持ってくれた作家が、青石だった。
ドラマの話を受けた帰り、小金澤は一人歩きながら、スマホの電話帳を操った。
青石の名は電話帳の一番上に表示される。
掛けると、コール音の後に優しい声が聞こえた。
「……ご無沙汰しています、小金澤です」
電話の相手は、青石の妻である良枝だ。
「最近のご活躍、拝見しておりますよ。お元気そうですね」
「あー……はい。良枝さんもお変わりなさそうですね」
「ええ。たまには遊びに来て頂戴ね」
青石が亡くなった日のことをよく覚えている。
クリアブルーの眩しい青空だった。訃報を聞いた小金澤は、電車に駆け込んだ。
二時間かかって着いた小さな駅からタクシーに乗って、青石の家の前に来ると、もうそこには死の気配があった。
青石のご遺体にすがり付いて泣いて、脱け殻になっていた小金澤に、良枝は『月の城』の原稿を渡してきた。
「小金澤さん、青石の遺作、あなたが完結してくれませんか」
そのとき、小金澤は首を振って答えることしか出来なかった。
巡り巡って、六年も経って、ドラマという形で話が回ってきた。
「今なら、書けるのではないかと思います。
――青石先生の書ききれなかった最後、俺に書かせてください」
なんていう様だろう。
小金澤は原稿用紙を力任せに引きちぎると、フローリングに倒れ込んだ。
いくらちやほやされて天才作家と呼ばれても、稀代のミステリー作家を超えるなんて夢のまた夢だったのだろう。
炎上することも、良枝に失望されるかもしれないことも覚悟をして臨んだはずだった。
それが狛江にまで当たり散らして、情けない。
――先生、俺、無理だよ。
天才なんて、柄じゃない。先生みたいに、天才の仮面被って生きていけるほど、強くなれる気がしない。
起き上がろうとして、散らばった原稿用紙に手を滑らせて、強かに顎を打った。
「だっさ」
小金澤が顔を上げると、狛江が首根っこを掴んで奥の寝室へと運搬した。ダブルベッドに放り投げると、小金澤はスプリングで数回跳ねてから、体を起こした。
「え? 狛江くん、なんで?」
「いいですか、睡眠不足だから頭が働かなくて余計バカになっているんですよ」
「……バカとは酷いなぁ」
「寝て起きたら、ちゃんと食べてください。弁当買って置いたのと、冷蔵庫に安川さんにもらったシュークリームがあるんで」
子供を寝かしつけるみたいに、小金澤に布団を無理矢理被せる。
「いいですか、先生。貴方は人間としてはどうかと思いますが、ミステリー界では間違いなくトップクラスです。早く仕事を終わらせてください。他の仕事もあるんですからね」
――厄介な担当だなぁ。
「はーい」
どれだけ体が睡眠を欲していたのだろうか。小金澤は、狛江が部屋を出ていく前に、もう眠りに落ちていた。
狛江はジャケットを脱いでハンガーに掛けると、シャツを腕捲りした。
――さて、やりますか。
とりあえず、この部屋を快適にしてあげねば。
目覚めた小金澤は、シュークリームに目もくれずに執筆に没頭した。そして、日も暮れて、朝を迎え――
「狛江くん、出来たよ。『月の城』」
小金澤が必死に書いていた部分も、二時間あるドラマの最後の三分間だった。
主人公と犯人が互いに銃を突き合わせて居たのを、犯人は銃を手放して、主人公の持つ銃口を自らの胸へと押し当てた。
「なぜ引き金を引かない」
犯人の問いに、主人公は薄く笑う。
「あんたとの関係が終わっちまうのが、名残惜しいんだ」
そうして、二人は見つめあったあと、犯人は主人公に背を向けて去っていった。
その後、犯人は自首をする。
ドラマの評価は真っ二つに割れた。お世辞にもよかったですね、とは言えない。
それでも、小金澤は清々しい表情をしていた。
「自首するシーンは蛇足だよねぇ。俺やだったなぁ」
「仕方ないでしょ、ゴールデンタイムに犯人捕まりませんでしたじゃ、見てる側が納得しませんし」
「そりゃそうか。それにしても、七回忌かぁ。もう六年も経っちゃった訳だ」
小金澤はマンションの窓から空を仰いだ。
高層ビルの向こうに、クリアブルーの空が見える。
おわり
その背の向こうに見えるもの。 美澄 そら @sora_msm
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