3分クッキング~教師の作り方~

人口雀

3分クッキング~教師の作り方~

 いや、正確には三分じゃないかも知れないけど、確実に試験終了五分前は切っていたかもしれません。なにせ慌ててたので。


 まあ慌てたたと言っても、私だって自分の先生に色んな話は聞いているし、そう軽率なことはせず、冷静に、落ち着いて、改めて二回、計算式を見直しました。


 だけどその公式を持ち出した理由をどうしても思い出せなくて、これは単純な注意不足だった。やはり見直しの時間を取って正解だと、喜びました。


 はいそうです。先生は愚かでしたね。ここ笑うとこですよ?


 あの問題が不正解だったから落ちたのか、正解していても落ちてたのかは分かりませんが、先生はこうして浪人生の先生として皆さんの前に立っています。


 幸い、先生が今日から教える科目は数学ではなく英語なので、私は自信を持って授業を行うことができますし、皆さんも英語の点数が低くて不合格になることは無いでしょう。この予備校の規約の通り、先生の授業では不安だという事であれば翌日から内藤先生の方のクラスに移れますので、安心してください。


 では今日は最初の授業なので皆さんが中学一年生で最初に習ったであろう『is』の面白い話をしましょうか――――――




 塾の上司から「受験に向けての心構えみたいなこと最初に少し話してね。」と言われて、初めての授業で俺から生徒に向けて放ったセリフだ。当時はまだ悔しさに頭の中を支配されていて、今思い出してみると忘れたいというか、こんな先生の授業受けたくないようなセリフだった。しかしありがたいことに、二つ開講されている英語の授業では内藤先生よりも俺のクラスの方が若干人数が多い。……若干だけど。……多いだけで合格率は一年後になってみないと分からないけど。




 生徒に話したことは嘘ではなく、実際に英語能力の目安となるTOEICは九百九十点中九百点近く取れているし、去年の受験は大きく失敗しただけで、英語と数学の模試は合格安全圏だった。実力が落ちない程度にこの二科目を復習しつつ、生物の点数を伸ばせば来年の合格は確実だと思う。


 あまり家族以外の人と話さないと陰鬱な気分になりそうだったからと、軽い気持ちで中学生の塾や高校生の個別指導でもやろうかと応募したのだが、何故か高校生の多人数クラスの担当になってしまった。塾のレベルも推して知るべし、である。






 そして今、人生の岐路に立たされている。


「はーあ。」


「どうしたの木下君、ため息ついて。失恋?」


「お疲れ様です内藤先生。先生って恋愛話好きですよね。」


「女の子はいくつになっても恋の話は好きなのよ?」


「さいですか。」


「えー何その反応。つまんない。」


「いやあ、既婚者の女性に女の子とか自称されましても、二か月前まで高校生だった男の子はリアクションに困る訳ですよ。」


「うちの娘が浪人生って一歳しか違わないのにおっさんに見えるって言ってたよ。大学生は若いのにって。」


「けっこう傷付きますね。」


「つまり私がオバサンで木下君はオジサン。一緒。」


「高校生からみたらそんなもんですかねえ。」


「そんなもんらしいですよ。」


「世知辛いですねえ。」


「そうそう、うちの娘、高三にして人生初の彼氏ができたんだよ!お祝いして!」


「もうそんな歳なんですねえ。内藤先生お疲れさまです。」


 俺の机の引き出しに未開封のまま置いてあった大袋のキットカットを差し出す。


「労いじゃなくて、お祝いをちょーだいって言ってんの。でもありがとう。この年になると褒めてくれる人が居なくてねえ。」


 お祝いと言われても、中学の頃から彼氏を絶やさない魔性の妹が身近に居る俺としては、高校三年生になって初めての恋人と言われると「やっと安心して死ねるねえ」なんて孫の顔を見たおばあちゃんみたいな感想しか出てこない。


 ちなみに俺は高校を卒業しても付き合った女性が居ないので、我が一族の孫の顔は妹に一任している。


 と言うのは冗談で、大学では出来るといいなあ。彼女。 


「それで、失恋じゃなかったら何の悩み?」


「将来なんですけど、塾講師とか学校の先生もいいかなあって。」


「ふーん。どうして?」


「元の志望校は何かやりたいことがあった訳じゃなく、学べる内容が面白そうだなって思って入ろうとしてるだけなんですけど、ここで先生やっててすごく楽しいんですよね。もし俺がそういう生き方をしたいなら、教育系の学部に行こうかと。」


「ふむふむ、受験を失敗して始めたアルバイトで将来の目標が定まってきたと。」


「そんなところです。」


「試合に負けて勝負に勝つって感じだね。」


「もちろん、始めたばかりなので楽しい面しか見えてないって可能性もあるので、一応今の志望校を受けるつもりで勉強は進めるつもりですが、願書を提出する時にはどちらも選べるようにしたいと。」


「うん、いいんじゃない?人生なんてきっとそんなもんだよ。私なんか音大卒業してプロの楽団やってたこともあるし。」


「っええええ!?」えええええええええええええええええええ!?


「マジっすか!」


「うん、まじまじ。」


「人生で一番驚いたかもしれません。」


「そんな大げさな。でも、だから良いんじゃないの?やりたいことがどんどん変わっても。そりゃ一握りしか居ないトップの人たちは別だけど、どの分野に行っても取り組む姿勢みたいなものが、周りから評価されるし、結果として本人に返って来るんだと思うよ。」


「プロのバイオリニストに面と向かって言われると、言葉の重さが違いますね。」


「ありがとう。だから木下君も、将来誰かにそう言ってもらえるようになりなよ。」


「……はい、ありがとうございます。」




『今やりたいこと。』




 高校生三年生の俺がやりたかったことではない。




 試験を受けて、




 最後の三分くらいで大きなミスをして、




 不合格になって、




 塾講師になった、




 そんな俺がやりたいと思ってること。

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3分クッキング~教師の作り方~ 人口雀 @suenotouki

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