3分の至福

立野歌風

3分の至福

俺はこの世の全ての賞味期限を憎む

期限などあるから残しておく事が許されないのだ

出来る事ならば いつまでも残しておきたい

それが心の支えにだってなるというものだ

しかし手元にあるのは今日が賞味期限の最後のひとつだ

俺の飢えを満たしてくれる最後の3分間

これはとても貴重だ 心して過ごさねばならない

そのために最高のBGMを用意した

わざわざ3分程度で終わるのを選んだんだ

俺の指先一つで御機嫌なボーカルが歌い出す

準備は万端だ

熱湯は「いつでもOK」とシュンシュンと音をたてながらヤカンの中で待ち構えている

深呼吸をして意を決する

蓋を開ける 熱湯を注ぐ 再び蓋を閉じる

タイマーが1秒1秒を刻んで行く

あっ 俺 今 どんな顔してる?

一人暮らしが長いと鏡も見やしない……

顎をさするとザリザリとした感触 ああ 無精髭…

まぁ 俺が無精髭だろうと誰も気にするわけじゃなし

関係ないっちゃないんだけど

なんせ 最後のひとつなわけだから…

襟を正したいじゃないか?正すのは襟じゃないけど

急げ!俺

タイマーを横目に驚きの早さでシェービング 

3分は待ってると長いが 他の事をしてると短い


ピ ピ ピピー

タイマーの知らせと同時に蓋を開ける

立ちのぼる湯気 香ばしい様なくすぐったいような香り

そこだけに漂う温もり

『あなたの お名前は?』

湯気の中で形作られて行くバーチャルリアリティなインスタント彼女の声

ああ こういう声を鈴が転がる声というのかな?そんな事を考えながら

問いに答える

「YUTAKA」

『YUTAKAは何が好き?』

俺の名前が彼女にインプットされた

「ミュージック 特に地球と言う星の80年代の音楽」

答え終わらないうちに俺の指は最高のBGMをスタートさせる

「このイントロで魂揺さぶられるだろ?」

『ほんとだね YUTAKA』

俺はそのBGMや地球という星について語り

彼女はコロコロと笑いながら相槌をうつ


この星に一人きりになって どれほどの月日が過ぎたのか知らない

食料は有り余る程あり 医療システムも完備されている

あまたの星の多種多様な娯楽を自由に楽しむ事も出来る

インスタント彼女もそんな娯楽の一つでしかなかったのだろう

他愛無い会話をかわす3分間の幻


誰にも名を呼ばれない 好きなものを聞かれる事も無い日々

問われて答える事に飢えに飢えてしまう日々

そんな俺には幻との会話が至福の3分になっていた

最初はろくに会話が続かぬうちに3分が終わった

慣れてきても会話が弾んだ頃に3分が終わった

俺は幾つもの至福の3分を消費し続けた


けれど これが最後の3分間

その後には 果てしない孤独が待って…

いや もうとっくの昔から孤独なわけだけれども

今更にもほどがあるわけだけれども…


BGMがサビにさしかかる

俺は歌い

彼女も真似しながら歌い出す

俺がみつけた有効的な3分間の使い方

それは一緒に歌う事

ボーカルの声に負けない俺の声と彼女の声が

重なり合いながら満ちて行く

湯気の中で彼女が踊りだし 

『楽しいね!』

と笑いかける

「ああ とても」

『YUTAKAの好き わたしも好き』

ゆっくりと消えて行くその笑顔を俺は噛み締める

「ありがとう…」

BGMが後を追う様にフェードアウトしていく


タイマーもヤカンの中で冷めた熱湯も沈黙しながら

俺の側に鎮座している


久しぶりのシェービングでツルツルした顎をさすりながら

俺は一人アカペラで歌い出した

重なってくれる声は もう手に入らない


賞味期限を俺は憎む


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3分の至福 立野歌風 @utakaze

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