葉桜の日
フカイ
掌編(読み切り)
川面を覆いつくすような桜の木々たちは、春を迎えていっせいに咲き誇る。
そして一週間と経たず、春の雨に打たれ、春の嵐になぶられて川面に散り急ぐ。
とろりとろりとゆるやかに流れる水面に、ほの白いピンクの絨毯を敷きつめるように、川を染め、そしてたゆたいながら流れ去ってゆく。
さくらホテル、というニックネームで呼ばれるホテルが、その川沿いに建っている。
5階。西に向いたダブルベッドのお部屋。
ゆるく流れるピンクの川面を見ながら、去年のわたくしは恋人とセックスをしていた。立ったまま、両手をさくらホテルの窓につけて。
恋人は、わたしのスカートを腰までめくり上げ、ストッキングとショーツを膝まで下げ、後背位からペニスを挿入していた。恋人もわたくしも、洋服は脱ぎきらぬまま、セックスに到っていた。
わたくしは目を開けて、窓の下に流れる美しいピンク色の川面を眺めていた。
強い快感に何度も目を閉じそうになる。しかし恋人は、目を閉じるなと、登りつめすぎるなと、わたくしをコントロールした。
性器を激しくこすり合わせず、わたくしたちは、ゆるやかにつながったまま、とろりと流れる春の川のように静かなセックスをしていた。
呼吸も荒げず、深く、長く。ペニスの前後のストロークにあわせて、ゆっくり、長い呼吸を繰り返した。性器の動きにシンクロした呼吸をふたりで意図的に合わせることで、深い一体感を感じられる。
窓からはまろやかな春の光。
何度も押し寄せる、さざなみのようなちいさな快感。
恋人の甘い吐息。
あたたかく、静かな室内。
膣の中を、とてもゆっくりと前後する、愛おしいペニス。
どのぐらいそれが続いたろう。
何度も気を失いそうになった。膝から崩れ落ちそうなほど強い快感が身体を襲った。
そのたび、川面のさくらの花びらに意識を飛ばした。しずかにしずかに。水面をただよう、わたくしはあの花びらなのだ、と思った。
そうするうちに、身体はひどく熱くなり、鼓動がどんどん早まってきた。不思議な気分だった。呼吸も意識も乱さぬよう、必死になって抑えていたのに。身体がその精神の支配を脱し、ひとりでに走り始める感じだった。
頭の中が真っ白になって。喉がからからになって。そしてわたくしの意識を離れた膣は、恋人のペニスをひどくきつく締め付ける。締め付け、奥へ奥へと絞り上げていった。
恋人が苦悶の声をあげると、彼のペニスもまた、より硬く、より大きく勃起しなおした。興奮のきわみにある性器同士が、互いを強く主張しあい、そして今までとは比べ物にならないくらいの強い快感が、わたくしたちを襲った。
わたくしたちはそれに
わたくしたちは手を取り合ったままベッドにもつれ込んだ。
そして、そのまま夕食の時間まで眠り続けた。
あれから一年。
恋人とは離れ離れになった。
家族の都合で、彼が海外に引っ越してしまったせいだ。したがって我々は心を残したまま、非常に不本意ながら離別した。
わたくしは、ひどく苦しい季節を過ごした。混乱し、傷ついていた。色のない夏、潤いのない秋、風の動かない冬。季節はまるで、窓の外の出来事のように遠く過ぎてゆくだけだった。
しかし、時のめぐりはある意味残酷にも、わたくしの心を落ち着かせ、やがて傷を癒した。
わたくしは今年、葉桜の頃にさくらホテルの5階の部屋にひとりで宿泊する。
リネンのすべすべした寝具。初夏を思わせる日差しの差し込む、清潔な白い部屋。わたくしは午睡をとった。
あの桜の日のセックスの時は力尽きての睡眠だったが、今日は穏やかな気持ちで眠ることができた。
午睡から目覚めてもまだ日差しは残っていた。持参した小説を読み、煙草を吸った。
ベッドから出て、服を着たわたくしは、窓辺まで歩いてみた。
見下ろす川には、もう、ピンクの絨毯はなかった。
その代わり、緑色の川面にかぶさるように、葉桜の生命力に満ちあふれた若葉色がキラキラと輝いていた。
―――春は終わり、夏が始まろうとしていた。
わたくしは、あのとめどない混沌の日々が終わったことを確認した。
忘れられないセックス。
忘れられない恋人。
葉桜の日、わたくしはそれらにさよならをした。
人生は続く、と葉桜たちが囁いているかのようだった。
葉桜の日 フカイ @fukai
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