第5話 コーヒーの味

 朝9時前、千寿駅。

 高校の最寄りから少し離れた場所にあるそこは、県内でも屈指の賑わいを見せる。近くには大きな大学が複数構えられ、駅周辺にはデパートなどの商業施設や飲食店が乱立している。通勤で使う社会人こそ多くないが、休日ともなればその人通りについては枚挙にいとまがない。レジャー施設も充実しており、言ってしまえば学生の街だ。彼らが必要とするものは大抵揃っている。


「10分前か、よし大丈夫そうだな」


 独り呟いて時間を確認時雨はつり革を掴みながら外を眺めていた。電車のドアが開く。1番線ホームに入ってきたのは、各駅停車新橋行きの車両だ。人がなだれ込み、地元アーティストの曲メロが流れる。「扉閉めまーす」という車掌の呼び掛けを知ってか知らずか、階段を駆け下りて乗り込む客が続く。


 駅というのはやはり整備が遅いようで、アナログも甚だしい階段を多くが今だに使用している。技術は飛躍的な進歩を遂げ、瞬間的に人を運ぶ手段は擬似テレポートとして開発された。それでも改修には莫大な金がかかる。もちろん湯水のように資金が湧いてくるはずもなければ運べる効率も悪い。

 新しい建物にはデフォルトだったりするところもあるが、5年以上前に建立、つまり殆どの建物には今でも取り入れられていない。

 身近な物がハイテクになっていく中、技術の進歩による技術と現実との乖離という皮肉な二面性もまた、シンギュラリティがもたらした特徴だ。


 石造りの階段を駆け、人の波に揉まれながら改札へと上がった時雨は南口を抜ける。空は青く澄み、柔らかな光が照らしていた。バスのロータリー、以外にも人は少ない。主な店が駅近辺に密集しているため、当然と言えば当然ではある。

 そんなロータリーの一角、柱に寄りかかるようにして少女は待っていた。


「あ、先輩!こっちです」


「蓮、早いな。おはよう」


 白に近い薄ピンクのコート、ジーンズを履いて首には赤と青のギンガムチェックのマフラーを巻いている。背中には買った荷物を入れるためのカバンを背負っている。あくまで背負うことになるのは時雨の方なのだが。


「悪い、待たせた。一応急いで来たんだけどもうちょっと早く来れば良かったな」


「いえ、大丈夫です。私もついさっき来たばかりなので。先輩が早く来るなんて珍しいですね、けっこう時間ぴったりの人じゃないですか」


「んーどうだろ、部活とか大勢の時は早く来ても絶対揃わないから無駄って思っちゃうんだよね。でも2、3人の時は割と早く来ちゃうかな。待たせるのが嫌っていうか、礼節を守りたいっていうか」


「意外と真面目なんですね。さ、少し予定よりは早いですけど、行きましょうか。今日はじっくり吟味しますよ!」


「意外とって何だ、おい。まぁいいや、そういや種類はだいたい決めてるみたいなこと言ってなかったっけ?」


 蓮が首肯する。2人が目指すのは近くにあるデパートだ。


「ええ、種類っていうか苦み強い系と酸味のある系で迷ってるんですよ。あ、でもそれ何も決まってませんね」


 駅前の『サーガ』。人の絶えることを知らないそこは、県で随一の大きさを誇るデパートだ。渋谷や秋葉原などあらゆる複合施設が軒を連ねる東京には及ばずとも、往復の交通費約1000円を考えれば充分こちらで事は足りる。客の殆どが駐車場を利用していて、電車等で来る人は割合で言えば少ない。

 8階以下の低層フロア、9階以上の高層フロアからそれぞれ専用のエレベーターが客を運ぶ。4階のエントランスへと繋がり、そこから水平移動の『動く道』琴エスカレーターで本館へと移動する。

 友達とはしゃぐ女子大生にカップル、意外にもここに高校生らしき人は少ない。バイト原則禁止の学校が多いためか(隠れてしている人などいくらでもいるが)、やはりそう簡単に来れないほどには敷居が高いらしい。大学生が大半と言える。

 ガラス張りの壁から見える景色にはいつも通りの街並みが映える。特段に都会という訳では無いが田舎という訳でもない。所詮はベッドタウンと言ったところか、適度に居心地のいい都会だ。


「先輩ならコーヒーに何を求めますか?やっぱり落ち着くのは苦味なんですかね」


「小4でイキってブラックを飲み始めた俺から言わせるとだな、コーヒーは苦味あってこそだ。俺思うんだけどさ、蜂蜜とか砂糖とか入れてもアレ全然甘くならないよな。味変わらん、めちゃくちゃ苦いままだった」


「え、それまさか残して捨てたんですか?食品ロスですか?」


「いやいや、まさか。でだ、どうせコーヒーって苦いだろ。だからさ、その苦味を楽しむってことがコーヒーをよく味わえる方法なんだよ」


「先輩が言ってることは客観性が欠けてます。単に先輩が諦めただけですよね、それ」


 不意を突かれ顔を合わせることすらままならない。間もなくエレベーター前で止まる。この先もこんなからかいを受けるのだろうかと不安でならない。


「まあ何にせよ、先輩の味覚は参考にしますね。私の主観じゃなく、第三者の意見の方がいいですから」


「いやまて、それだと俺の主観になる。そしたら俺にとって第三者の意見が必要になるだろ。だから蓮も飲んで決めてくれ。俺、酸味あるやつ苦手だしさ」


 可笑しそうに蓮は笑っていた。相変わらずからかい癖が強い。


「それじゃあ、店行きましょうか」





 本館6階、そこに店はあった。木製の外装、木製のカウンターにテーブル。瓶詰めされた豆が棚に並ぶ。所々に配置された蔦が単色の店内にコントラストを作り出している。「いらっしゃいませ」とよそよそしい店員に軽く会釈をして商品を物色することにした。


「ブルーマウンテンにコナ、モカ、どれも1度は聞いたことあるようなやつだな。で、どう違うんだ?」


「コナは酸味が強いですね。あ、言っときますけどコナは無理ですからね!g単価が高すぎます。それにしても流石は高級ブランドですね。私も何度か飲んだことはあるんですけど、香りが少し甘い感じだったような……。あれ、どうだっけ」


「よく缶コーヒーだとブルーマウンテンとか多いけどこれは?」


「以ての外ですよ、これはコナよりも高級なんですから。缶コーヒーに使われてるようなやつは、ランクの低いものなんです。言い方変ですけどちゃんとしたやつは、“世界最高のコーヒー”なんて言われてるくらいなんですから」


「こういうところにあるやつはそんなに高くないだろうけど……、じゃあ手頃なやつだと何がいいんだ?」


「マンデリンかトラジャなんてどうです?そこまで高い訳じゃないですし、どっちも美味しいですよ。あ、いやマンデリンはちょっと高いですね」


「詳しいな、俺なんてコーヒー豆はさっぱりだ。やっぱ蓮が選べよ、絶対その方が良いって」


「そうですね」と相槌を打つ蓮はすでに何やら考え込んでおり、時雨の声は届いていないようだった。マンデリンだのトラジャだのと、時雨にはまるで馴染みのない単語だ。知識のない時雨の味覚など、判断基準としては押しが弱いはずだ。もちろん、飲み物は感覚で楽しむものである以上、本来はいらないが。


「あ、でもコスタリカなんかもいいですね……」


「言われてもよくわかんないし、とりあえず試飲してみようよ、蓮」


「そうですね、じゃあとりあえずこの3つでいいですかね。店員さん、お願いします」


 あらかじめ淹れてあるのか、ドリンクバーのタンクのような物の蛇口を店員がひねると、湯気を立てながらコーヒーが注がれていく。しばらくしていくつかの紙コップが運ばれてきた。木調の店内にコーヒーの匂いはよく似合う。何かの相乗効果でも働いているんじゃないかと思うほどに、リラックス出来る空間を作り出していた。


「美味しいですね、コスタリカ。酸味もちょうどいいですし結構アリですね。」


「うわ、苦いなこのやつ、何だっけ?」


「それはマンデリンですよ。先輩、苦いのがお好きでしたら楽しめるんじゃないですか?」


「ちょっとこれは苦いな、普段わざわざ豆から淹れることないし、ここまで濃いとは思わなかった。それに、文化祭に来るのは中学生か高校生が大半だろ、流石に飲みやすくは無いと思う」


 そのあとも一通り飲み干し、何でもない会話を二人は交わした。ほんの紙コップ一杯分ではあったが、かなり長い時間そうしていた。サラリーマンが仲間とバーへ行き正味いくらも無い酒を愚痴を肴にいつまでも飲む、そんな具合だ。

 空になったカップには三日月のような染みが残されていた。


「で、どれがいいんですか。いつまでも居座る訳には行きませんよ」


「トラジャかな、正直そこまで違いがわからなかったけど美味しかったと思う」


「そうですか、私としてはコスタリカを推したいですね。先輩の言う通りそれも美味しかったですけど。……意見、割れましたね。どうやってどっちにするか決めましょうか。……先輩?聞いてます?」


 不思議そうに覗き込む蓮を後目しりめに、時雨はガラス越しの外を見つめて、まるでもぬけの殻だった。

 そこに居たのはフードの付いたコートのようなものを着た少女。顔立ちは整っていて、時雨と同い年くらいのそれだ。ただ何をするでもなくベンチに腰掛けている。一見すれば家族の買い物が終わるのを待っているようだが、どこかの店を見つめるような仕草はなく、休んでいるだけにも見えた。

その少女は目線が合うと背を向けてどこかへ行ってしまった。


「悪い蓮、ちょっとトイレ行ってくる」


「え、あ……はい。体調が悪いなら無理しないでくださいよ。言ってくれればわかりますから」


 蓮の言葉が途切れる前には、もう既に時雨は飛び出していた。


「なんだっていきなり、そんなに慌てるんですか」


 見つめるガラスドアには、蓮の姿が映っていた。

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