第4話 おかえり

「時雨、おい時雨!」


 露城時雨はベッドに横たわっていた。白い毛布を掛けられ、体は揺さぶられている。


「起きたか、おはようさん」


「ハト、それに蓮まで……」


 起き上がった時雨の横、ベッドに沿うように並べられた椅子にはハト琴、鳩三郎と1つ下の後輩である蓮が座っていた。心配そうな声音、蓮に関しては俯いて呼吸を荒くしている。目は充血していた。


「先輩は……、先輩はどうしてこうも心配ばかり掛けるんですか!」


「何があったんだ、ハト」


 状況が読めていないのは時雨だけらしい。呆れた表情の鳩三郎が腕を組んでいる。


「お前、情報の授業の最中に苦しみ出してな。殺されかけてるみたいな喘ぎ方するもんだから、先生が強制的に大元を切断してここに運んだんだ。その時に俺も戻ってきたから付き添ってやったってとこだ。それはそれは断末魔もいいとこだった。あの機械って精神系とか接続してるんだろ、よくこっちにある体で声出せたよな」


「そうか……。殺されかけた、ね。ああ……そう、2人ともすまない。とんだ迷惑掛けたよな。」


 ベッドの後にある窓から西日が差し込んでいる。全員の影を伸ばして、黒いそれを白い毛布の上に垂らしていた。


「先輩、今日は大人しく寝といてください。また今度、言っておきたいことがいっぱいあるので」


 すっかりいつも通りの時雨に、蓮が機嫌を損ねたように吐き捨てる。静かな部屋に重い声がよく通る。


「覚悟しとけよ、時雨」


「茶化すなハト、そういうとこだぞ」


「俺のこういう所がなんだって?時雨、じっくり訊かせてもらおうか」


 時雨には腕相撲負け無しのハトが手を鳴らす。そうとうに怒っているらしい。ゴキゴキと鳴る音が無駄に大きい。潰されすぎて、関節の気泡が悲鳴をあげそうだ。


「先輩のそういう所がダメなんですよ!」


「言われてるぞ~時雨、情けない奴だな」


「少しは反省してください!先輩は今、安静にしてなきゃいけないんですよ!」


「それとこれとは関係ない!いくら蓮でも性格に口出しするなよ」


 昵懇の仲でなかったら確実にケンカに発展しそうな会話だ。時雨としては蓮を擁護したつもりだったのになぜか返り討ちにあってしまった。


「時雨、ブーメラン刺さってるぞ」


「見てるだけ痛そうですね、まあ先輩は痛いですけど」


「蓮、俺に刺さったブーメランが痛そうとか俺の性格が痛いとか、流石に怒るぞ?ところで、どうして蓮まで保健室にいるんだ?」


「ああ、お前がぶっ倒れたらしいってことは学校中の噂になってるからな。駆けつけたんだろ」


「いやまぁ、私は……たまたま近くを通ったからそれで……。あぁ、私のことはいいんです!」


 身を乗り出して訴える蓮の毛布を掴む力が強くなる。


「先輩はVRとか使ったら、やたら発狂する類の人なんですか。それで以て気絶するとかセンチメンタルっていうか、お豆腐メンタルというか、ちょっとダサいですよ」


「散々な言われようだなおい、まあ否定はできないか。うわぁ……傍から見たら絶対ヤバい奴じゃん、今考えたけどめっちゃ恥ずかしくなってきた。どっかに入れる穴ないかな、できれば一生出なくてよさげな感じの」


「冗談言えるくらいに元気があるなら、一旦今日のところは大丈夫そうだな。それと、桐瀬さんもそうとう心配してたからあんまりいじめるなよ。あと桐瀬さん、それは少しズレてる」


「ごめん、蓮」


「そろそろ話してもいいんじゃないか、時雨。何があった」


 一通り言った鳩三郎が切り出す。なにやら蓮も興味があるようで、恐らくはこの本題を訊くために残っていたのだろう。至極当然ではある。


「何が……?何が、あったんだっけ。悪い夢を見てたような気はするんだけど、全然思い出せないや」


「先輩さっきまでうなされてたんですよ、少しくらい覚えてないんですか。体温は普通でしたし、熱に浮かされてたってことはないと思いますし……」


「お前これじゃあ仮病と変わらんぞ。特に体に異常はなかったんだ、あっちの世界に意識があった以上、嘘じゃないとは思うが、どうしてお前は苦しんだんだ」


「なんで俺は……何が俺にあったんだ。あれ?夢みたいにまるで思い出せない」


「無理に思い出そうとかしないでくださいね、多分よっぽど辛かったんですよ。よくあるじゃないですか、強い苦痛を強いられた人が記憶をなくすって。あれ、人間の防衛本能みたいなものらしくて、トラウマの記憶を脳が封印するらしいですよ。でも、記憶自体はなくなることって無いらしいので、下手に思い出さない方がいいですよ」


「要は、記憶喪失ってことか。だとして俺は爆弾抱えたってことになる訳か」


「面白そうだな!お前のパンドラのはこ開けてみたら800歳にでもなるのか!」


「それは玉手箱ですよ。竜宮城の、浦島太郎!」


「パンドラの匣、開けちゃいけない禁忌の箱か。確かにそうかもしれないんだけど、全く以て笑えないからなお前ら。しかも玉手箱の設定も微妙に合ってないし」


 愉しげに笑うのは蓮たちなりの気遣いなのだが、笑えないのも又当人である時雨からしてみれば確かにそうだ。


「さしずめ悪夢ってとこだな。まあとにかく、無理は厳禁だからな」


「変なことしちゃダメですからね」


「兎にも角にもじゃないんだよな。無理ってなんだよ。お前らは停電して動かない自動ドアを閉じたままにしろって言うのか?コントロールなんてできっこないんだ、俺が何もしなくたって開くときは開くし、それこそ神とやらにでも祈れって?」


「別に仏でもいいですけど、適当にお祈りしとくのが良いんじゃないですか。ショック性なら心理ストレスとかが原因ですし、気持ちが落ち着けばきっと解決しますよ。神様ですかー、面白いですね!もしいるなら気まぐれがどうなるか次第ですね、まさに神のみぞ知る、みたいな」


「時雨には丁度いいかもな」


 時雨は無宗教、神などは微塵も信じていないが、鳩三郎が皮肉った笑みを浮かべる。


「冗談じゃないぞ。他人に自分のこと決められるとか、大嫌いなんだ。そんなもの各々の主観によるじゃないか」


「少しくらい他力本願になってもいいんじゃないか?いつも思ってたけどお前、他を嫌いすぎだろ。受け入れなすぎだ」


「大袈裟だなハトは、そこまで度が酷いものでもないだろ。そんなことしても自分にプラスなことがないじゃないか。俺はMじゃない」


「いいえ、先輩はMです。超ド級の天性のマゾヒストです!」


「蓮、お前は生粋のサディストだからな」


 蓮の急な攻撃も慣れれば返すのは簡単だった。ほぼ反射的に時雨が応える。


「私が1度でも先輩を踏みつけました?むしろ今日だって目が覚めるまで介抱してたんですよ、どこが残酷なんですか!」


「いつも精神的にやられてるよ、毒吐かれてるよ!」


 いがみ合う二人を遠い目で見つめる鳩三郎が肩掛けバッグを持ち上げ、時間を確認しておもむろに席を立つ


「あー、お二人さん。楽しんでるとこ悪いんだけど俺これから塾でさ、時雨も元気そうだし抜けるわ。くれぐれも、間違えだけは起こすなよ。じゃ、これで」


「おいハトお前今なんて言った、覚えとけよ!」


「ハハハ、記憶にございませんよ」


 心底可笑しそうにしながら扉を閉めて出ていってしまった。


「先輩あの、今少しいいですか?」


「ん、どうした」


「先輩にお願いしてたことなんですけど、もう今日は無理なのでいつにしようかなって」


 時雨が相談を受けたのは昼休み。今日の放課後に買い出しに行くということになっていた。この際の延期は仕方のないことだろう。


「明日とかどうだ、土曜だし時間があれば平日よりも余裕あるしな」


「私は大丈夫ですけど、先輩は念の為に休んでた方が良いんじゃないですか?」


「ああ、大丈夫。悪いところとかなさそうだし、体もすごいスッキリしてんだよ。よく寝れたっていうか、そんな感じ」


「じゃあその、明日の朝9時に待ち合わせしましょう」


「オーケー、じゃあ蓮もそろそろ帰れよな。もうすぐ日が暮れるだろ、この時期はあっという間に暗くなって危ないからさ。俺は先生達に経過の報告してから帰るから、今日は先に行ってくれ、悪い」


「はい、じゃあ先輩もなるべく早く帰るんですよ。明日遅れたらいい加減怒りますからね。絶対ですよ、絶対!」


「昼は悪かったって。じゃあな、また明日」


「とりあえず職員室行くか……。てかなんで保健室に教師が誰もいないんだよ」


◇◆◇


「はぁ、何も覚えてないと?」


「はい、キレイさっぱりこれっぽっちも」


 心配そうなのは担任の先生も同様だった。それでも本人が覚えていない以上、どうすることもできない。


「露城の体調が大丈夫ならそれに越したことはないんだけど、それじゃ先生達だって何も分からないぞ」


「思い出したら伝えます。多分そこまで大したことじゃないので、時間が経てばどうでも良くなるとは思いますけど」


「事の重大性ってのは露城次第だけど、報告は忘れるなよ。頭痛薬とかいるか?」


「いえ、体調面に異常はないんです。自分でもよく分からないんですけど、病気とかじゃない気がして」


「そうか、何かあったら学校に連絡してな。来週は元気に来いよ」


「はい、ご心配をおかけしました。さようなら」


「はいお疲れさん。手紙の提出期限、来週までだからな」




 時雨が昇降口から出る頃には、辺りは暗くなっていた。陽は地平線の彼方に落ちていて、けれどその残光が惜しそうに家々を照らす。濃いオレンジが低く沈み、藍色の夕闇が押し潰さんとばかりに立ち込めていた。

 すっかりと秋の夜だ。街灯が灯り、明るいと感じることができる。そして、あと少し息をつく間にこの世界は闇に呑まれるだろう。風は冷たくはない。生ぬるくもない。そよ風とは違う、心地の良いそれだ。マンション、スーパーそして行き交う車。その灯り1つ1つに誰かの生活を乗せている。時雨にとってその景色は幸せに足るものだった。

 今日はこうだったとか、明日はどうしたいとか。歌を口ずさんで、好きなことに思いを馳せて。そうやって帰るのが時雨のテンプレートだ。蓮と二人でも、喋ることの方が少ない。

 そしていつも気がついたら駅の雑踏が近づいている。

 今日自分に起きたこと、時雨に自覚はできなくても、迷惑をかけたことへの罪悪感が抜けないでいた。


「今日は三日月か」


 いつの間にかすっかりと夜になった空に白んだ月が浮かんでいた。細く鋭い上弦の月が。雲がかかっていて、隠れては現れを繰り返している。


 階段を上り駅のホーム、電車到着のアナウンスが流れ、急いで列に並ぶ。もうすぐそこにまで車両は来ていた。

 全国では次第に電車の運行が減り、リニアモーターカーにじわじわと取って代わられてきているが、今だに旧式の電車が多数を占めている。研究に掛かった費用が回収できておらず、鉄道会社も簡単には手を出せないほど高額な物となっているからだ。


 いつもの癖で空を見上げると、月は変わらずに光っていた。


「ん……、月__?」


 電車のブレーキ音が響く、思考を掻き消しながら。

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