第3話 観察者の追想②

 白い仮面は、突然に現れた。音も気配もなく、宵闇にでも溶けていたかのように。


「また会ったね、時雨」


月を見上げ、懐古の念を吟じるかのように振る舞うそれは、楽しげに嗤う。時代遅れのローブは夜風になびいている。


「それにしてもずいぶんと大きくなったね」


「お前は誰だ」


「忘れちゃったの?酷いなぁ」


「ここはどこだ」


「君の記憶さ。ああ、懐かしいよ」


「お前は何だ」


「人間、君と同じくね。そんなのは見ればわかるでしょ。ところで、いきなりの質問攻めで何か分かったかい?ま、ボクのことなんて知りようがないだろうけど」


 ここまで訊いて微かに笑って、時雨が仮面を睥睨する。仮面の方は楽しそうに鼻歌を歌っている。


「ああ、お前が嘘をついているってことくらいはな。不気味で気持ち悪い奴だが、ボロは出るらしいな」


「ほう、面白いじゃない。是非とも教えて欲しいね、君の推理とやらを」


 挑発するような抑揚で、面白がるように仮面は言う。月光を背にたたえて屈むようにして腰を低く覗き込むような姿勢だ。まるで怯んでいる様子はない。


「お前はコンピュータープログラムで人間なんかじゃない。なんでかって?お前はクラスメートじゃない。仮想現実であるこの世界に存在する人間は俺だけのはずだから。そうなれば、お前はNPC以外の何者でもなくなる。それに俺はこんな場所は知らない。ここをどおしてお前が知っている?」


「確かにクラスメートじゃあないね。君が知らない場所、か。そう捉えてもおかしくないかもね。でも、それは違うんだよ。ところで君は今、仮想現実がどうとか言ったね。けど、ボクからしてみればそんな前提条件なんて知ったことじゃない。他の人間が云々、って何の話だい?あとボクはNPCなんかじゃないよ。ボクは君よりここを知っているから。忘れることなんてできないだろうしね」


 ことごとくとして答える仮面は、片足を浮かせて遊んでいる。興味がないとでも言うかのように舞うそれは、尚も作られた表情だった。変わることのない、無機質な。


「ならどうして、ここが記憶だと断言できた」


「ボクと君で共有した最初の場所だからさ。本当に全部忘れちゃったみたいだね」


 見下すような、あるいは見損なったかのような。仮面に影を落として発する言葉は、明らかに反応を楽しんでいる。笑いを堪えて言葉が震えている。


「お前は何を知っている?その仮面を外して顔を見せろ。全部話せ!」


 怒りをにじませて吠える時雨に、仮面はあざけるようだった。からかっているかのようにわざとらしく顎に手を添えて、考えるポーズをとって首を傾げる。


「落ち着いてよ時雨、別に思い出したってろくなことにならないよ。大したことじゃない、ボクは君の記憶の一部。要はカケラだ、仮面を外しても何もないよ」


「だったら……!だったら、俺とお前が顔見知りだって、証拠でもあるのかよ」


「んー、そうだなー。あ、流石にこう言えば何か思い出すかもしれないなー」


 退屈だとでも言うかのような欠伸が漏れる。重苦しい空気には不釣り合いな、間の抜けた息が白く凍る。


「……ごめんね、時雨」


 長い沈黙、口を押さえて時雨がよろける。倒れ込むようにして後ろに傾くからだを仮面が支える。


「は……!?」


「流石にキツかったみたいだね、仕方ないか」


 手すりを伝い、なんとか端まで来ると、時雨は腰を下ろし、ゆっくりと座り込む。顔はまだ青白い。疲れたため息を吐いて見上げる空には、依然として月が輝いていた。


「こんな言葉に何の意味があるんだ、教えてくれ、いったい何がどうなってるのか」


「悪いけど、その様子じゃ無理だ。余計に負荷を掛けるだけになるからね。でもなるほど、どうやら君の記憶は完全に消えた訳じゃないみたいだ。過去の因子が体内に残留しているようだね。あ、でも少し面倒かもしれないな」


「過去?面倒?お前、何を言ってるんだ」


「そんな思いをしてまで君は過去を知りたいかい?」


「……いや、もうお腹一杯だね。こんな陰鬱としたところ、さっさとおさらばしたいくらいだ」


「そうか良かったよ。勘が鋭いからね、君は。さ、少し話をしよう」


「話?もう充分しただろ、それに、これ以上は収穫が無さそうだから時間の無駄だ」


 駄々をこねる子供のように「いいでしょ?」と訴える仮面が手を合わせている。言って引くようなパターンでないことは自明だ。


「世間話だよ、君の最近のことを知りたいんだ」


「……勝手にしろよ」


「じゃあ遠慮なくそうさせてもらうね」


「君は今、高校生だっけか」


「ああ。今年は受験も控えてるし、色々やらなきゃいけないのはわかってるんだけどな」


「好きな人は?」


「うるさい、関係ないだろ」


「いるんだ~、照れてる時雨も可愛い。高校生だもんね、順調に成長してるみたいで良かった」


「……うるさい」


 顔を背ける時雨に失笑する仮面は、時雨の隣に佇んで視線を合わせることも無いままに手すりに寄りかかって月を見上げる。


「あ、最近悩みとかってあるの?」


「悩みってほどのものでもないけど、ブラックな条件で仕事を受けちゃったこととかかな」


「面白いね、無賃労働でもさせられるの?ねえ、どんな?」


「物資の輸送ってとこだな。少しは見返りあると思ってるから、まあいいけど」


「ふーん、なんだつまんない。もっとさあ、非日常に連れ出してくれそうな話とかさ、無いの?」


「1つだけあるぞ、聞くか?」


「うん!」


 仮面の下の表情は見えることはないが、なんとも楽しげに興奮している。


「ある日のことでした」


「御伽話みたいだね!お婆さんとお爺さんが出てきてさ!」


「桃なんか流れてこないからな。てか、そんなのいないだろ……」


「一人の少年がいました。訳のわからない場所に連れてこられた少年は気味の悪い仮面野郎に出くわしましたとさ、おしまい」


「え!それだけー?しかもそれボクのことだよね、酷いよ」


「うるさいな、だったら自分から何か話せよ。注文が多いぞ」


「じゃあボクもやるね。“操り人形マリオネット”」


「ある女の子のお話です。彼女はバレエが大好きでした。そんなある日、彼女は舞台オーディションを受けることになりました。彼女はひたすらに頑張りました。頑張って頑張って、その日を迎えました。」


「どこにでもある話じゃないか」


「じゃあどうなると思う?」


「裏を掻けば失敗するオチか、もしくは単なるハッピーエンドとか?」


「さあ、どうかな?それじゃ続けるよ__」


「そして迎えた当日、多くの観客で満たされた会場に、彼女は少し緊張していたけれど、なんとか無事に踊り終えることができた。そして後日、見事に合格したと通知が届いたんだ」


「良かったな、合格できて」


「そして成功を重ねていった彼女は父親のマネジメントにより、まさに時の人となっていきました。しかしある時、彼女は逮捕されてしまいました。脱税です。父親が彼女のお金の一部を隠れて着服していたのです。そして気づきました。自分は父親が遊ぶための金づるの当て馬、踊らされていただけの操り人形に過ぎなかったのだと。おしまい」


「胸糞展開が強すぎませんかねぇ、少し無理矢理な気もするけど」


「こじつけのエンドだからね、正直何でも良かったから。考えるのは面倒だし、それに、大体皆何かしらに踊らされて生きてるでしょ。夢だの希望だの、そういう物に縋ってないと、この世界はどこまでも残酷だからね。……どう、いい暇潰しになったでしょ?」


「そうだな、そろそろ時間かもしれない。お前、悪い奴じゃなさそうだな。今日はありがとう」


 膝の埃を払い立ち上がる時雨の横で、仮面もまた腰を上げる。


「もうすぐいなくなっちゃうのか~。それじゃボクからも別れの挨拶しなくちゃだね」


「時雨、さよなら」


 向かい合って、時雨の右肩に手を添える。瞬間、ローブの下に隠されていた右手からナイフが飛び出した。リーチの短い小さなそれは、鋭利な刃に光を反射させ、妖しく空を切る。およそ遠距離攻撃には向かない、ちんけな刃物。時雨のシャツの首元のボタンを飛ばして、間一髪で掠める。

 フェンスから乗り出した上半身はそのままに、仮面の空ぶった腕を押さえて無理矢理に全体重を載せる。


「痛っ!」


 時雨の腕を剥がそうと振り払うと、バランスを崩し、二人共々よろけて重なるようにして床に倒れ込む。ナイフが手から滑り、時雨はさらに締め付ける力を強くする。対する仮面は、余った手で時雨の顔を叩き隙をついて回転、今度は時雨に馬乗りになる形になる。

 仮面は立ち上がり素早く離れ滑らせたナイフを掴むと、フェンスの方へ回り込み背後を取ったが、時雨もまた負けじと構える。


生憎あいにく、勘だけは鋭いんでね。そう簡単にやられるかよ」


 あからさまに狙いの外れた攻撃が、時雨の傍を突く。先程までの鋭敏さからは考えられないほどに単調だ。

 すかさずに仮面の間合いに入り込み、投げ技を仕掛けてみる。相手は未だに反動で体制を立て直せていない。体育での柔道が少しは役に立ったというところか。


「ああ、そうだったね。ボクとしたことが忘れてたよ。まさかボクの攻撃をかわすなんてね、やるじゃない。でもね、もう遅いんだよ」


 尋常ではないスピードで手が戻っていく。瞬く間に回り込まれ。


 時雨は突き落とされた。


 スロー再生になる視界に、黒い空が満ちる。


「どうして急に俺を殺そうとするんだ、やっぱり何かがおかしい!それにお前のその声、どこかできっと__」


__聞いたことがある。口籠ったその言葉が届くことはない。打ちつける風が、浮かぶ涙を乾かす。あと数秒で時雨の体は鉄屑どもに叩きつけられ、この世界のスクラップ、その一部になるだろう。


「戦う意思の無い奴は早く死んだ方がいいからだよ。もう遅いって言ったでしょ?」


 してやったり、とでも言っているつもりか、穏やかな声音には憐れみすらない。


「戦う?いったい何と……」


「死ぬ君にはどうせもう関係の無いことだよ。さよなら、当て馬」


耳鳴りがうるさく、世界を光が覆ってゆく。伸ばした手は何も掴めずに、生すらも手放そうとしている。涙も見開いた眼球も、乾ききって光を宿してはいない。


 高く月が嗤っていた。

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