異世界召喚を断って天使と同居始めました

空色蜻蛉

異世界召喚を断って天使と同居始めました

 ハルカは目付きが悪い。

 髪は明るい茶色に染めていて、耳にはピアス穴をいくつも開けている。学校指定の白シャツは豪快に開襟して、上から二つほどボタンを外していた。シャツの胸ポケットの上に、不良が通うことで有名な偏差値の低い学校の校章が縫ってある。

 

「ああん?」

 

 そんなハルカが不機嫌そうに唸ったので、目の前の幼女は涙目になって後退りした。

 幼女は日本では滅多に見ない金髪碧眼の美少女で、背中に可愛らしい白い羽が生えている。白いブラウスに青いスカートをはいて、身長と同じ丈の杖を持っていた。

 そこは不思議な白い異空間で、ハルカと幼女しかいない。

 

「あなたには異世界へ行って勇者になって、魔王を倒して欲しいんですぅ!」

「なんで?」

「トラックに跳ねられた人の中で、素質のありそうな人に声を掛けるルールなんです! ちなみに私は天使です!」

 

 ルールと聞いて、ハルカは即座に決めた。

 校則や法律、数学の式、科学の法則性、決まった時間に鳴る目覚ましまで。およそルールと名の付くそれらが、ハルカは大嫌いだった。

 

「俺、帰るわ」

「え?」

 

 ハルカは現世に帰還することにした。

 

「えええっ、なんで自力で戻れるんですかーっ? せっかく魂をここまで引っ張ってきたのに!」

 

 それって誘拐じゃないか、と思いながら、ハルカは幼女を残して異空間を後にした。

 

 

 

 現世に帰ってくると、電信柱にぶつかったトラックが目の前にあった。

 凹んだバンパーと折れそうな電信柱。

 

「おう……」

「にゃー」

 

 腕の中から猫の鳴き声がする。

 ハルカが助けた猫は、感謝を告げるように鳴くと、腕の中から飛び降りた。

 

「ハルカ、大丈夫か?!」

「ああ」

「病院行こうよ! 思いっきりぶつかっただろ!」

「別にいいよ。トラックがぶつかったくらいで死なないし」

「いや普通は死ぬよ?!」

 

 ズボンから砂ぼこりを払って立ち上がる。

 一緒に学校から帰る途中だった、友人の田中が驚愕している。

 病院に行って検査されるのは面倒だったので、ハルカは田中を連れて現場から速やかに退散することにした。

 いつの間にか猫はいなくなっていた。

 

 

 

 家に帰ってハルカは夕飯のカレーを作り始めた。

 玉ねぎとジャガイモとニンジンの皮をむき、切り刻む。一口サイズに切った鶏肉はフライパンで軽く炒めた。

 

「……やっと追い付いたーっ! あの後、上司に怒られたんですよ! 勇者候補を説得して連れてこいって」

「カレー食べる?」

「……頂きます」

 

 突然、室内に現れた天使に、ハルカはカレーを勧めた。

 すべての材料を鍋に放り込んでルーを溶かし入れたところなので、鍋からは良い匂いが立ち上っている。

 天使は少し迷ったようだが、食欲に負けて了承した。

 ハルカはできたばかりのカレーを皿に盛って出す。

 

「すごくお腹が空いてたんです! 給料日前でご飯が買えなくて」

「お前ブラック企業にでも勤めてんの? そんな仕事辞めて、俺の家に住めばいい。炊事洗濯を手伝うなら置いてやるぞ」

「本当に?」

 

 百面相して、うんうん唸って、散々迷ったあげく、ハルカが布団と柔らかいクッションを出した頃に、天使は観念したように言った。

 

「……よろしくお願いします」

「おう」

「私、ルリと言います」

 

 こうして天使ルリは、ハルカの家の居候になってしまった。

 

 

 

 ルリはハルカの説得を諦めていないようで、最初の頃は「異世界に行ったら素敵な特典が」「はいはい」などと言うやり取りをしていた。

 しかし一年が過ぎた辺りから、ルリは異世界関係のことは言わなくなった。

 代わりに口にするようになった言葉は。

 

「好きです、ハルカさん」

「はいはい」

 

 ハルカは本気に受け取らずに、適当に流した。

 

「もう!」

「それよりも、今日はお前がカレーを作れよ」

 

 この一年でルリもかなり家事が上達した。

 夕飯の準備で、ジャガイモをごりごり切りながら、遠慮がちに聞く。

 

「あの、ハルカさん。ご両親は……?」

「……」 

 

 ハルカは答えない。

 高層マンションの2LDKにハルカは一人で住んでいる。両親や保護者の姿を、ルリは見たことがなかった。また、それらの家族にまつわる話は、ハルカの話に出たことはない。

 たまに突っ込んでみてもはぐらかされるか、だんまりだった。

 

「……私、牛乳を買ってきます」

「おいカレーと何の関係が」

「カレーに牛乳を入れると、味がまろやかになるんです!」

 

 沈黙が耐えきれなくなって、ルリは小銭入れを持って部屋を飛び出した。エレベーターで一階に降りて、近くのコンビニを目指す。

 

「ハルカさん……」

 

 一緒に住むようになって、ルリはハルカが見た目より繊細で、困っている人を見つけると放っておけない性格だと気付いた。

 なぜか不良のような見た目にこだわっているが、本当は優しい人だ。

 ハルカは何か秘密を持っている。

 いつか話してくれないだろうか。そう考えると切なくなるくらい、ルリはハルカが好きになっていた。

 

 物思いに耽っていたルリは、コンビニに入る手前の駐車場で、呼び止められて足を止める。

 

「すっかり現地人だな」

「……」

  

 平穏な住宅街に不似合いな黒スーツの男は、かつてのルリの上司だった。天使の上司なので神様だ。ちなみにルリの勤めていた天界かいしゃでは神は一柱だけではなく、様々な役割と力を持った神様が沢山いる。

  

「部下のお前が失踪したせいで、俺は管理不届きが失点となり上級神への昇格が無くなった。次の査定は百年後だぞ。どうしてくれる?」

 

 まるでヤの付く職業の人のように、上司はルリを恫喝どうかつする。

 

「お前の身体……いや、魂で支払ってもらうぜ」

「ひっ」

 

 威圧感を出して近付いてくる上司。

 彼はルリの魂を魔力に変換して、自分の力の糧にするつもりなのだ。

 

「牛乳が入ったカレーなんていらん、と止めに来たんだが、なんで絡まれてるんだ?」

「ハルカさん!」

 

 ルリを追ってきたらしい。

 マンションの方向からハルカがやってきて、不思議そうに上司を見ている。

 一瞬、ルリは「来てくれたんだ」と嬉しくなってしまったが、すぐにブンブン首を振った。

 

「逃げてください、ハルカさん! こいつは神様……」

「はあ?」

「人間か。自分の不運を呪うといい」

 

 上司は片腕を上げる。

 その手のひらに白い光が凝縮され、光球が出現した。

 

「死ね」

「ハルカさん!」

 

 ご近所迷惑もなんのその。

 後で神様の能力で復元できると分かっているからか、上司は建物が吹き飛ぶくらいの威力の光球を遠慮なく放ってきた。

 ルリは悲鳴を上げる。

 

「……ったく」

 

 ハルカは顔色を変えず、飛んできた光球を、まるでソフトボールの球のように片手で掴みとった。

 

「神様ごときが俺を殺せる訳ないだろ」

「うそっ」

 

 そして光球を握りつぶした。

 ルリは思わぬ展開に呆気にとられる。

 

「ハルカ……まさか、上級神でありながらルールに関わる仕事をするのが嫌だと失踪した」

「黙れ」

 

 ハルカはつかつかと上司に歩み寄ると、思い切り腹を蹴り、胸ぐらを掴みあげて剣呑な目付きで睨んだ。

 

「死にたくなきゃ、とっとと失せろ」

「は、はぃー」

 

 上司は真っ青になって、ハルカが手を離した途端、転移能力を使って姿を消した。

 

「ルリ。カレーにはウスターソースだ。例外は認めない」

「結局、コンビニに寄るんですね」

 

 ハルカがコンビニに入っていったので、仰天していたルリは、慌てて後を追う。いつもと変わらぬ仏頂面を見上げながら、ハルカが上司より強かった件について考える。

 ハルカの秘密について、分かった気がする。

 コンビニに入ったハルカは、ウスターソースの他に菓子や水なども購入していた。

 

「ねえ、ハルカさん」

「ん?」

 

 買い物袋は、当然のようにハルカが持った。

 やっぱりハルカは優しい。

 ルリは思いきって、質問した。

 

「なぜルールが嫌いなんですか?」

 

 ハルカは眉ねを寄せて少し沈黙した。

 星空から流れ星が落ちて、彼の肩を横切った。

 

「……勇者と魔王の戦いを繰り返して何になるんだ。同じ事を繰り返して、それじゃ誰も救われない。何一つ前に進まない」

 

 低く静かな声だった。

 ルリは思う。お人好しのハルカは、皆を助けたかったのだろう、と。世の中で悪だとされている者たちにも、手を差しのべたかったのだろう。だがルールに従えばそれは叶わないのだ。

 

「やっぱり異世界に行きません?」

「ああ?」

「ハルカさんなら、とっても素敵な世界を作れると思うんですよね」

 

 ルリは、彼の買い物袋を持っていない方の手を強引に握る。

 予想通り振りほどかれることはなかった。

 こうやってずっと二人で歩いて行きたいと彼女は思った。

 

 

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