サイコキラー ヤス

大石 陽太

今日から俺は

 サイコキラー。

 それはとても危なくて、とても危険で、とてもデンジャラスな存在。

 そして、ここに今、サイコキラーになろうとする男がいた。

「へへへ……」

 男の名前はヤス。通称ヤス。いかにもスケベそうな顔に、ついさっき床屋で頼んできたほやほやのスポーツ刈り。絵に描いたような中肉中背で好きなことは親孝行。

 そんな男が今、辺りを見渡して、そのスケベな顔をニヤつかせていた。

「俺はなるんだ……サイコキラーに」

 なんという悪人だろうか。人の命などなんとも思っていない、まさにサイコ。

「おじちゃん、スケベな顔で何ニヤついてるの?」

 ヤスの足元にいたのは、まだ初等教育も受けていないであろう小さな女の子だった。ヤスは心の中でもそのスケベな顔をニヤつかせた。

「(へへへ……ごめんなぁ。君みたいな女の子にだって、サイコキラーは容赦しないんだよ……あとおじちゃんじゃなくてお兄さんだよぉ……)」

 ヤスはいやらしいニヤケ面で女の子の腕を掴んだ。


「いいよ」


 しかし、女の子は抵抗するどころか嫌な顔ひとつせずにヤスの行為を受け入れた。ヤスは動揺して、女の子の腕を離した。

「どうしたの? なんでやめるの?」

 ヤスは目の前にいるまだ初等教育も受けていなさそうな女の子のことを気味悪く思った。ヤスは小さい頃から不穏な空気を感じる器官が他人の一・二倍優れており、そのことを理由に初等教育時代は教頭先生から壮絶ないじめとフオハラを交互に受けていた。

「この子、何かやばい……」

「私の両親、離婚するんだけど、どっちが私を引き取るかで揉めてるの。揉めてるって言っても、取り合いじゃなくって、私の押し付け合い」

「なんだ……急にまあまあ重い話を語り始めたぞ……。それに初等教育を受けていないとは思えないほど流暢だ……」

「だから、もういいの。早く私を楽にして」

「悲劇のヒロインみたいなこと言い始めた……」

 女の子は何かを思い出したように、持っていたポーチの中をがちゃがちゃとまさぐり始めた。

 あまりの不穏さに立ちくらみを起こしかけたヤスは、自分が弱気になっているのを感じた。このままではダメだ。立派なサイコキラーになって東京にいるお母さんを喜ばせてやるんだ。

「分かった! 今楽にしてやる!」

「あった!」

 ヤスが女の子の腕を掴んだのと、女の子がポーチから包丁を出したのが同時だった。

「…………ん〜?」

「えへへ……これで私を……」

「ダメ! オレ、血が苦手なんだ! これでもかってくらい苦手なんだ! どうしようもなく苦手なんだ! 苦手すぎて前期中等教育時代に壮絶なアレを受けていたんだ! 頼むから流すのは汗と涙とうんちだけにしてくれ!」

 純粋な笑顔で包丁を掲げる女の子にヤスは心底恐怖した。これではどちらがサイコキラーか分からない。

「大丈夫だよおじちゃん。私だって、もうすでに経験済みだから」

 立ちくらみすぎて、東西南北、右左上下が分からなくなったヤスは、自然とブレイクダンスのように体が動いていた。

「幼稚園に安田くんっていう通称ヤスがいるんだけど、その子の喉にコガネムシが付いてたから思い切って牙突したら、出血多量でそのままお亡くなりになったの」

「幼稚園のヤスられちゃってるよ! コガネムシもろとも牙突されちゃったよ! しかもよりによって出血多量だよ!」

「おじちゃんでも、きっと大丈夫!」

 そう言うと、女の子は満面の笑みで、包丁を持った腕をヤスへ伸ばした。

「だから、これで私の両親を!」

「対象変わっちゃってるんですが⁉︎ 自分の命が他人の命にすり替わっちゃってるんですが⁉︎」

 もはや命の危険さえ感じ始めたヤスは、ブレイクダンスのような動きの遠心力を利用して女の子から逃げようとした。

「遅い!」

 しかし、瞬間移動的な何かで、ヤスの正面へ回り込んだ女の子は容赦ないローキックをヤスのすねにめり込ませた。

「いっっっっっっっっっったああああああああい!」

 ヤスの絶叫は超音波となって街中に届いた。

「ふん、軟弱者が。我はこんなにもつまらん存在を生み出してしまったのか」

「ぐ……神さま……?」

 その時、姿形がギリ判別できるかできないかくらいのところから、ヤスを呼ぶ声がした気がした。

「あれは……!」

 そこにいたのは、口の中いっぱいに食べ物を頬張っている底意地の悪そうな顔をした男だった。

「ブレイクファスト河本こうもと!」

 ブレイクファスト河本はヤスの後期中等教育時代のクラスメイトで、毎朝、パン、ごはん、味噌汁、目玉焼き、焼き魚にパンを口に含みながら登校することで有名な人間だった。しかし、毎朝必ず、冷たいコンクリート塀の角でうん 命子めいことぶつかるため、全て味わう前に吐き出してしまう悲しい男でもある。

「逃げろ! ブレイクファスト!」

 ヤスは全力で叫んだが、河本はまだヤスのことをギリ、人間と判別できていないらしく、逃げることなくその場に立ち尽くしていた。

「くっ、こうなったら俺が時間を稼いで……っていない⁉︎」

 ヤスは慌てて河本の方を見たが、ちょうど、河本の脛に、幼女の姿をした神の容赦ないローキックがめり込んでいるところだった。

「ブレイクファストォォォォォォォォォォォォォォォォ、河本ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」

 ヤスは河本の元へジョグで向かった。

 そこで、軽く息を切らしたヤスが目にしたのは、無残にも全ての食べ物を吐き出して、脛を押さえる見知らぬ中年だった。

「くそ! ブレイクファスト河本じゃなくて、たまたま急いでパン、ごはん、味噌汁、目玉焼き、焼き魚にパンを一気に口に含んでいたおじさんだったけどくそ!」

 悔しさのあまり顔を上げると、幼女の姿をした神が、瞬間移動的な何かを繰り返していた。

「ふふふ、どうだ。勘弁して人類を滅ぼす気になったか」

「くそ……スケールが桁違いになってる……!」

 サイコキラーなんて目指すんじゃなかったと、ヤスが後悔の涙を流した時、奇跡は起きた。

「おい……これは誰の仕業だ……!」

 そこにいたのは一人の警官だった。

 さすがの神も国家権力を前にしては、好き勝手に手が出せなかった。その隙を見てヤスは警官に助けを求めた。

「おまわりさん助けてください! 助けてください!」

「おい! 誰がやったかと聞いているんだ! 答えろ!」

「俺ですッ! 俺なんですッ! 俺がやりましたッ!」

 ヤスは警官の顔に唾を雨のように飛ばしながら大声で叫んだ。



「犯人はヤスです!」





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サイコキラー ヤス 大石 陽太 @oishiama

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