キレイ

「バルパがどう思ってるかは知らないけど、これはゆゆしき事態だっ!」

「そんなことを言っても、俺には何がなんだかわからん」

「うるせー、今度ばかりは我慢の限界だ!」

 バルパとミーナの二人は、パチパチと燃えているたき火の前で顔を突き合わせていた。

 ミーナはむすっと頬を膨らませており、怒っているようである。だがバルパからしてみれば、その理由は全くと言っていいほどにわからない。

 ミルドの街を出てから今日で二日目だが、このようなことが起こったのは一度や二度ではない。既にミーナが怒った回数は、片手では数え切れないほどである。

 バルパからすれば申し訳ない気持ちもあるが、どうしようもないだろうというのが本音である。

 彼は一度もダンジョンの外へ出たことのないゴブリン、対してミーナは長い時間を人間たちと過ごしてきた、普通の人だ。

 二人が持っている常識が同じであるはずがない。

 そんなことはわかりきっているのだから、もう少しくらい優しい目で見てはくれないだろうか。彼がそんな風に考えるのも無理のないことではある。

 さて、今回の癇癪かんしゃくの原因はどこにあるのだろう。バルパはそんな風に考えながら、自分の相方であり師匠でもある彼女の方を見つめる。

「だから言ってるだろ! 体は最低限しっかり洗えって!」

 今回ミーナが怒っているのは、バルパが不潔な状態のまま、旅を続けようとしている点であるらしい。

 以前冒険者というものは何日か水浴びをしないこともあるから、ある程度はそういったものについての耐性もあるという話は聞いていた。

 それなのにこれはどういうわけだろう。バルパとしては既にわけがわからない。

「おまえは冒険者だろう?」

「そうだ」

「それならば俺がどれだけ汚い格好をしようと、耐えることはできるだろう」

「物には限度ってものがあるだろう! ずっと我慢してたけど、もう限界だ! 今のお前はスラムにたむろしてるホームレスよりも臭いぞ!」

 どうやら今の自分は、かなり臭いらしい。まともに体を洗ったことすらないのだから、それも当然かもしれない。

 今までならばこのままでも大丈夫だったろうが、これから自分たちが向かうのは人間たちの暮らすリンプフェルトの街だ。

 郷に入れば郷に従え。人間たちに怪しまれないためには、彼女の言うことを聞く必要があるだろう。

「体を洗うというのは、一体どういうことを指している? 水の魔撃まげきを用いて、全身を水浸しにすればいいのか?」

「そ、そうだぞ。洗う時はタオルを使って、しっかりと全身の垢を落とすんだ。貴族なんかは石けんとかいうたいそうなもんを使うらしいが、バルパは普通の水洗いで大丈夫だぞ」

「わかった」

 バルパは無限収納インベントリアに触れ、今着ている鎧を中へと収納する。続いて肌着と武器をしまい、彼は文字通りの裸一貫になった。

「わ、わあっ! 何やってんだ、この馬鹿!」

 ミーナは何を思ってか、自分の顔を両手で覆い下を向いてしまった。どうやらまた自分は何かをしてしまったらしい、そう気づいた時には既に後の祭り。バルパはミーナに言われるがまま、岩陰へと向かう。

 ミーナから見えない位置に来てから、彼は無限収納に改めて触れた。タオル、と念じると服よりも随分と小さいサイズの布きれが出てくる。サイズとしては自分が以前つけていた腰蓑こしみのよりも更に小さい。

 これを使って、全身を拭くのか。そういえば石けんを使うこともある、とミーナは言っていたな。

 バルパが物は試しにと無限収納に触れ念じてみると、タオルを持っていない左側の手に、見たことのない固形物が現れた。

 彼が好んで食べている肉のような香りがして、どうにも食欲をそそられる。

 食べ物の匂いがするとは面妖な、と考えながらとりあえず全身を水浸しに。

 そして濡らした体にタオルを当ててゴシゴシと擦る。

 最初のうちは特に変化も見られなかったが、何度も何度も布を往復させていると徐々に変化が出はじめる。ポロポロと体の汚れが落ち始め、その下にはいつもよりも少しだけ明るくなっているように見える自分の緑色の皮膚が現れる。

 汚れを落とすことは、なんだか気持ちがいい。そんな風に快感を覚えるようになってから、自分の左手に石けんが握られていることを思い出す。

 これを使えばどうなってしまうのだろうか。好奇心からゴシゴシと石けんで体を擦ると、さっきよりも一層汚れが落ちるようになった。 これはなかなかどうして、悪くない。

 バルパは自分の全身から汚れという汚れを落とした。擦りすぎて肌が赤くなり始めるまで、ずっと肌を擦り続けたのだった。

「帰ったぞ」

「……よし、しっかりと洗えたみたいだな」「ああ、それほど悪いものではなかったな」「そうか、それならよかった。体は定期的に洗えよな」

「わかった。あの石けんで垢を落とす感覚は、少し気持ちがいい、特に問題はない」

「……え?」

 バルパとしては特に気にもしなかった一言ではあるが、その言葉はミーナの目の色を変えるのに十分な力を持っていた。

 ずずいと自分に近づいてくる彼女の圧力にかつてドラゴンと戦った時のような寒気を覚えながら、バルパはおとなしく彼女に従った。 ミーナがバルパから手に入れた石けんを惜しみなく使ったことは……言うまでもないことだろう。

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【書籍化記念SS】ゴブリンの勇者 神虎斉/DRAGON NOVELS @dragon-novels

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