【書籍化記念SS】ゴブリンの勇者

神虎斉/DRAGON NOVELS

在り方

 周囲に汗と糞尿の臭いが立ちこめている、とある路地の一画にその建物はあった。

 雨風をしのげぬような簡素な塗炭屋根に、隙間だらけの木板がついただけのその場所は、遠目に見れば家に見えるのかも怪しい。

「いただきます」

「「いただきます‼」」

 住居と呼べる最低限の機能を満たしただけのその家の中から、幾つもの元気な声が聞こえてくる。元気のある高い声は正しく子供のそれ、中にいる彼らのほとんどは幼い者達だった。

 目を凝らせば外から中が伺えるような適当な造りの家の中には、一人の女性とそれに付き従っている何人もの子供達の姿が見えている。

 元気よく声を出し、中身があるのかないのかもわからないような味気のないスープを啜り始める彼ら。

 皆の顔は明らかに貧しい食事風景にもかかわらず、一様に明るい。

「ほら、どうしたんですかミーナ。急いで食べないと冷めてしまいますよ」

「……」

 だがそんな中に一人、明らかに不服そうな様子を隠さぬ少女がいる。 

 彼らの保護者とおぼしき女性が、ミーナと呼ばれていた一人の少女へ声をかける。

 だが彼女は黙して語らず、答える代わりに木匙でスープを掬って口に運ぶ。こうすれば食事をしているという大義名分が出来、わざわざ目の前の女性と話す必要がないと少女にはわかっているからだ。

 それを見た女性は小さくため息を吐くと、それ以上何も言わずに他の子達へと注意の方向を変えた。

 ザガ王国の東部にあるミルド、そこは荒くれ者や腕自慢達の集う街。

 迷宮と呼ばれるモンスターの巣窟があるその場所には、夢が詰まっていた。

 金と欲望渦巻く迷宮街ミルドの治安は決してよろしくはない。

 そこは、そんな街のとある一画にある孤児院だった。

 そんな場所に彼女……ミーナは生きていた。

 生の実感を、伴わぬままに。


 彼女は自分の親がどういった人物なのか、何も知らなった。物心つく前から孤児院に預けられたために親元に帰ることも出来なければ、基本的に自由などというものもない。

 だが、そんな孤児が生きていけるだけの優しさが、この街には確かにあった。

 満腹とまでは言えなくとも死なぬだけのご飯は与えられたし、成人になるまでは衣食住の面倒を見てもらうことも出来る。

 死にはしなかった。が……それだけだった。

 彼女の回りには、自分とそう変わらない境遇の孤児達がたくさんいる。だが彼女達はどうしてか、毎日が楽しそうだった。だが彼女は、ミーナはそれが不思議で不思議で仕方なかった。

 今の自分は、確かにスラムで行く宛てもなく盗人に落ちる者達と比べれば幸せなのだろう。そして夜には家に明かりを点け親子揃ってご飯を食べるような子と比べれば、不幸なのだろう。彼女はその事実に、なんら感想を抱かなかった。

 豊かではないが、貧しくもない。家族はなく、自分は一人。

 ミーナは年の近い子達に囲まれても、孤独を感じ続けていた。

 自分は、不幸ではないし幸福でもない。どこにでもいるようなありふれた人間だ。

 彼女は自分を育ててくれた孤児院が、そこに住まうシスターが、そして孤児が好きではなかった。

 孤児院では子供達は流れ作業のようにやってくるし消えていく。

 働き手として貰われる子もいれば、見初められて誰かの愛妾として消えていく子もいる。

 ミーナは嫌だった、自分を取り巻く全てが。

 そして……何よりも自分のことが、彼女は嫌いだった。

 皆が見ているのは、自分ではない。自分に割り振られる食事、仕事、そして斡旋される職。その全てが、自分ではない他の誰でも出来ることだ。

 ここにいる私は、いくらでも替えが利く人間でしかない。

 私という人間がいなくなっても、誰も困らない。

 彼女は日々の生活の中で、そんな思いを日に日に強めていった。

 大して手入れもしていないのに光沢のある銀髪も、周囲と比べて整っている容姿もなんら慰めにはならなかった。

 好きだと言ってくれる異性も、自分を手籠めにしようとする大人達も嫌いだった。

 彼らが見ているのは自分、ではなくて自分の外側だけだったから。

 私は自分を、自分として認めて欲しい。外見だけでも性格だけでもない、ミーナという一人の人間として。

 彼女はいつしかそう思うようになった。

 だが所詮は孤児、彼女のそんな願いが簡単に叶うはずもない。

 何者でもない何かになりたい、だけどなれない。

 彼女の精神は、日々磨耗していった。

 もう、適当に妥協してしまおうか。

 死なない程度に媚を売り、適当に嫁にでも入るために男のあしらいかたを覚えようか。

 彼女がそんな風に考え始めたある日、転機が訪れた。

 ミーナは彼女の魔法の才能を見抜いた、とある魔法使いと出会ったのだ。


 名すら名乗らぬその男は、孤児院にふらりとやって来て突然ミーナの手を取った。

 君には魔法の才能がある、よければ魔法を覚えてみないか。

 その一言に、ミーナの燻りかけていた炎は再び熱を取り戻す。

 孤児院の規約を破らぬよう、彼女は期間限定の労働契約という形で魔法使いへ弟子入りすることになった。

 これで自分は変われるかもしれないという強い思いが、彼女を思い立たせたのだ。

 タイムリミットは彼が街を離れるまでの一ヶ月。そこで魔法が使えなければ今後ミーナにこんなチャンスは二度とやってこないだろう。

 だから彼女は死にもの狂いで頑張った。覚えのよくない頭を必死に働かせ、魔力欠乏により気絶を繰り返しながらも、ミーナは弱音を吐くこともなく魔法を発動する練習を続けた。

「……よし、これで魔力の変質までスムーズに出来るようになった。なんとか間に合って良かったよ」

「はい、師匠‼」

「これでもう、僕に教えられることはない。あとは自分で頑張りなさい」

「……はいっ‼」

「君は今この時を以て魔法使いになった。まぁ、まだまだひよっこだけどね」

 一ヶ月近い時間を昼夜を共にして過ごしたにもかかわらず、名前すらも教えてくれなかった自分の先生の方を見る。

 闇魔法で顔を隠しているために、ミーナには彼の髪色すらわからなかった。

 だが乱暴をされるようなこともなく、彼はミーナが魔法を使うことが出来るようになるまでしっかりと面倒を見てくれた。

 そしてミーナは魔力の循環、放出、そして変質という魔法に必要である三つの要素について、最低限の知識と技術を身に付けることに成功したのだ。

 彼女は既に小さい火の玉や、親指ほどのサイズの土の槍を生み出すことが出来る。

 本当に最低限のことしか教わってはいなかったが、一ヶ月というタイムリミットがある以上これは仕方がないことだった。魔法が使えるようになる前に魔法の応用方法を教え、刻限がやって来てしまってはなんの意味もない。

 これで自分は正真正銘の魔法使いになったんだ。自らの師匠に魔法使いだと認められたことで、今まで漠然としていたものが輪郭をとっていく。

 自分は今、何かになれた。そんな実感が胸からこみ上げてくるようになった。

「さてミーナ、魔法使いになった君に質問だ。君はその力を使ってどういう風に在りたい?」

「……私、難しいことはわからないです」

「行為は在り方に帰結するのさ。大切なのは何をするかではなく、なんのためにするかということなんだ」

「……」

 彼女の師匠は、時折難しい言葉を使うことがあった。まともな教育を受けていないのを馬鹿にしているのではないかと邪推したことは一度や二度ではない。

「そうだね、じゃあこういう言い方をしよう。君はその魔法を使って何がしたい?」

「何が……」

「君は暴力に酔うタイプじゃない、だけど荒事に向いているタイプとも思えない。魔法を使って土木工事や漁でも手伝うかい? そういった職は倍率高いから結構難しいけどね」

 魔法を覚えたいと思った原因は、特別な力があれば自分は何かになれるのではないかという期待からだった。

 魔法を使いたいという願望はあったが、自分はその先のことは考えていなかった。

 何がしたいだろう、そう考えて頭を捻るが中々答えは出ない。

「君は魔法、というものに憧れを抱いていただろう?」

「……はい」

 思考を遮ったのは自分の師匠の言葉だった。最初の頃に魔力欠乏で気絶し失禁した姿を見せているため、ミーナは彼へ本音を話せるようになっていた。

 彼女の答えを聞いて一つ頷いた男が、右の人指し指をピンと上に向ける。するとその周囲をぐるぐると光の渦が回り始める。

「魔法が使えない人間からするとね、魔法使いというのは特別な存在に見える。得体の知れない力を使えるってだけで、彼らの恐怖は天井知らずさ」

 光の渦は螺旋を描きながら上昇し、彼の頭上へと上がっていく。そして天井に当たると、ふわりと音もなく消えてしまった。

「けどね、実際魔法使いになってみれば案外こんなもんなんだよ。魔法使いはただの人、腕力や手先の器用さの代わりに魔法を使う能力があるってだけの、普通の人間なのさ」

 その言葉を聞き、ミーナの息が詰まる。

 お前は何をしても変われぬのだと、そう宣告されたような気がしたのだ。

「だけど、この力は使いようによっては本当に有用だ……」

 ビクッと肩を震わせ、顔を俯かせるミーナ。

 自分がこの一ヶ月してきたことは無駄だったのだ、そう言われているようで目の前の彼の話が頭に入ってこない。

 魔法を使えるようになっても、自分は何一つ変われなかった。

 それならばもう、何をしても変わらないのではないか。

 そんな思いから自然頭は重くなり、目はきつく閉じられる。

「……って、ほらほらそんなに思い悩まなくていいから。今まで持ってなかったものが手に入った、それくらい気軽に考えてればいいのさ」

 彼は上手く自分の気持ちを言葉に出来ないミーナを宥める。

 力は有って困るものじゃない、魔法が使えるだけの魔力を持って産まれた幸運を噛み締めるくらいの方が人生楽に生きられる。

 あまり深く考えすぎないように、そう言い残して彼は次の日には消えてしまった。

 そしてミーナは再び、一人になった。

 魔法という力を手に入れても、何かが劇的に変わるようなことはなかった。

 だが自分が野垂れ死なずに済むような力を手に入れたのは事実。

 とりあえず自分が手に入れたこの新たな力を磨こう。ミーナはその一心で成人になるまで魔法の訓練に励んだ。

 だが魔法を使える時間は一日のうちでそう長くはない、考える時間は十分にあった。自分はどうしたいのだろう、どう在りたいのだろうと。

 だがその質問の答えは、彼女が成人しても出ることはなかった。

 終ぞ答えを得ぬまま、ミーナは冒険者になった。

 そしてすぐに、彼女は迷宮へと足を踏み入れることになる。

 そこでの出会いが彼女の答えになるなどとは……露ほども考えずに。

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