いつまでも

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

バイドとは…

「この扉、二重の封印魔術をかけているわね」

 スゥ=スラスターは扉に手をかざし、一息で解錠してしまった。

「ま、私が術者なら最低でも七重は封印をかけるかな」

 彼女にとってこの程度は造作もないことなのだろう。金城鉄壁とされる、この封印魔術図書館へ忍び込んだことと同様に。

 魔術師スゥは、とある禁術を求めてこの図書館へとやってきた。

 数百年前、大魔術師インスルーが魔王を討滅した際に放ったとされる魔術。通称「ウンコー」を。

「ふざけた名前だわ。インスルーみたいな金魚の糞にはぴったりだけど」

 今の言葉を市井で放っていれば投獄は免れなかっただろう。何故なら、世界の救世主であるインスルーは神と同一視されているからだ。「だれかがあなたの右の尻を打つなら、ほかの尻をも向けてやりなさい」で知られるインスルー教は、世界で最大の信者を擁している。

「インスルーは優れた師匠に恵まれただけのウンコ魔術師だってこと、誰も知らないのよね」

 しかしスゥの暴言は止まることを知らなかった。

「大魔術師バイドさま……。私がその遺産を引き継いでみせますわ」

 インスルーには師匠がいた。バイドという臥竜がりょうの人で、その名を知る者は少ない。しかし大魔術「ウンコー」も、元はバイドが作り出したものだ。その事を知るスゥは、かねてより憤りを覚えていた。

 封印魔術図書館の最奥にたどり着いたスゥは、秘されし魔術書を手に入れた。

「これがバイドさまの遺産ね……!」

 スゥはこの時初めて、年相応の笑顔を浮かべた。そのあどけない表情は、町中にいる14歳ほどの少女となんら変わらないだろう。

「なるほど、この魔術は発動条件を厳しくすることで威力を高めていたのね」

 スゥはウンコーの真実を知った。

 大魔術ウンコーは731文字にも渡る長大な呪文の詠唱を必要とするものだった。ウンコーという名も、呪文の一部が誤って後世に伝わったに過ぎない。

 そのうえ詠唱の最中に一字の狂いもなく筆記しなければならなかった。そこまでの条件を満たして発動できたとしても、射程距離が短いため相手に当たらない可能性もある。

 だが、当てることさえ出来れば……どんな相手であろうとも問答無用で消し去ってしまう。

 最強だが、最難。あまりにも煩雑な手間を必要とするが故に、バイド自身も実用性は皆無と断じていた魔術。

 しかし、そんなバイドに誤算があったとすれば。

「よし、だいたい分かったわ!」

 スゥが、バイドやインスルーを遥かに超える天才であったことと。

「この魔術、力の根源は『厳しいルール』にあるわけか。面白いわね。私がさらに手を加えれば、世界中の人間アホどもを手玉に取って遊べるかも」

 人間性というものを欠片も持っていない悪魔であったということ。

 スゥは手にした魔術書に頬ずりした。

「ああ、なんて懐かしい香り……。百年の恋も一時に冷めるですって? そんな言葉は『百年以上も生きていない人間』がついた大嘘だわ」

 スゥ=スラスター。自身に幼体固定の魔術を施し、幼い姿のまま480年の時を生きる大魔女。

 この日、彼女がバイドの遺産と出会ったことで、世界は一変することとなった。




「ウォーレリックよお。どうしたんだ、最近」

 魔術師ウォーレリックは、仲間の問いに答えなかった。

「昨日はぶっ倒れるまで魔術を連発したかと思えば、今日は洞窟を出たり入ったり。魔術書の読み過ぎで頭がおかしくなったのか?」

 仲間の軽口にも、ウォーレリックは応じなかった。

「でも、明日だけはしっかりしてくれよ? 何せこれから戦う相手は、あのケルベロスなんだからな」

 五年前、とある森に三つ首の魔獣が現れた。ケルベロスと名付けられたそのモンスターは、人間のみを標的とする恐ろしい魔獣であった。

 ケルベロスが住み着いた森は、人々の生活に欠かせない資材や魔石が大量に存在する場所だ。かつては平和だったその森も、今では踏み入れれば最期、悪魔のあぎとが待っている。

「なあ、しっかりしてくれよ!」

 仲間がウォーレリックの臀部を叩いた。するとウォーレリックは「もう一度やってくれ」と言わんばかりに尻を差し出した。

「なんとまあ、見上げた敬虔さだよ。『だれかがあなたの右の尻を打つなら、ほかの尻をも向けてやりなさい』だっけか?」

 ウォーレリックは熱心なインスルー教徒であった。教えを忠実に守ろうとするその姿勢は多くの人々から尊敬されていた。

 インスルー教の大原則は非暴力主義。モンスター相手に戦うことすらも、本来は教義に反する。しかし教えを曲げてでも人々の安寧を守りたかった。魔術の研究家でもあったウォーレリックは、思いを遂げるためにある魔術を習得した。

 それは一度発動さえしてしまえばどんな敵だろうとこの世から消滅させられる、空前絶後にして驚天動地の大魔術。

 ウォーレリックは明日のケルベロス討伐に備え、静かに「ウンコー」と唱えた。


 暗黒の森に足を踏み入れたウォーレリック一行は、すぐさま気配の変化に気付いた

「みんな! 来るよ!」

 パーティのリーダーが警告する。

 ほどなくして現れたのは、この世に住まう人間すべてを喰らいつくさんとする存在。すなわちケルベロスだった。

「グオオオオオ!」

 その咆哮は背後から聞こえた。ウォーレリックが振り向くよりも先に、渦巻く大火が襲いかかる。ウォーレリックの背が、踵が、そして尻が、容赦なく侵されていく。ケルベロスは恐るべき速さでパーティの後方に回り込み、熱球を放っていたのだ。

 しかし冷気を得意とする魔術師がパーティにいたおかげで、すぐさま熱球は相殺された。

「ボーっとしないで! 貴方も氷雪魔術くらい使えるでしょう!」

 ウォーレリックはその叱責を無視し、あまつさえケルベロスへと突進した。

「ウォーレリックなにやってんだ!? 死にたいのか!」

 仲間の声すら気にせずに、ウォーレリックは。

 履き物を脱いで尻を露わにした。

「気でも狂ったのか!? ケルベロスはな、インスルー教の教えが通用するような相手じゃねんだぞ!」

 そのことはウォーレリックも理解していた。臀部を焦がされたからといって、ケルベロスに再度尻を献上したわけではない。

 これはれっきとした「ルール」なのだ。

 ウォーレリックは万感の思いを込めて叫んだ。

「ウゥゥゥウウウウウウウンコォォォオオオオオオオオ!」

 それと同時に、ウォーレリックは尻から排泄物を垂れ流した。パーティの全員がドン引きした。

 あまりにも酷い光景だったので、それが魔術発動の一貫であることも、ましてやケルベロスが消滅していることさえも気付かなかった。

「やった、やったぞ! 『ルール魔術』で、森は救われたんだ!」

 ウォーレリックは汚れた臀部を晒したまま喜びに打ち震えた。「終わったよ、みんな」と下半身丸出しで声をかけると「終わってるのはお前の頭だよ」と冷ややかな返事が返ってきた。

 ウォーレリックは、これまでの奇行がケルベロス討伐に不可欠なものであったと懸命に説明した。それでようやくパーティの仲間も納得してくれた。

「今まで無愛想な真似をしてすまなかった」

「いいさ。終わりよければすべてよしってことよ……」

 仲間の一人がウォーレリックを優しくフォローしてくれた。

「それでもな。さっさとケツを拭いて下半身隠せよ」

 ウォーレリックはようやく、履き物の存在を思い出した。


 平和になった森に、夕暮れの気配が差し込む頃。皆は歩きながら談笑していた。

「にしてもすげえ魔術だったな。あのウンコォォオオオってやつ」

「いやウンコではない。正確にはルール魔」

「本当、格好良かったよウォーレリック! あとあのウンコ魔術も!」

「いやだから、ウンコではなくって」

「ウンコ垂れ流しておいて『ウンコじゃない』って説は通らねえだろ」

 皆が爆笑の渦に包まれた。反面、ウォーレリック自身はムッとしている。彼はもともとプライドが高く生真面目な性格であるため、自身がウンコ野郎だと思われるのが気に入らないのだ。

「いいか? あれはルール魔術の一貫なんだ」

 ウォーレリックは一から説明をし直した。

 ルール魔術とは「発動条件を厳しくすることで威力を跳ね上げる」というものだ。前後の繋がりのない、完全に無意味な101の行動を順番通りにこなすことで、初めて発動するという全く新しい魔術。

 ウォーレリックの奇行の数々は、それらの条件を満たすためのものだった。そして終わりの101番目の規則ルールが「ウンコーと叫びながらウンコする」というものだったため、あのような行動に出たというわけだ。

 バイドが生み出した「複雑怪奇な規則ルールを必要とする大魔術」をスゥが応用し、作り変えた。それをウォーレリックが習得したのだ。だが血の滲むような努力が必要だった。同じ魔術師であったミコヤン・グレゴビッチは、ルール魔術の練習中にこの世を去った。最後の101番目で緊張してしまい、どうしても脱糞ができなかったため魔術が暴走を起こしたのだ。

 そんな話を皆はろくに聞かず「ばんざい! ウンコばんざい!」などとウンコウンコと連呼していた。

「……まあ、森に平和が訪れたのならいいか」

 諦め混じりにウォーレリックが嘆息する。

「と、これにてハッピーエンドとはいかないんだけどねぇ?」

「誰だッ!?」

 突然の声に驚き、皆が武器を手にした。

「面白かったわぁ。私がノリで考えたルール魔術を糞真面目にやってのけるなんてね」

 そこには稀代の大魔女スゥがいた。

「でもね、人類の天敵が居なくなったらルール魔術を覚えようなんて奴も居なくなる」

 スゥはウォーレリックの頭を優しく撫ぜた。

「だから、貴方が次の天敵ケルベロスになって頂戴」

 瞬間、ウォーレリックの視界は琥珀色に変質した。それは人間との決別を意味する。「ウォーレリックだったもの」は、かつての仲間に牙を向いた。

 惨劇の後には新たなる魔獣が生まれていた。

「これで五人目か。飽きないわぁ。いつまでも、どこまでも。ルール魔術に悪戦苦闘する人間アホどもを見ていたいわねぇ」

 スゥは童女のように屈託のない笑顔で言い放ったのだった。

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