妖しい来客簿

安良巻祐介

***

『○ノ日ヲ除キテ、昼夜何チウヤイヅレモ来客謝絶ライカクシヤゼツ

 堂々たる筆で大書したのを、玄関先へ、はっきりと貼り出してある。

 読んで字の如く、月に数度の面会日を設け、それ以外は基本的に来客を断る決まりとしてある。

 貼り紙の周りには、斯様な取り決めをしていることへの謝辞、および補足・注釈を、赤い文字でずらずらと書き連ねている。

 誰でも、入口を入って来たものはまず、これらを目にすることになるわけだ。


 ――にも関わらず、来る者は、来る。


 今日は、「渦瀬鳥」と名乗る男が、日の暮れかけた頃にやって来て、面会を希望しているらしかった。

 小使からその報を聞いた私は、適当な理由を付けてその怪しい来客を玄関先に留め置かせ、自室より家の各所へと巡らした曲光蛇窓(ファイバー・スコープの一種)を覗き込んだ。

 角丸に歪んだ蛇窓の視界の、白茶けた我が家の玄関に、腐りかけた棒杭に似た手足をし、箕藁・手甲・脚絆に白足袋と笠を身に着けた、奇怪なる人型が、佇んでいるのが見える。

 ゆらゆらと、目鼻口のないその頭が、揺れている。

 やはりそうだ、と私は思った。

 決まりを破って来訪するのは、決まってこんな客なのだ。

 気持ちを落ち着かせるために、懐の煙草をまさぐって、まず一服した。

 銘柄は艶やかな狐火。ふうと息を吐くと、薄青い煙が鼻先に巻いて、幾らか気持ちがぼんやりとしてくる。

 そのまま前後不覚にならぬよう気を付けつつ、続いて、敷島印の護法を入れた薬包を取り出した。

 包み紙から出した護法は、薄い七色の飴玉に似た、何でも無さげなかたちをしている。

 けれども、もちろん菓子などではなく、かの雲突くダイダラ鳥居で有名な青砂白松神社の縋り巫覡たちが、枕並べの供犠夢の中で吐いた寐糸ぬいとの、二、三番目に新鮮なのを取って繰り纏めたものがこれなのだ。

 だから、そこらの怪しい拝み屋の護符などよりも、余程はっきりした効果がある。

 結んで、開いて、掌の熱でちょっと温めると、護法はすぐにするすると柔らかくほどけて、白くふかした虹の帯のようなものに化けた。

 それを纏わらしたままで、指先を、蛇窓の覗き口へとそっと近づける。

 そうすると、白びた虹は、しゅるしゅる音を立てつつ、蛇窓の玻璃の中へと、潜り込んでゆく。

 ふいに、その昔、縁側へ食いかけの寒天の皿を置いておいたら、畳擦り虫の小さいのが、その中へ入り込んで死んでいたのが思い出されて、少し厭な気持になったけれども、こりゃいかぬとその胡乱な夢を振り払い、虹の尻尾の先までが消えたのを確認してから、私はもう一度、窓の中を覗き込んだ。

 相変わらず白茶けた玄関先である。

 その上で、決まりを守らない迷惑な来客が、渦瀬鳥氏が、虹に体を巻かれながら、もがいていた。

 いや、踊りを踊っていた。

 人の形をした塵芥の寄せ集めは、その不格好な手足を東西に張り渡し、酔漢のような千鳥足をして、七色の光彩を纏って、めちゃくちゃに踊っていた。

 そればかりでなく――虹の巻いたところから少しずつ、細ってゆく。

 そう、細ってゆくとしか言いようがない。

 四肢も、体も、どんどん痩せて、短くなっていく。

 やがて氏は、指先程の筒の形に収束し、ポトリ、と床に落ちた。

 物陰に隠れていた我が家の小使が、それを見届けてから、出てきた。

 歩み寄り、それを注意深く拾いあげると、手元の埃色の壜の中へと収め、蓋をしてしまう。

 ……そこまでを蛇窓で見届けると、私はフウとため息をつき、机に戻った。

 あの、カセドリだかウズセドリだかを名乗る人の正体が何かは知らないが――これでもう、私の大事な蒐集品の一部である。

 彼らのようなのは、決まって黄昏頃に来ることに、私は気が付いていた。

 どうも、『昼夜いずれも来客謝絶』の『昼夜』の隙を突いているらしい。

 けれどそれは、こちらがわざと空けておいた隙間、わざと作っておいた「遊び」なのである。

 あの貼り紙も、実のところ、来客を禁じたり、縛ることで、その結び目をこじ開けようとするもの、入ってこようとするものをおびき寄せる――そういう仕掛けだ。

 開化からこちら、政府のさまざまの努力によって、怪なるもの、得体の知れぬものの一党は追いやられ、駆逐され、せわしく整理されて、今ではすっかり見つけにくくなっている。

 しかし、彼らは消えてはいない。

 未だにその不可思議の命脈を保っているものも、少なからず、いる。

 そういう者たちが、陰から陰へと隠れ移りながら、最後には、我が家へとやってくるのだ。

『来客謝絶』の字に釣られ、『昼夜何れも』の狭間に失われつつある黄昏を見つけて。

 古今のお化けが、どこかしら皆「決まり」や「約束事」を持ち、かつまたそれらが破られることで展開する逸話を持っていることも、無関係ではないような気がするが、何にせよ、この仕掛けによって、私のこの、唯一無二とも呼べる蒐集趣味が成立しているわけである。

 私は、顔を上げ、棚へうず高く積まれた、無数の壜の列を見やった。

 埃の色をしたその硝子の中で、静かに、ひそやかに、今も息づいているであろう何者共の気配を感じ取りながら――私は、ひとりでに零れてくる笑いを、堪えることができなかった。

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妖しい来客簿 安良巻祐介 @aramaki88

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