優しい世界の裏側で

大臣

「本当に、よろしいんですね?」


 目の前の若い女性は、もうわかり切ったことに対して、最後の決断を求めてくる。


「はい、もう、良いです」


 もう生きるだけ生きた。六十年と少し、寿まで生きた。病気にもかかったし、妻も離れていった。再起する先もなく、理由も無い。だから、もう良い。


「わかりました」


 女性はそれだけ言うと、一瞬だけ、ため息をついた。


「どうかされましたか?」


「いえ」


 女性は元の無表情に戻った。


「では、目を閉じてください」


 言われた通り、目を閉じる。ゆっくりと、ゆっくりと……。


 ————————————————————


 男はまるで眠るように息を引き取った。


「……」


 私は努めて無表情を保つ。でも、やはり顔はしかめざるを得ない。何度この力を使っても、何度この依頼を受けても、この感覚には慣れない。


 約五年前、一般人には知られない、ある大規模な闘争があった。


 能力者と、政府の争いだ。


 能力者とは、その名の通り、人とは違う能力を使う者のことを指す。その能力は多岐にわたる。


 例えば、姿を消す能力を持つ者がいる。例えば、視界の中にはいる人間に、傷を与えることのできる者もいる。単にものを覚えるだけの力もあれば、未来を見る者もいる。


 そんな彼らの存在は、政府によって秘匿されていた。簡単にまとめるならば監禁だ。


 能力者を、能力を使えない状態にして、人目に触れないところに隠す。殺さないのはあくまで研究のためだ。


 でも、能力者の中にも、抵抗する勢力がいた。彼らも人間なのだから当然だ。


 そういった人々は、徒党を組んで、国と相対し、そして勝利した。


 国は能力者に、普通の人間として暮らすことを許した。それまでの方針を翻し、人権を認めたのだ。


 ただ一つの条件——能力者は自らの能力を社会福祉に使うという条件をつけて。


 この条件に違反した能力者は、監禁生活に逆戻りだ。


 もちろん、とても簡単な能力の人間は、何でもなかった。


 物を覚える者は優秀な会社員に。


 透明になれる者は探偵に。


 ここらへんはまともなやつだ。


 最悪なのは、一連の騒動の時に実働部隊として動いていた、戦闘能力に秀でた者だ——私のような。


 私の能力は、「視界内の目を瞑っている人間の命を絶つ」という者だった。


 実際、戦闘の時はかなり役に立った。仲間に閃光弾を投げてもらい、目を瞑った奴に能力を使う。これだけでかなりの人間を殺せた。


 だから、人を殺すことには、慣れたと言うと変だが、心が変になることはなかった。


 しかしこれは——安楽死の依頼を受けるというのは、未だ慣れない。


 能力にはデメリットがある。


 例えば、物を覚える能力は、その能力自体が。つまりは、覚えている容量に、脳が耐えきれないらしく、その能力を十分に使えていない。


 透明になれる者は、使うたびに存在が希薄になる、つまり寿命が縮むのだ。


 私の場合は、殺した奴の記憶が流れてくる。悪人も善人も、等しくだ。


 それが苦しいと思ったわけじゃない。それは私の罪。私にとっての罰だ。


 善人であっても、悪人であっても、彼らには信念でもって、私の前に立ち、そして散っていった。


 なのに。


 なのにこいつらは。


 こいつらは悲しみだけでここに立っていた。


 持っていた希望を打ち砕かれて、涙を流して、もう死にたいという風になって、ここに立っている。


 なんなんだ。


 なんなんだ一体。


 この力は、私の罪なんだ。罰なんだ。


 能力を持つ者は、過去にその能力にまつわる罪を犯している。


 物を覚えるものは、物を忘れたことにより、誰かを傷つけた。透明になれる者は、そこに自分がいたことにより、誰かを傷つけた。


 そして私は、殺人犯が目の前で殺人しているところを見ていて、被害者を助けることが出来なかった。


 だから、次はどうにかできるように。私は、相手を殺せるようになった。目をつむらせなきゃいけないのは、なんでなんだろうか。でも、あまり関係はない。



 罪で人を救うなんて、おかしい。


 その矛盾に疲れ、私は、心を止めた。


 ——さあ、今日も依頼をこなそう。


 ————————————————————


「こんにちは」


 私は今日も、事務所の扉を開けた。


「あれ?」


 珍しく、心が動いた。そこには、かつて私と共に戦った戦友がいた。


 友人の能力も人を殺せる力のはず。確か——薬物調合の能力のはずだ。


「どうしたの? 安楽死家業のご相談?」


「いや……」


 友人は顔を暗くして、深い深いため息をしてから、言った。


「俺を、殺してくれ」


 ————————————————————


「とりあえず、座りましょう」


 私は、彼を招いて、とりあえずコーヒーを出した。


「で? どうしてなの?」


 彼はまたため息をついて話し始めた。


「俺は最近、矛盾にさらされてきた」


 身体が反応した。


「俺の力は、親父の医療ミスで人が死んだことに起因する力。罪に起因する力だ。それが人を救うなんておかしい。彼らの魂に悪い。そうおもって、でもそうしないと生きていけないから、俺はこれをやっていた。でも、もう無理なんだ」


 ああ、これは私だ。私と同じ悩みだ。


 きっと彼なら、理解してくれる。


「じゃあ——私を殺して」


「は?」


「私も殺してよ。あなたの薬で」


 彼はその言葉を聞くと、ふっと笑った。


「ああ、やっぱそうか」


 彼は両手を思いっきりパンっと打ち付けた。


 手を開けば、そこには白い錠剤があった。


「それを飲め。俺を殺した後にな」


「……ええ、わかった」


 彼は目を閉じる。


 私は力を使う。


 友人の息が止まった。


 また、私に記憶が流れてくる。


 そういえば、友人の記憶は少しきになるな。


 私は、彼の記憶を覘くことにした。


 すると、一つ、最近の記憶で、気になるものがあった。


 安楽死を営む彼は、彼のいう通り疲れていた。私のように。なのに彼は、自分のことのほかにも、考える余裕があったようだ。だって、手紙を書こうとしている。


 えっ……。


 なんで。


 その手紙は、私へのものだった。


「鳴川。最近どうか? と言ってもあれか、安楽死の手伝いなんてろくなもんじゃない。ただ矛盾に疲れるだけだ。そしたらさ、気づいたんだ。お前も同じ悩みを抱えているかもってな。でも、お前のそれは、罪じゃない。もしお前のそれが、単に見ていただけ、という罪に起因するならば、相手に目をつむらせる必要はない。それは、お前の優しさだ。相手に何が起きていたのか知らせず、ただ普通の命の終わりを与える。そんな優しいところなんだ。だから、お前は思い悩むな。お前のそれは、今の世だからこそ光るんだ。正しく人を救えるんだ。だから死ぬな。

 P.Sその薬は睡眠薬だ。」


 ……何よそれ。


 私は知らぬ間に涙を流していた。


 彼は、私の能力を逆手に取って、最期に救いをくれたのだ。


「泣くしかないじゃない! こんなの!」


 私は泣いた。泣いて泣いて。そして感謝した。


 ありがとう。ありがとう。あなたのおかげで、私は前に進めます。


 でも今だけは、泣かせてください。


 私は、泣き続けた。




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