地下書庫の管理人
葵月詞菜
第1話 地下書庫の管理人
「なあ、ここの本って借りて行くやついんの?」
ここはとある私設図書館の地下書庫だ。明るさが絞られたその空間では、近くの書棚しか視界に入れることができない。
書棚には見るからに古めかしい本が並んでいる。背表紙に見えるのはほとんどが日本語ではない。もっと言うと、文字かどうかすら怪しい本もある。
「うちの図書館では、地上の一般閲覧室のものは貸出も行ってるけど、この地下書庫の本は基本的に禁帯出」
「『基本的に』?」
「……まあ、一部例外もあるってこと。でもそういう利用者はおじいちゃんと利用契約を結んでるから」
「ふうん」
「そもそも、ここの本はここでしか読むことができない決まりになってる」
「でも俺、今までにここで本を読んでいる人に会ったことがないんだけど」
「……そういえばそうだね。弥鷹君は運が良い」
「え?」
サクラが急に足を止めて振り返ったので、後ろにいた弥鷹も慌てて踏み止まった。
彼はいつもの無邪気な子どもらしい表情を引っ込めて、えらく真剣な顔をしていた。
「僕が傍にいれば問題はないんだけど、一応説明しとこうか」
「説明?」
今さら何を? きょとんとする弥鷹に、サクラはすぐ近くにあった本を一冊手に取った。
「弥鷹君は図書館をよく利用する?」
「うーん、勉強はしに行くけど、最近はあんま本は借りないかなあ」
「そうなんだ。昔は小学校の図書室も結構利用してたのにね」
サクラが少し意外そうな顔で呟く。
(ん? 昔?)
確かに弥鷹は小学生くらいの頃まではよく図書室に足を運んでいたが、それをどうしてサクラが知っているのだろう。だが、不思議に思ったのも束の間、サクラの話は続く。
「図書館の本ってさ、背表紙の下の方にラベルがついてるでしょ」
「ああ、あの三段の、数字とかアルファベットとかカタカナとかの」
「そう、請求記号って言って、記し方は図書館で様々なんだけど、それが本の住所なんだよね。うちの図書館の一般の本にもついてる。でもここの本には」
サクラが手に取った本の背表紙をこちらに見せた。ラベルは貼られていない。
「つまり、ここの本たちには住所がないってこと?」
「そう」
「じゃあどうやって探すんだ?」
普通の図書は請求記号を元に場所を探し出すことができるし、逆に元の場所に戻すこともできる。だが、それがないとなるとどうやって本を探し出すのだろう。しかもこの広い地下書庫で。
「ぶっちゃけて言うとね、ここの本は探す必要も、正しい場所に元に戻す必要もないんだよ」
「はあ?」
ぶっちゃけて言い過ぎだ。全く以て意味が分からない。
「ここを利用する人たちはみんな探すべき場所を知ってるんだ。必要な本は目につくような仕組みになってる」
「毎度のことながら変な図書館だな」
弥鷹が呆れたように言うと、サクラは小さく肩を竦めた。
そう、この図書館では不思議な現象が度々起こる。変な異空間と繋がっていたり、連絡手段に手紙飛行機――これは文字そのまま、手紙で紙飛行機を折ったもの――なるものが飛んでいたり。
小さいながらもあっと驚くような現象に、そろそろ弥鷹も慣れつつあった。
「その変な図書館の極めつけをもう一つ紹介するよ」
サクラが本を脇に抱えて歩き出す。その後に続いて暫く行くと、サクラが徐にすぐ横にあった空の棚に本を置いた。
「そんなとこに置いて良いのか?」
「まあ見ててよ」
二分程待った頃、その本がひとりでに動き出した。手足が生えたわけではなく、軽く宙に浮いたように棚を離れ、今来た道をススーッと音も立てずに戻って行く。
サクラと共にその本を追いかけると、先程の棚の前まで戻って来た。サクラが抜いた箇所にピタリと収まる本。
弥鷹は目を見開いて、呆然とその本を見つめていた。
「ね、本がもう自分の居場所を覚えてるんだ。だからどこに置いても、間違ったとこに戻されても自力で元の場所に戻ってくれるんだ」
「有能な本だな!」
「ホント便利な機能だよねえ。ちなみにおじいちゃんは欲しい本を自分で取りにいかずに、本に来させるんだけどね」
「お前のじいちゃん何者だよ」
「魔法使いか何かなんじゃない?」
サクラは自分の祖父のことだというのに、軽くそんなふうに言ってのける。
(じゃあ孫のお前も何者なんだよ)
弥鷹にとっては目の前の男の子もまた不思議な存在だった。
「と、そんなことよりここからが重要なことなんだけど」
そんなこと。今の地下書庫の自力で戻る本の存在は全然『そんなこと』ではないと思うのだが。弥鷹はツッコみたいのを我慢した。
「弥鷹君、ここでもし他の利用者を見かけたら、そっとその場を離れて。間違っても、絶対会話しちゃダメだよ。たとえ話しかけられても」
いつになく強い口調で言うサクラに少し違和感がある。
弥鷹が眉を顰めて口を開きかけたその時、サクラの後ろからぬっと黒い影が現れた。
その黒い影は顔があるのだろう場所にかわいらしいうさぎの面をしていた。そのアンバランスさがシュールで怖い。
うさぎ面の影は弥鷹たちの存在など認識していないかのように、サクラのすぐ横を通り抜け、弥鷹の横も通り抜けようとして――少し、肩があたってしまった。
その瞬間、うさぎのつぶらな瞳が弥鷹を捉えた。ゾクリと背筋が凍る。
サクラがばっと弥鷹の前に出て、庇うように手を広げた。
「失礼しました。どうぞお通り下さい」
「……小さなサクラか」
聞こえてくる声は低く、性別と年齢は判断できない。
弥鷹はただ黙ってサクラとうさぎ面を見ているしかなかった。
「珍しい客を連れているな」
「彼は僕たちが呼んだ友人です。なのでちょっかいを出さないで下さいね。あなた方には他の利用者と関わってはいけないというルールがあったはずです」
「私は良いが、他の者たちは知らぬ。せいぜいお前たちで守ってやれ」
うさぎ面はもう一度じっと弥鷹を見て、それからふいと前を向いて歩いて行ってしまった。
サクラが振り返って眉を下げ、弥鷹を安心させるためか笑みを浮かべた。
「……大丈夫? 弥鷹君」
「……何だ、今の」
思い出すだけでも不気味だ。あれは一体何なのだ。
「何って言われると説明に困るんだけど……まあ、あれはただの『人』ではないかなあ」
「そりゃ見たら分かる! しかも何だよあのうさぎの面! シュールすぎて怖い!」
「弥鷹君、もう少しボリューム下げようか。もしかしたら聞こえてるかもしれないし」
「!」
弥鷹は反射的に周りを見回して、さっきのうさぎ面がいないことを確認して安堵した。
「まあ説明が省けたね。ああいうのがたまに地下書庫をうろついてるから、気をつけてねって言いたかったんだ」
「もっと早くに言えよ!」
だからサクラは一番初めに、『弥鷹君は運が良い』などと言ったのだろう。
「だって言ったら弥鷹君びびっちゃって、もう来てくれないかもしれないじゃん」
「知らずにあれと遭遇する方がびびるわ!」
今頃になって、あの不気味な存在に対する行き場のない気持ちが文句となって爆発する。
サクラがまあまあと手を振って弥鷹を落ち着かせ、にこりと笑った。
「大丈夫。僕の傍にいる限りは何ともないよ。弥鷹君がいつも来るときのお決まりルートも安全は確保されてる」
今まで興味本位で別の道を冒険しなかった自分を褒めてやりたい、と弥鷹は心から思った。
「だから、ね? これからも遊びに来てくれる?」
サクラが上目遣いに弥鷹に訊く。彼にしては珍しい、少し自信のなさそうな声。
そんなふうに言われて、弥鷹に断れるわけがない。
「本当に守ってくれるんだろうな?」
「うん、大丈夫! 僕たちが守るよ」
(僕『たち』?)
弥鷹は首を傾げながら、安堵と嬉しさをにじませた表情をするサクラを見た。
「まあでも、この地下書庫を利用する限りは誰であろうとここのルールは守ってもらうよ。何か問題を起こせばおじいちゃんも僕も黙ってはいない」
一転して、不敵な笑みを浮かべるサクラ。彼にどれだけの権限があるのかは知らないが、この地下書庫に一番通じているのは実際彼のような気がする。
まさに、地下書庫の管理人、のような。
「――正味、お前がこの地下書庫のルールそのものなんじゃないのか」
ふいに思いついたことを言ってみる。
「あはは、弥鷹君、面白いこと言うね」
サクラがいつものように愉快気に笑った。
地下書庫の管理人 葵月詞菜 @kotosa3
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます