狂ってる

naka-motoo

狂ってる

 昨日の夜、残業中に幽霊を見た。


 僕は課長に電話をかけた。


「すみません。昨日残業中に心霊現象に遭ったので怖くて出勤できません」


 僕の出社困難案件について総務部長は、法的にどう対処すれば僕をやめさせるときに会社に有利になるかというのを顧問弁護士に相談しながら検討してたらしい。

 だから僕を、「病気やその他の理由により業務に耐えられない職員は、これを解雇することができる」という就業規則勝手なルールの一文の通りの人間だとステレオタイプ化したかったようだ。


 でも、その他の理由って、「オフィスで心霊現象に遭ったから」っていうので訴訟にも耐えうるのか?


 僕を復帰させようという気は経営陣にはあまりなかったようだ。


「あー、彼ね。もともと大して業績に貢献してなかったし、で新しく新卒採用したりスキルある人材を中途採用するにはいいんじゃないの?」


 そういう声が、パワハラっぽい集団からは上がったようだ。


 まあ、いいさ。


 僕はうつむき加減で病院に行ってみた。


 待合室には大小さまざまな人たちがまだかまだかと自分が呼ばわれるのを待っている。


「52番、お入りください」


 個人情報というものがこの世のすべてであるかのような仕打ちだ。

 僕にも名前ってものがあるんだが。


「どうしました?」

「診断書を書いて欲しいんです」


 僕は僕の受診科の部長にして僕を担当してくれるらしいその医師に向かって言った。


「なるほど。症状は?」

「幽霊を、見たんです」

「ふむう。いつ? どこ?」

「昨日の夜残業中に。職場のデスクで」

「どんなだった?」

「え。その時の状況ですか? それとも幽霊が?」

「両方です」

「はい。深夜0:00を少し過ぎたぐらいの時に、PCの画面をマウスでスクロールしていたら、その画面の動きに合わせてデスクが沈みこむような感じになったんです」

「続けて」

「あ、マズイ、と思いました。僕はこれまでに何回か金縛りに遭ったことがあって、足下の、その黒い影を決して見ちゃいけないっていうことを自分にルールづけていたものですから」

「更に、続けて」

「でも、デスク全体が沈み込むようなその落下の感覚に耐えることはできませんでした。思わず、下を見てしまったんです」

「何が見えた」

「左目が顔面神経痛のようにけいれんでピクピクピクピクと高速度の瞬きのようにしばたいている目の、幽霊でした」

「男? 女?」

「中性です」

「血は?」

「ええと。首筋に引っかき傷みたいのがあって、もう血は固まってました」

「怖かった?」

「はい」


 こういう応答をしている内に、段々と僕の気は紛れてきた。

 医師はちょっと僕の意図とは違う質問をした。


「それが幽霊だという確証は?」

「・・・多分、としか言えません。僕は幽霊を実際に観たのは初めてなので」

「本当に、死んでた?」

「幽霊って必ず死んでるものなんですか」

「愚問だった。申し訳ない。生霊って場合もあるね」

「先生。診断書は?」

「さてね。なんて書けばいいのかな、こういう場合」

「幽霊が原因で治療を要する、と」

「さてさて。なんのクスリを出せばいいもんかね」

「さあ。僕は素人ですから」

「何の、素人?」

「え? いやその」

「ごめんごめん。そうだね、病気と、幽霊と、両方の素人だね」


 医師は診断書を書いてくれた。

『心霊現象により勤務困難のため3か月の休職を要する』


 病院を辞した後も、僕はマンションへ帰る気分にはなれなかった。

 ぼんやりと歩いていると河川敷に出た。


 覚えてる。

 高校の頃、ここでバンドの練習をした。

 それも、ライブハウスのマスターが、バンを出して機材を運んでくれて、僕がギボ、それとベースの彼女とドラムともうひとりのギターと。


 ベースの子は本当はピアニストだったんだけれども、素人みたいな僕らのバンドの中では唯一楽譜も読める玄人だったので、リズムとバンドアンサンブルの要であるベースでバンドの音をタイトにしてもらったのだ。


 懐かしいな。

 あの頃は幽霊なんて見なかった。


 状況としたら今のこの風、似てるな。


 彼女がピアノで作曲したオリジナルを僕らがまるで運動部の部活のように弾いてる時、ライブハウスのマスターは、カッコ悪いお前らがクソカッコいいって檄してくれたさ。


 もう戻らないのかな。


 でも、風は同じさ。


 あ。


 そういえば、あの時の彼女が、川から吹いてくる、地上5cmあたりを高速移動する真夏の冷涼な空気が長い髪を、ぶわっ、と背後から吹き上げたシーン。


 昨日見た幽霊の子と、とても似てたな。

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