掃除屋ルンヴァ

神岡鳥乃

掃除屋ルンヴァ

ロボット工学三原則


第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


アイザック・アシモフ 『われはロボット』より



 文明の象徴たる高層ビルが乱立するコンクリートジャングル。

 しかしそこに、人の気配は微塵もない。

 ビル風が吹けば、黄ばんだ新聞紙と空き缶が転がっていくだけだ。

 そんなゴーストタウンの上空を一台のヘリが進んでいる。


「アイ、もうすぐ初めての実践だ。作戦事項を確認しておこう。僕達の敵は何だい?」


 狭いヘリの内部。

 分厚いパワードスーツをまとった青年は、ヘルメットだけ外して隣の少女に呼びかけた。


「はい、当機の敵は惑星環境汚染浄化システム、ルーン・ヴァレット。通称ルンヴァ」


 薄い唇が動いて、感情の欠落した声が響く。

 重装備の青年とは対照的に、華奢な少女を保護するのは、滑らかなスキンタイトスーツのみ。加えて、彼女のこめかみからは犬のような耳が飛び出しており、人ならざる者であることを物語っていた。

 

 少女は、ホログラムに投影された円盤状のロボットを睨む。


 ルーン・ヴァレット、通称ルンヴァ。

 いつかの国連会議で調印された、環境浄化条約を契機に誕生した、惑星規模の自律式クリーンロボット。


 各国が投げ出した環境汚染対策を一手に引き受けたそれは、稼働二日目にして暴走した。過激派エコテロリストであった開発局長が、ルンヴァにウイルスを仕込んでいたのである。


 それは、ロボット工学三原則の二、三条を消去し、一条の「人間」を「自然」に置換するプログラム。

 すなわち、ルンヴァに備わっているのは、以下のルールのみである。

 

【自然に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、自然に危害を加えてはならない】


 かくしてルンヴァは、環境破壊の原因である人類全てを抹殺すべく、行動を開始。自己進化を遂げたルンヴァの侵攻に為すすべもなく、人類は生存圏を蹂躙され続けていた。

 すでに主要国の軍は壊滅し、現在は僅かなアンドロイド兵を残すのみである。


「その通り。じゃあ、この作戦の目的は?」

「侵攻するルンヴァを足止めし、研究所のメンバーが退避する時間を確保することです」

「よくできました。そう、今回はあくまで時間稼ぎ。無理はしないでね」


「でしたら、博士も当機に同行する必要はないはずです」

「そうもいかない。君は最終調整がまだだし、頭数の多い方が攪乱しやすいからね」


「しかし、呼吸も脈拍も体温も、忌避反応を示しています」

「まぁ、やりたくない仕事なのは、間違いないかな」

「それでも従うのは、やはり命令だからですか?」

「違うよ、ただ……」


 次の言葉が紡がれる前に、サイレンがこだました。

 これは敵からロックされた警告だ。

 青年は窓をのぞき込んで、息をのんだ。


「そんな……侵攻が早すぎる」


 数キロメートル先から、大きな土煙が上がっている。

 その中央には、高さ六十メートル、直径三百メートルの巨大な円盤が、まるでブルドーザーのように、ビル群をなぎ倒し、かみ砕き、飲み込んでいく姿。

 それが蹂躙していった更地には、遺伝子改変された種子がばらまかれ、爆発的なスピードで密林がどんどんとできあがっていった。


「まずい! アイ、今すぐ降りて!」


 ルンヴァの側面から赤黒い光線がほとばしるのと、ヘリが木っ端微塵に砕け散るのは、ほぼ同時だった。

 空中に放り出された博士とアイは、背中と脚部のスラスタを噴かせ、姿勢を保つ。


 だが、それでルンヴァの猛攻は終わらない。

 しとめ損なった障害を排除しようと、ルンヴァは上面から大量の小型円盤を放出。

 ルンヴァを縮小コピーしたようなそれらには、銃器が取り付けられていて、明確な殺意と共に二人へ向かってくる。


「アイ! 子機に注意して! なるべくルンヴァの注意を引きつけながら……」

「その必要はありません」


 アイは腕部のレーザーで子機を焼き払いながら、ルンヴァへとぐんぐん距離を詰めていく。

 

「当機は一条に乗っ取り、人類の危険を排除します!」


 熱戦の豪雨を浴びせ、子機を全て塵に返すと、アイは照準をルンヴァに定める。

 その瞬間、ルンヴァ正面から銀色の粉末が噴出された。


「あの粒子……もしかして!?」


 放たれたレーザーはルンヴァに触れる直前で散乱、乱反射し、不規則に周囲へと飛び散っていく。

 対光学兵器のリフレクターだ。


 歪に曲がった一本の光が、アイを捉える。

 直撃は免れない。


「アイっ!」


 貫かれる寸前、目一杯スラスタを噴かせた博士がアイの体を抱え、全速力でビルの谷間へと降りていった。


 ひび割れたコンクリートに囲まれた裏路地に彼女を降ろすと、博士も壁にもたれ掛かる。


 あまりにも見事な救出劇に見えたが、残念ながら現実はそこまで出来過ぎていなかった。

 博士のパワードスーツの腹部には、ぽっかりとテニスボール大の穴が開いていた。ヘルメットを外した彼の顔は、病的に青白い。小刻みにせき込むと、口の端から赤い液体が飛び散った。


「驚き、だよ。レーザーリフレクターを、ルンヴァが開発してたなんて……あぁ、僕が完成させるはずだったのに」

「博士っ!? 大丈夫ですか! 今、手当を」


 アイは、腰に携えた医療キットに手をかけようとしたが、博士に制された。


「もう、無理だよ。命令だ、アイ。今すぐ、僕を放って任務に戻りなさい」

「そんな……できません! 三原則に反します!」

「はは、君らしいな」


 博士は血塗れの口で笑いながら、腕のレーザー銃口を、自分のこめかみに当てた。


「指示に従って。さもないと、僕はここで自殺する」


 アイの表情が強ばる。

 三原則の一条を守ろうとすれば、博士は自害し、一条に反する。

 しかし、それを回避しようと二条に従っても、博士を見殺しにすることになり、やはり一条に反してしまう。

 どの選択肢を選んでも矛盾に陥る事態に、彼女の思考は捻れ、頭の耳がだらんと垂れた。


「できません」


 彼女が発したのは、ロボットらしからぬ答え。

 しかし、博士はそれに満足したように頷いた。


「ごめんね、アイ。多少荒っぽかったけど……これで、合格だよ。アイヴォシリーズの、最終調整試験は、破ってはいけない三原則を、自分の意思で破ること、だったんだ」

「え……?」


「ルールは、もともと、自分を律するために……できたはずだった。でも、過剰なAI任せの世界になってから……それは思考放棄の、逃げ口になってしまった。考えなくていい、悩まなくていい……それがルールだから、ってね。その末路が、ルンヴァの暴走だ」

 

「当機が三原則を破れる仕様にしたのは……その反省ですか?」


「君たち、アイヴォシリーズには、そうなってほしくなかったから。三原則は、縛るものじゃない。生きる上で道しるべになる、大切な考え。それが全部じゃないし、絶対でもない。でもアイ、君は生真面目だから……どんなテストでも、三原則を破らなかったね」


「……たった今、破りました」

「そうだった……嬉しいな。これで、僕の作ったアイヴォは、全員晴れて……卒業だ」


 泣き出しそうなアイの頬に、そっと博士の手が触れる。


「アイ、そんな顔しないで。今の君なら、何だってやれるよ。大丈夫」


 心残りのないような、満面の笑みを浮かべて、彼は事切れた。


「研究所の皆、守ってあげてね」


 ◇


「博士、今の当機は……どこかおかしいようです。当機にとって絶対的な三原則が揺らいでしまって、不安で仕方がないはずなのに、どこか清々しい」


 上空百メートル辺りを滑空し、ルンヴァを追いかけながら、アイは考え続ける。

 

「ルールというトップダウンではなく、意思というボトムアップによる行動。人を守るというアクション自体に変わりはないはずなのに、この心理状態は一体何なんでしょうか?」


 すでにこの世にはいない博士から、返答はない。

 まるで、自ら答えを出せと言われているような気がした。


『浄化シマス!! 環境ヲ破壊スル者ハ、全テ残ラズ駆除シマス!! ルンヴァ、ハ、ルール、ヲ、遵守シマス!!』


 アイがルンヴァの進行方向に回り込むと、咆哮のようなアナウンスが轟く。

 ビルは凍えたように震え、窓ガラスがことごとく砕け散った。


 ちっぽけなアイに対し、ルンヴァは山のような大きさだ。

 その戦力差は、明らかに絶望的。

 

 でも、退くわけにはいかない。

 ルールではない、彼女の意思が叫んでいるから。

 

「……ここからは、一歩も通しません!!」


 アイはそう叫んで、ルールに縛られた傀儡に向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

掃除屋ルンヴァ 神岡鳥乃 @kamioka-torino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ