いつでも どこかで


 キャンプ場の芝生の上では、まだアバドンの中身――獅子堂葉月が死んだように血まみれで倒れ込んでいた。

「これが、アバドンか」

 わたしと共に降下したハヤブサ師団長がつぶやく。アバドンの正体よりも、その負傷の具合に言葉を失っているようだった。

「どうする気だ。担ぎこめる病院のアテでもあるのか?」

「もう一度アバドンに変身させる」

 変身すれば肉体の損傷は復元される。

 負傷は治せるはずだ。

「せっかく人間に戻ったのに、また怪人から元に戻れなくなったらどうする?」

「とりあえず博士に謝るよ。できれば、うなぎを食べた後で」

「おまえ……いつか面の皮で鍋敷きでも作る気か?」

 鳴りもしない口笛を吹いて聞かなかったことにした。


 だがすぐに問題にぶちあたった。

「コインの投入口が無い」

 サッと血の気が引く。

 腕にも脚にも顔にも首にもコインを挿し込むスリットが見当たらない。

「なんで……そんなはず……あッ!」

 そうだ。アバドンは試作段階の<チップ>の被験者だった。

 現行品とは仕様が違うのかもしれない。

「マスター……」

「この格好のときは師団長とでも呼べ」

「師団長……どうしよう……」

「俺に聞かれても知らんぞ。シカバネ博士を呼ぶか?」

「それはダメ!」

 ふむう、と唸る師団長の横で途方に暮れる。


「【飢餓】です」

 不意に掛けられた声に振り向くと、そこには地面から立ち上がろうとする雄一くんの姿があった。

「コニーが言っていました。魔人アバドンの司る感情は【飢餓】だと。手掛かりになるかは、分からないけれど」

 雄一くんはよろよろと覚束ない足取りでアバドンが吐き出した大量の黒いコインの山までたどり着くと、そこから一枚の銀色のコインを拾い上げた。コニーの宿ったコインだ。

 わたしも千切れた自分の腕を拾ってくっつけ、アバドンの黒いコインを取り上げた。

「【飢餓】ってことは――」

 獅子堂葉月の着ているシャツをめくり上げる。

 痩せた白いお腹が現れるが、スリットは見えない。

「腹じゃない。なら、口?」

 血に濡れた唇に手を掛け剥いてみる。そういえば、前歯に変身アイテムを挿入して変身する怪人もいたっけ。

 しかし、歯にも無い。ダメ元で口を開けさせてみる。

「これは……!?」

 それは明らかにスリットではなかった。

 だがコインを投入する場所だと一目で解る。

 葉月の舌の上に、コインと同じ、丸く縁取られたバッタの図案が、黒い線で描かれていた。

 異様を前に、わたしの喉が湧きもしない空唾を呑んだ。

 生まれて初めてCDプレイヤーに触ったときみたいに、そっと舌の上にコインを載せた。

 チョコレート菓子みたいにじわりとコインが舌の上で融け、舌が自然と口の中に引っ込んだ。

 むっとした血の匂いが薄らいだ気がした。

 少年の身体に触れると、血の跡はあるものの、身体から血が滲むようなことはなくなっている。

「変身しないの……?」

 肉体は復元した。だがアバドンへの再変身の兆候が見られない。

 首を傾げかけたその瞬間だった。

 傍らにうず高く積もっていた黒いコインが煮えたぎるように蠢いた。

「なんだ!?」

 師団長が声を上げ、雄一くんが目を剥く。

 コインの山は虫の群れのように、いっせいに動きだした。

 それらは雪崩を打って葉月の身体に覆いかぶさると、舌の上のコインのように、瞬く間にその肉体の中に融けて消えていった。

 その場に静寂が訪れた。

 しばらく経っても、葉月少年の身体はアバドンになることはなかった。

「ふぅー……」

「終わったのか?」

「一応ね。後片付けをしなくちゃ」

 ぐったりと横たわる葉月の身体を抱え上げ、わたしは翼を広げた。

 飛び立とうとするわたしを、雄一くんが引き留める。

「キユコさん、どこへ連れて行く気ですか!」

「この子が身を隠せるところよ」

「その子は獅子堂教授の――」

「その教授がいないんでしょ。母親の話も聞かないし、家に戻してもしょうがないんじゃない」

「それは……」

 彼が言い澱むうちに葉月を抱えて飛び上がった。

「待って!」

 声を上げる雄一くんとわたしの間に、師団長の身体が滑り込んできた

「そこをどけ! ハヤブサ師団長!」

「やめておけ。俺にやり合う気はない。あの少年はあいつの領分だ。手を出すな」

 ソウガドライバーとコニーのコインを構える雄一くんに諭すように言って、師団長も飛び上がる。

 高度を上げ、公園上空でわたしと師団長は別れた。



 一度来た場所だけれど、空の上からだと迷わず辿りつけた。

 二度目に見る古いアパート。今日も彼女は玄関先を掃き清めていた。

「管理人さん」

「大家です。――って、きゃああ!!」

 振り返って悲鳴を上げる大家さんに、口の前に人差し指を立てて静粛を求める。

「わたしだよ、わたし。鹿取キユコ」

「あ、え、鹿取さん。な、なんで……? どうして……? その男の子は?」

「落ち着いて。教えてほしいんだけど、わたしが借りてた部屋、まだ空いてる?」

「あ、え……あ、空いてません!」

「じゃあ今すぐ空けて」

 ぽかんと呆気に取られた大家さんの顔が今にも泣きそうに曇った。

 昨日の今日でこんな古いアパートの部屋が埋まるはずないじゃん。

 見え透いた嘘に引き下がるわけにはいかない。

「わたしの代わりに何も言わずにこの子を置いて」

 抱える葉月少年を突き出して要請する。

 大家さんは唇を噛みながら涙声で「……はい」と大変快く頷いてくれた。

 できた大人だ。わたしにはマネできないなぁ。


 鹿取キユコの部屋に葉月を運び入れ、窓際のベッドに寝かせた。

 もう力仕事も無いし、部屋に羽毛が散らばるのでここで変身を解いた。

「あの、その子は……」

 わたしが素顔を晒したからか、大家さんが心配そうな顔をしながらもベッドを覗き込む。

「何も聞かないでって言ったよね」

「は、はい! ごめんなさい!」

 怪人の力をちらつかせて脅している手前、ちょっとかわいそうになってくる。

「こう見えても年齢は二十歳越えてるから賃貸契約は本人の意思で結べると思う」

「あの、お名前とかは……?」

「名前……名前ねえ……」

 本名を漏らしていいものか。

「……獅子堂、葉月」

 思案していると、ベッドから声が上がった。

「ぼくは、獅子堂葉月」

 ベッドの上で少年が目を開いていた。

 むくりと上体を起こしてひとしきり部屋を眺めると、彼はわたしに目を向けた。

「それで、あんたは?」

 覚えていないのか。それとも何かを確認しているつもりなのか。

 どちらにしろ、わたしには『鹿取キユコわたし』のことが分からないので説明のしようがない。

「見てのとおり、きれいなおねえさんよ」

「じゃあ、そっちの人は?」

 と、大家さんを見やる。

「とってもきれいなおねえさんですよ」

 大家さんはニッコリと女神のごときスマイルで返した。

「なんでぼくはここにいるんだ」

 きれいなおねえさんたちのことなどあっさり忘れたのか、葉月は中空を見つめて自問する。

「うちに帰らないと」

「ダメッ!」

 ベッドを降りようとする彼に、反射的に声を上げた。

「おとうさんが戻るまえに、うちに帰らないと。おてつだいさんも心配するし」

「葉月、くん……?」

「なに?」

「あなた……今、何歳?」

「今年で十七だよ」

「その『今年』って西暦何年?」

「今年は今年だ。****年に決まっているじゃないか」

 年号を口にした瞬間、甲高いノイズが耳にキンと響いて彼が何を言ったのか聞き取れなかった。

 代わりに大家さんが青い顔をして口を開いた。

「それって、七年前……」

 彼女の言葉はそれで途切れてしまった。

 何か異常な事態に巻き込まれている、という現実が大家さんの口を塞いだようだ。

 七年前というとあのバーベキューの写真の頃か。

「大家さん。しばらくふたりきりで話をさせて」

 彼女は「はい」と答えて静かに退室していった。


「葉月くん。あなたはお父さんのところには戻らないで。今は一緒にいないほうがいいと思ってここへ連れてきたの」

「どうして……?」

「あなたはお父さんの研究に巻き込まれて、それで七年間も眠っていたの。実験体として利用されながらね。今戻ってもまた同じ目に遭うだけ」

「実験……? そうだ。ぼくは、おとうさんに……黒いコインを、わたされて……。それから……それから……」

 葉月はぼんやりと部屋の壁を見つめていた。

「大丈夫。焦らないで。今はここでゆっくり休んで。あなたを傷つけるものの無いところで、こころとからだを癒しなさい」

 わたしの言葉が耳に届いていないのか、葉月は「ぼくは……ぼくは……」とうわ言のように繰り返し呟いていた。

 わたしはこの子を本当に救けられたのだろうか……?



 江戸前の捌き方をしつつも関西風の焼き加減をしたうなぎは、香ばしくパリッとした食感を残している。

 それでいて厚い身はふっくらと蒸し上げられ、脂と旨味を閉じ込めつつ秘伝のタレを吸い上げる。

 このタレは甘い味付けに醤油の風味と炭火の香りが残っており、それがじわーっと沁みた白飯をかき込むのが“美味い”のだ。

 まずはその味を堪能。

 次に薬味で味を調え、変化を楽しむ。

 最後は温かい出汁を掛けて出汁茶漬けで〆る。

 ひつまぶしである。

 極上のひつまぶしである。


「それで……葉月はどうなったのだね」

 ひつまぶしをほおばり、肝吸いに口をつけるわたしの向かいで、シカバネ博士がむっつりした顔でこちらを伺う。

「電話で話した概要のとおりだよ」

 高級感は無いが落ち着いた和風の店内で、マスターを横に置いてシカバネ博士に差し向かう。昼間に時間が取れたおかげでマスターを引っ張り込めた。

「アバドンは獅子堂葉月に吸収されて、葉月少年自身は頭がぼんやりして記憶が曖昧だって」

「どの程度曖昧なのかね。日常生活が送れる程度ではあるのだろう?」

「それは日常生活をやらせてみないと分からないよ。だから今はわたしの目の届くところに匿ってるんだよ」

「ならば君が介助してここへ連れてきたまえ。なぜ葉月は今日ここにいないのだね」

 うなぎに夢中だったわたしでもさすがに箸を置いた。

 隣でマスターが険しい顔をする。だが口を挟む気配はない。

「あのね、常識的に考えてほしいんだけどさ」

 テーブル越しに指を突きつけて言い放つ。

「悪の科学者に実験体にされた子供がやっと解放されたのに、また悪の科学者のところに連れてくるなんてこと出来るわけないでしょう」

 シカバネ博士は気圧されたふうに小さく仰け反る。

「それは……そうだな。客観的に省みれば、君の言うとおりかもしれない」

「親として会うなら、提督の下から離れるしかないよ。シカバネ博士の看板を下ろしてさ」

「それは無理な相談だ。あれを野放しにはできんよ」

 それを聞いてマスターのほうを伺う。

「俺には提督のことは分からん。だが、話に聞くだけでも、尋常な人間の思考回路をしていない印象はあるな」

「博士ならそれを抑え込めるの」

「私にやれるのは、せいぜい人死にの少ないかたちに変えるくらいだ」

 提督。そんなにヤバイ首領なのか。

「それはそれとして、葉月少年は少年だけど少年じゃないわけでしょ」

「相変わらず何を言ってるんだ?」

 マスターがひつまぶしをほおばりながら半眼を向けてくる。

「あの子は十七歳だけど実年齢は二四歳で、高校も中退。日常生活っていうなら社会復帰のほうが先でしょう。親ならそっちを考えてよ」

「う、うむ……」

 シカバネ博士は視線を逸らして唸ると、口を閉ざす代わりにお銚子にチビチビと口をつけた。

 この親父、昼間っからうなぎで酒飲めるとは、いいご身分だなァ。

「だからさ、シカバネ博士が獅子堂教授に戻ろうが戻るまいが、しばらく息子には会わないほうがいいんだよ。だから居場所も教えないし、こっちも博士の居所を知るつもりはない」

「そのあたりが落としどころか。とはいえ定期報告くらいは聞きたいものだな」

「今はまだ本人の進路を決めてからじゃないかな。あーだこーだ言うのはさ」

「もうひとつ聞いておくことがある」

「なあに?」

「インパーフェクターはどうしたのかね?」

 あ! 忘れてた。

 あれ? どうしたっけ? コニーを分離させるときにはあったはずなのに。

「役には立ったよ。すごく。でも、ごめん。失くした」

「なっ!? ……いや、まあ、特に今すぐ使い道のあるものでもないが。見つけたら回収しなさい」

「はーい」

 残ったひつまぶしに出汁を回し掛ける。

 これでこの場はおしまい。

 そういうことにしておこう。


 うなぎ屋さんを出て商店街のほうへ引き返す道すがら、隣を歩くマスターが出し抜けに尋ねた。

「おまえ、何を隠している」

「ほへ?」

 口の中のうなぎの余韻を楽しんでいるときに聞かれて間の抜けた声が出た。

「獅子堂葉月という少年を、今日あの場に連れ出せなかった件だ。おまえはどこか歯切れが悪かった」

 マスターの視線がわたしの手元にいく。

 提げたビニール袋の中にうなぎ屋さんのお弁当が入っている。葉月へのお土産だ。博士に買わせた。

「ふたりを会わせられない事情があるんだよ」

 言葉を濁すように答えて、わたしは葉月をアパートに連れ込んだ日のことを思い返した。


 * * *


「行かないと。おとうさんのところに……」

「どうして? 会って何をするの?」

「何を……? なんだっけ? ぼくは、どうして……おとうさんに、会いに……」

 安いパイプベッドの上に脚を投げ出して座ったまま、ぼんやりとする葉月へ言葉を投げかけ続ける。

「思い出せないの? 忘れてしまったの?」

「忘れる? そんなこと、あるのかなあ……?」

 わたしを振り返りもせず、少年はぽつぽつと話す。

 アバドンから再分離したコニーが、葉月少年の持っていた知識や情報を持ち出したのだとしたら、記憶が無くならないにしても、思い出しにくい状態にはなっているんじゃないか。

 記憶の欠落というより、記憶への道筋が断絶しているんだろう。

「葉月くん。時間をかけてゆっくり自分のことを思い出す? それとも今すぐに思い出したい?」

 対処法は無くもない。

 カンフル剤を打ち込むんだ。

「いま、すぐ」

「わたしはゆっくり思い出すほうを勧めるけれど」

「いま、すぐ」

 目が、じろりとわたしを見た。

 透き通った少年の瞳だ。眼球にキラキラと期待を満たしている。

 大人が裏切れないやつだ。

「分かった。手を出して」

 ポケットに注意深く手を差し入れて“カンフル剤”を探り当てる。

 引き抜いたそれを、無遠慮に差し出された葉月の手の甲に突き立てた。

 白い台形のパーツ。リス怪人の手裏剣だ。

 それは人の渇望を引きずり出す。

 どれだけ隠していても。どれだけ忘れていても。

 コニーと融合したアバドンは獅子堂教授を求めて街をさまよっていた。

 なら再びそれを呼び起こせば、連鎖的に記憶も蘇るはず。たぶん。きっと。おそらくは……。

「!!」

 手裏剣が触れた瞬間、わたしを見ていた葉月の目が見開かれる。

 わたしの握る彼の手が細かく震え、開いた口から荒い呼気が漏れ出す。

 やがて震えは治まり、深呼吸するように深く息を吐いて――、

 その口が、笑った。

 にっこりと。朗らかに。

「思いだしたよ。ぼくが、なにをするか」

 虚脱していた身体に芯が通って、リラックスしたふうに見える。

 瞳に生気が宿り、少年らしい瑞々しい生命力が身体じゅうに吹き込まれたようだった。

「ぼくは、おとうさんを、殺すよ」

「え……?」

「ありがとう。きれいなおねえさん。ぼくをまともにもどしてくれて」

 少年は身体をこちらへ向けて、足を床につける。口元は笑ったままで。

「殺すって……どうして……。アバドンはずっと博士を探して……」

 いや――違う。わたしは初めから勘違いしていた。

 暴走したアバドンがシカバネ博士を探していたのは、息子が父親を求めていたからじゃない。そもそも殺害するためだったんじゃないのか。

 アバドンが口にしていた「おとうさん」「ころして」という言葉。

 あれは「おとうさん『を』ころして」という意味だったとすれば辻褄は合う。

 獅子堂葉月は、父の獅子堂教授に対して殺意を抱いていた。

 アバドンという広大な意識に自意識を薄められていたせいで、それが露出してこなかっただけで。

「おとうさんは、ぼくのからだを怪人の工場にしたんだ。文字どおり、みから出たさびさ。このまちに怪人を生みだすコインをばらまいた。そのむくいをうけさせる」

「だ、ダメ。そんなこと……」

 葉月は勢いよく立ち上がると、あどけなさの残留する顔を接近させた。

「ぼくは、だれの命令も、きかない」

 顔に息が掛かる。でもそこに含まれる声はとても乾いている。

 正気に戻ってると言ったはずなのに、中身を感じない。

「自由になるんだ。ぼくをおさえつけるすべてに反逆する」

 暴走していたときと同じだ。

 意識を取り戻したアバドンと同じことを言っている。

 わたしが言い聞かせたことだ。

 獅子堂葉月の言葉じゃない。

 そう思うと、目の前で凄もうとしてる男の子が急に薄っぺらで頼りなく見えてくる。

「それで?」

「え?」

「自由になって、あなたは何をするの? 何のために自由になるの?」

「だから、ぼくはおとうさんを」

「殺すんでしょう。それからどうするの? 保護者もいない。社会的信用もない。自由以外何も持たずに何が出来るの?」

「ぼくのじゃまをするのか」

「ならわたしも殺す?」

 葉月が言葉に詰まる。

 自分の言葉を探す暇を与えずに畳み掛ける。

「他人を不幸にして得られる幸せなんて一時的なものだよ。それでずっと幸せになりたいなら人を不幸にし続けなくちゃいけなくなる。そんな人生を送りたい?」

 わたしを見る少年の目が束の間さまよう。

「復讐なんてしょせん人生の添え物。人間は幸せになるために生きてるんだよ。これ、わたしの人生訓。メモってもいいよ」

 放心しているふうな葉月の肩を掴む。

「自由になるの。自分を解き放つの。なるべく未来向きにね」

「ぼくは、やらなくちゃ。おとうさんを」

「あなたが幸せになれるならそうしなさい。でもそれは今じゃない」

 葉月はすとんと再びベットに腰を下ろした。

「ぼくは、おとうさんを殺さないと、しあわせにはなれない。なる、けんりがない」

「それじゃあ、あんたの幸せって何?」

「ぼくは、それでも……」

 葉月少年はうつむいて頭を抱えて黙り込んでしまった。

「とりあえず、お腹一杯ごはん食べてから悩みなよ。あんたの世話は大家さんに頼んどくからさ。わたしもまた様子見に来るよ」

 そうして大家さんにナイーブな少年の世話を押しつけ――もとい、任せてわたしは元・自室を後にした。

「あ、大家さんに襲われないよう気をつけてね。期待させて悪いけど、エッチな意味じゃないから」

 忠告も残して。


 * * *


「そういえばさぁ、マスターはなんでバー始めたの?」

「藪から棒に何だ」

「いやぁ、人生いろいろと、選択と決断がついて回るなぁって、なんかしんみり思っちゃってさ」

 うなぎ屋さんからの帰り道、わたしは余計な棒をさらに突っ込む。

「店を持つのは昔からの憧れで深い意味は無い。決断というなら前に勤めていた会社を辞めたほうが大きいな」

「サラリーマンだったんだ」

「怪人になったことはきっかけだったが、愛想が尽きたんだろうな」

「会社に?」

「会社にいる自分に、だな。仕事がつまらんわけではなかったが、自分で自分を好きになれなかった。そういうときに怪人になった。コインは自分のもつ感情に反応して生まれると聞く。俺は俺がどういう奴か、こうなって初めてまともに考えたというわけだ」

「へえ。そっか。ならわたしのにも何かあるんだろうなぁ」

 黒いコインを取り出して眺めるわたしへ、マスターはからかうように問う。

「それで、おまえさんはどうして記憶喪失になんてなったんだ?」

「トラックに轢かれたから」

「思い出したのか!」

「思い出せないから記憶喪失なんでしょう」

「からかっているのか?」

「そんなつもりじゃないんだけどね」

 わたしは選んだんだ。あのとき、確かに。

 トラックに轢かれることじゃない。人を助けることを。

 そのことを今までまともに後悔してこなかったし、これからするつもりもない。

 マスターみたいにまともに考えたわけじゃないけど、わたしはまあ――そういう奴なんだ。

「もういっこ聞きたいんだけどさ」

「何だ?」

「この街の名前、なんていうの?」

「記憶喪失でもそのへんの標識の字くらい読めるだろう」

「見てないんだもん」

「篠森市だ。覚えておけ」

「うん。覚えとく」

 わたしは選んだ。

 このヘンテコな街――篠森市で、再生怪人の一般市民として、怪人とヒーローに挟まれながら、のたうちまわって生きていくことを。

 いつでも、どこにいても、忘れない。

 わたしがわたしの幸せを手に入れることを。


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再生女怪人に転生したわたしがこの先生きのこるには 豊口栄志 @AC1497

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