きまりのきまり

Nico

きまりのきまり

「今日のルールを発表する」


 きまりは、教壇の上でそう宣言した。きまりというのは、この豊永とよなが中三年二組の学級委員長である、木下まりこのあだ名だ。こ。略して、きまり。いつもクラスの「きまり」を決めるから、きまり。


 そして今日も、きまりは「きまり」を発表しようとしている。ちなみに、昨日は「十人に挨拶をする」で、おとといは「ゴミを三つ拾う」だった。


「今日のルールは、『頼まれたら断らない』」

 教室が一瞬水を打ったように静まり返ったあと、一斉に湧いた。

「それ、ムリじゃない?」

「百万円ちょうだいって言われたら、あげなきゃだめなの?」

「俺は、山下と家を取り替えたい」


 最後の発言をしたのは川上卓也だった。彼の家は特に貧乏ということもなかったが、山下悟の家は最近改築したばかりで、遊びに行ったことのある何人かの間では、「まるで、美術館のようだ」ともっぱらの噂だった。それを踏まえての発言である。


「静かに!」ときまりが声を張り上げる。「ここで重要なのは、思いやりだ」

 脇で見守っていた先生が、「ほぉー」と声を漏らす。


「無理難題を言えば、言われたほうは困る。ここにいるみんなはクラスメイトであり、ともに勉学に励む同志だ。青春を築く仲間だ。お互いを困らせたくはないはないだろう。だから、頼む方には思いやりが求められる。応える方には誠意を尽くす義務がある」


 さながら選挙演説のようなきまりの言葉に、クラスメイトは一同にきょとんとした表情を浮かべた。

「無理なんだい?」

「え、つまり、どうすればいいの?」

「きまり、つまり、何なんだい?」

 何人かが失笑をこぼした。みんなが、きまりの次の言葉を待ったが、きまりは「先生、お返しします」とワイドショーの現場リポーターみたいな締めくくりをすると、軽やかに教壇を降りた。


 長くてまっすぐな黒髪をなびかせて戻ってくると、きまりは俺の隣の席に座った。

「相変わらず、見事な演説だな」と俺は皮肉っぽく笑う。

「真中は、相変わらず『我関せず』って感じだな」

「そうか? 毎朝、お前の演説に興味津々だけど」

「その、高みの見物みたいな態度のことを言ってる」


 毎朝、その日のルールを決めるというのは、きまりが学級委員長になって始めたことだった。勝手に、かつ突然始めた。委員長になった次の日に、教壇に上がろうとする先生を手で制すると、突然「今日のルールを発表する」と今みたいに声を張り上げたのだった。それ以来、クラスメイトだけでなく、先生も特に異議を唱えることなく、それを受け入れてきた。きまりには、演説と人を従える才能があるのだと思う。


 各々にきまりのルールを頭の片隅に置きながら、今日もどちらかと言えば平和な一日が過ぎようとしていた。


 帰りのホームルームになり、これもいつものように、きまりは教壇に上ると一日の振り返りを始めた。

「今日のルールは何だった?」

 目で教室の中ほどに陣取っている川上を差す。

「山下の家と俺んちを取り替えること」

「やだよ」と山下が答える。

「やだって、なんだよ」と川上が笑みをこぼす。

「今日のルールは、『頼まれたら断らない』だった。真中!」

 突然名指しされた俺は、さすがに面食らった。「お前は何を頼まれた?」

「何をって……」

 今日一日を振り返るが、特に該当するようなことは思いつかなかった。


「先生!」と勢いよく間違ったのは、俺から見てきまりと反対の隣の席の村松だった。

「先生ではない」

 笑いが漏れる。

「もう、木下さんが先生でいいよ」と本物の先生が言う。「俺、委員長やるから」

「きまり!」と村松が言い直す。「真中は、俺が『消しゴム貸してくれ』って言ったら、嫌な顔一つせずに貸してくれました」


 その言葉に、俺はもう一度一限目から今日という一日を振り返ったが、村松に消しゴムを貸した覚えはなかった。今日だけじゃなく、思い出せる限りそんな事実はない。

「よかろう」ときまりが満足げに頷く。

「よかろうって何だよ」

 そう言いながら、村松を見やる。何事もなかったように、俺とは目を合わせずに笑っている。こいつのそういう優しさが、俺は好きだ。


 ホームルームが終わり、俺は鞄を肩に掛けると教室を出た。今日はバレー部の練習は休みだったので、帰りにコンビニでも寄って帰ろうかと思っていた。げた箱から靴を出したところで、後ろから呼び止められた。きまりだった。

「何だよ、先生」

「先生じゃない」


 特に、一緒に帰ろうとどちらかが言ったわけではなかったけど、どちらともなく並んで家路に着いた。


「お母さん、大丈夫なのかよ?」

 きまりの母親は俺たちが小さい頃から体調を崩しがちで、最近また入院したらしかった。

「大丈夫。元気ではないけど、いつも通りだから」

「そうか」


 中学のクラスメイトでは知っているやつはあまりいなかったが、俺ときまりは幼稚園からの同級生で、家族同士もよく知った仲だった。


「お前は、強いな」

 自分でも気づかないうちに、俺はそう言っていた。

「え?」

 きまりが珍しく動揺した様子を見せた。「何が?」

「だって、毎日ああやってみんなに今日のルール発表してよ。よく意味わかんないのもあるけど、間違いなくお前のあの朝の演説のおかげで、うちのクラスは一致団結してるよ」

「そうかなー」と言うきまりは、まんざらでもなさそうだった。

 お母さんのことで色々大変なのにそんなのは微塵も見せずによ、というセリフは心の中だけで呟いた。


「そう言えばさ、真中」ときまりが言った。

「うん?」

「私、まだ今日のルール、実行してないんだよ」

「ルール?」

「そう、誰にも何も頼まれてない。だから、断ってもいない」

 目の前を一陣の風が吹き抜けた。「だから、何か頼んでよ。断らないからさ」

「そんな、急に言われても……」

 そう言いながらも、俺の心は決していた。

「何でもいいから」

 きまりは落ち着かない様子で急かす。

「じゃあさ」と俺は言う。こいつはやっぱり強いな。


「俺と付き合ってよ」

「いいよ!」ときまりは即答した。


 いや、強いというか、したたかなのかもしれない。

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きまりのきまり Nico @Nicolulu

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