雨が降ったら休業日

ギルとエリンが出会ってそんなに経ってない頃の話。

───

「雨だね……」

「そうだな……」

 空気を洗うように、さあさあと雨が降る。厚い雲は陽を隠し、時の流れを不明瞭にさせた。二人はそんな外をぼんやりと見つめながら、少しけだるげに呟いた。つつ、と窓をすべるエリンの指はミミズのような線を描く。向かいに座るギルは背中を丸めて頬杖をついていた。エリンも机に突っ伏すように腕を置こうとしたが、机の湿り気に驚いたのかすぐに引っ込める。彼女はひとつ伸びをすると、自分の腕をさすりながら息をついた。

「雨の日にしか出てこない魔物とかもいるんだっけ」

「いる……けど、そういうのは雨が好きな奴に任せとく。俺たちは休業だ。」

行きたいのか?と、ギルは顎をくいっと窓に向けたが、エリンは苦笑いしながら首を横に振った。

「もしかしてさ、ギルって雨嫌い?」

「まぁ、好きじゃあないな。」

「理由とか、あるの?」

「ん、理由か……」

 頬杖をついた方の指でとんとんと頬をたたく。その目線は窓の外に向けられていた。

 雨の音の隙間からぱちゃぱちゃという水の音と、屈託のない笑い声が聞こえてくる。どこか息苦しい今日の空気とは対照的なその声は、雨の音に埋もれることなくギルの耳に届いた。きっと子供たちが雨にも関わらず無邪気に遊んでいるのだろう。水滴まみれの窓の向こうで跳ねる子供たちに思いをはせ、ギルは力なく笑った。

「雨の日に、お前と……」

途中、エリンと目が合った。思わず声が尻すぼみになっていく。彼女は両手で頬杖をつき、何度かまばたきをすると不思議そうに首をかしげた。

「雨の日に?」

「…………いや、雨の日だと古傷が痛むからな。」

エリンから目を逸らすと、ギルは椅子に座り直した。エリンはというと、言い直したことに気づかなかったのか「ふーん」と気の抜ける返事をして、そのまま話を続けた。

「古傷……魔法で治したら傷って残らないんじゃなかったっけ。」

「全部が全部消える訳じゃないし、消えたはずの傷が痛むこともある。なんだろうな、傷があったこと自体は体が忘れないんじゃないか?」

「ギルの目もそう?」

エリンの丸い指先がギルの目元を指す。白濁したその左目は、眼前にある指先を捉えてはいなかった。

「そうだな、たまにちょっと痛い。」

「そっか……。聞いていいのかわからなかったから聞かなかったんだけどね、ギルの目っていつからそうなの?」

「だいぶ経ってると思うぞ。アルと狩りに行った時、魔物にな……」

エリンの指先がぎくつく。そのままゆっくりと手を引きながら肩をすぼめると、決まり悪そうにギルの方を見る。

「ん、いや、そんなたいそうなもんじゃない。あれは俺の不注意だった。果物切る時、よそ見して指切るのと一緒だ。」

ギルがすっと指を切る動作をするとエリンは眉をひそめる。普段の狩りで"よそ見"が何を意味するか思い知ったのだろうか、それとも、自分が切る側になる可能性を恐れているのだろうか。

「まぁ、お前はこういう傷、つけないようにしろよ」

「あ、うん。そうだね…………」

どこかぎこちない返事をすると、エリンは腹のあたりをそっとさすった。そんな彼女を見てギルはふと外を見る。

「もしかして、もう昼か?」

「え?」

 空は相変わらず厚い雲で覆われていて時間が読めない。エリンはぐるりと部屋を見回して時計を探した。彼女のピタリと止まった目線の先にギルも同じように目をやると、すでに短針は12を越えて、少しずつ右へと傾き始めていた。

「全然気づかなかったや。」

浮わついた声色でエリンが呟く。さっきまでの憂いの表情は消え、いつもの能天気そうな顔に戻っていた。ただ、心なしか唇の端が震えているように見えるのはさっきの余韻が残っているからだろうか。

「わたし、アルおじさんのとこ行ってくるね。」

エリンは席を立つと服の裾をぱっぱと払う。昼食作りの手伝いに行くのだろう。

 ギルがエリンと会って間もない頃、その食いっぷりにずいぶん驚かされたが、最近は自分で作るのにも凝りはじめたようだ。時折料理に混ざる不揃いな野菜を見ては、ギルはよく口角を緩めていた。

 厨房に向かおうとする背中に「エリン」と声をかけると、彼女は体を半分だけギルへと向ける。

「お前は雨、好きか?」

「わたし?」

エリンが半歩こちらに歩み寄る。 

「わたしは嫌いじゃないよ。ギルに会ったのも雨の日だったしね!」

「……そうか。」

 晴れ晴れとした笑顔だった。危うさすら感じるそのまばゆさにギルは目を細めた。

 「後でね!」と手をひらひらと振りながら去るエリンを見送った後、話し相手がいなくなったギルは再び窓の外を見た。

 雨音に紛れて、怒ったような女性の声が聞こえてくる。その声は怒号と呼ぶほど激しいものではなく、むしろその奥には静かな温かさがあるようにギルは感じた。子供たちの声が小さくなったかと思うと、間もなくしてぱちゃぱちゃと女性の元に駆け寄る足音が響いた。たどたどしい小さな歩幅と、ゆったりとした大きな歩幅。窓の外で営まれる微笑ましい光景に、ギルは耳をそばだて、ほんのすこし唇を噛んだ。

「お前と会ったから好きになれないんだ。」

 雨は勢いを増し、そこかしこから聞こえる雨音も大きくなっていく。ギルが静かにこぼした言葉を、雨たちは大きな口を開けて飲み込んだ。

 子供たちの声はもう、聞こえなくなっていた。

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いつか誰かの記憶たち ろく @hijiki_6

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