【KAC5】ルールを破らなかった男

木沢 真流

第1話

 私がこのお見合いパーティーに参加したのは、なにも彼氏が欲しかったからではない。友人がどうしても一人では行きづらいから……お願い、一緒に来て……と言われ——つまり、単なる参加要員として連れてこられたのだ。

 30過ぎてまだ独身。そのキーワードは明らかに人生の警告サインには違いない。本当はもっと婚活に力を入れるべきなんだろう、でも今ひとつ気が乗らない。所詮人生、成るように成るんじゃないか、そんな考えがいつも私の中の大多数を占めている。

 会場を見回してみると、総勢50人以上はいそうだ。私の友人が視界の隅でせっせとボディタッチを繰り返すのが目に入る。


 正直今の私には男は興味無い。

 でもせっかく来たからには何か繋がりを持って帰りたい。

 そう思って私は一人の男に目をつけた。


 その男の名は沖田 守。テレビCMでもよく見かける一部上場企業の広報部に勤める人らしい。私は何気なく彼に接触することに成功した。


「初めまして。沖田さん……ですよね?」

「はい、初めまして」


 好感触だった。

 少し恥じらいを含みつつも、謙虚な姿勢、悪くない。

「沖田さんって、有名な企業で働かれて、収入も安定。引く手数多あまたなはずのあなたがなんで、こんなところへ? 独り身なんて信じられない」


 特にポイントを稼ぐ必要もなかった私は、つい皮肉も交えて言った。ひょっとしたらもう恋人はいるんじゃないか、ただの冷やかしでここに来たんじゃないか、そんな憶測も私の中ではたくさん飛び交っていた。

 すると沖田はグラスを傾け、少し遠くを見つめながらこう呟いた。

「聞きたいですか? 私が所帯を持たない理由」

「ええ、興味があります」

「そうですか」


 そう言うと沖田は、近くの椅子を指差し、あそこで話しましょうという合図をした。

 そのまま私たち二人は壁側の椅子に腰掛けた。


「私、もうすぐ死ぬんです。胆管癌っていう肝臓の出口のところにできた癌で」


 死。そのあまりにも場にそぐわない響きに私は思わず聞き返した。


「え? 冗談……じゃなくて、ですか?」


 沖田はこくりと頷いた。


「もうこうなることは小さい頃から決まっていたんです。私、ルールを破らない人間なんで」

「ルール?」

「そう。幼い頃から親に『ルールだけはしっかり守りなさい』とずっと言われて来たんです。これとこれをこの日までに仕上げなさい、という決まりは必ず守って来ました。夜9時を過ぎると体に悪いので、寝なさいという決まりも破ったことはありません。おかげで小学校の中でも成績はトップ。私立有名中学に進学して、高校は特待生で入学しました。そしてそのまま東大に受かりました」


 まるで絵に描いたようなサクセスストーリーだ。それが若くして癌で死ぬなんて。なんとも哀れな物語である。


「別に気にしてませんよ。癌になったことは」


 まるで私の頭を見透かすように、彼は微笑んだ。


「これも決まってたことなんです」

「決まってた? 癌になることが?」


 ええ、そういって沖田はグラスに口をつけた。赤ワインが照明の光を反射し、キラキラと揺れた。


「遺伝子診断って知ってます? うちの家系は癌家系でして、家族の同意を得て私の遺伝子を調べたんです。そうしたら、やはり癌を発症する率が高いことがわかったんです。そして癌が発症し、亡くなる年は平均して大体35歳くらい。まさに今の私の年なんです」


 そうか、それでいてこの余裕なのか。

 それにしてもわかっていたとはいえ、自分の死をここまで淡々と述べるとは。きっと芯の強い心の持ち主なんだろう。


 そんなことを考えていた私の頭は次の会話で一気に豹変することになる。


「治療法は無いんですか?」

「ええ、あるにはあるんです。でもしないことにしました」

「しない? なんで?」

「唯一の治療は手術です。でもそれで助かる可能性は20%以下。体に大きな負担をかける手術をして20%以下なんて割に合わないじゃないですか。ルールで決まっているんなら、私はそれに従う、ただそれだけのことです」

「ルール? どういうことですか、それ」


 沖田は得意げに口をへの字にすると、スーツの肩を整えネクタイを触ると饒舌に言葉を放った。


「私にとってルールは絶対です。小さい頃から親にこっぴどく言われて来ました。人から言われたことはしっかりやりなさい。決められたことには従いなさい。そうすればきっといい人生が待っているって。そうやってここまで来ました。おかげで人生で悩むこともなく、人から羨まれるような地位も築けました。

 そして私の遺伝子には私が35歳で死ぬことが刻まれていた、つまりそういうルールだったんです。ならばそれに従うのがルールを守るということ、それが私の人生です」


 パリーん、とグラスが床ではじける音がホールに響いた。

 一気に注目が私の元へ集まった。

 

 誰かがグラスを落としちゃったんだね、大丈夫かな、そんな話では無い。

 私が思わず持っていたグラスを思いっきり床に叩きつけていたのだ。

 目はつり上り、顔は怒りに震えていた。

 はねたワインが私の真っ白いドレスを赤く染めた。


「あんた、とんだ大馬鹿者ね!」


 沖田は目を丸くした。


「沖田さん、私はあなたは素晴らしい人だと思っていました。そして癌を患ったことを告白してそれを受け入れられるとても強い心を持った人だと。でもそれは撤回します。あなたは間違っている」

「間違っている? 私が?」

「ええ、そうよ。何がルールよ。ルールなんて誰のためにあると思ってるの? 人が幸せになるためでしょ? 決められたレールに乗って、決められたことやって、それで死ねって言われたらそのルールに従う、こんなのおかしいでしょ。人間ってさ、もっとこう……貪欲なものなんじゃないの? 生きたい、とか、だめってわかってても最後の希望にかけてみたい、とか、そういうのあなたには無いんですか?」

「でも私は今までこうやって……」

「でもじゃない! もう知らない!」


 そう言い残して私は会場を後にした。そもそももうそこにはいられなかったというのもあったのだが。



 年季の入ったその居酒屋では、天井からぶらさがった白熱電灯が揺れていた。

 大将と呼ばれる恰幅のいい男が視線を落とし、トントントンとまな板で何やら気持ちのいい音を立てている。仕事帰りのスーツ姿、その上の赤ら顔が所狭しとその空間に押し込められていた。

 カウンターには白髪混じりの初老の男。その横には30歳代の男が座る。初老の男は頬にできた傷をポリポリ掻いていた。


「そんでな、その時にできた傷がこれだ」

「へえ、そうなんだ。叩き割られたグラスの破片がそこまで飛んで来たってこと? 危なかったね」

「あぁ、目に入らなくてよかった」

「それにまだ残ってるんだ、結構深い傷だったんじゃない?」

「まさに体に刻まれた傷、でも大事な記念だからな」


 そう言って男は、はっ、はっ、はっ、しわだらけの顔で笑った。


「あの時もしあのまま手術をしないでいたら、ここでこうやって70歳の誕生日を息子に祝ってもらうことも無かっただろうな」

「そう、息子だって誕生すらしてなかっただろうね」

「そうだよ、そうだよ、その通りだ」


 はいお待ちー。そう言ってカウンター越しに出されたホッケに二人は早速箸を入れる。


 「決められたルールや誰かの教えを守ることは確かに大事かもしれない。でも時には自分が何をしたいのか、自分にとって一番大切なことはなんなのか、それを必死に考えることはもっと大事なんだって、その時気づかされたんだよな」


 その焼酎グラスに口づけながら、目尻に寄る幾多の筋。その横顔に目をやってから、一緒にいた若い男は口を開いた。


「ねえ父さん」

「ん?」

「それでその女性は今どうしてるの?」

「どうって?」

「それから連絡を取ったりすることはあるの?」


 父さん、と呼ばれたその男は、一瞬顔をきょとんとさせた。


「何言ってるんだ、その女性はお前がよく知っている人だよ」

「え、それってまさか……」

「そう、そのまさか。お前の母さんだ」

「え? 母さんってそんな昔から気性が荒かったの?」

「これでも子どもが出来てからはまだマシになった方だ。それに……」


 カランカラン、入り口の引き戸が開く音がした。

 らっしゃい! 大将の威勢の言い声が店中に響く。


「お待たせー、婦人会の会合盛り上がっちゃってさ」

「母さん、待ってたよ、今母さんの話してたところ。父さんとの出会い、聞いちゃった」

「出会い? なんだっけ? それ」


 父さんこと沖田守は息子の口を思いっきり封じた。


「はいはい、この話はもうここらへんで止めとこう」

「えー、何よそれ。ちょっと聞かせてもらおうじゃない」


 今宵はまだ終わりそうに無い。

 ただただそこには、賑やかで。そして特別でもない、ごくありふれた父の70歳を祝う親子三人が集まっていた。

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