Re:アイドルRe:プロデューサー

呑竜

第1話

「やあー、気持ちいいですねーっ。最っ高の夜っ」


 七夕ライブ兼卒業ライブを終え、打ち上げ兼お別れ会を終え──家路に着いた頃には23時を回っていた。


「たっくさんのファンに見送られて惜しまれてっ。ねえ、わたしってすごくないですかっ?」


 飲み慣れない酒を飲んだせいだろう、レンはやけにはしゃいでいる。

 メンバーの寄せ書きがされたTシャツに会場からそのままのミニスカート、手には別れの花束という格好で、俺の周りを子犬みたいにちょろちょろしている。


 高城恋たかぎれん──芸名レン。

 きょろきょろよく動く明るい瞳と長くつややかな黒髪、ちょっと大きめのお尻と、陽だまりみたいな笑顔がチャームポイントの女の子。

 業界最大手アルファコーラス、チームガンマの右ウイングを務めていた女の子。


「この歳でこんな体験出来る女の子、なかなかいないですよっ? ね、プロデューサーさんっ?」


 ボウっとしながら歩いていた俺の顔を覗き込むように、レンがいてきた。


「ああ……すごいな。おまえはホントにすごい。おまえだったら……」


 おまえだったらこれからも、どこでもちゃんとやっていける。

 そう言おうとしたのだけど、唇が震えて上手くいかなかった。


 普通の社会人をしているレンなんて、まるで想像がつかない。

 その目はいつだって、アイドルの頂点に向けられていたのだから。


「あははっ、ありがとうございますっ。ホントに嬉しいっ」


 俺の様子に気づいていないのか、あるいは気づかないふりをしているだけか。

 こっそり表情を窺っていると……。


 突然レンが両足を交差させ、その場でくるりと一回転した。

 重心のしっかりした、お手本のようなクロスターン。


 なんだろうと思っていると、花束をマイクに見立てて歌い出した。


 通行人はしかし、誰ひとりアイドルレンには気づかず、迷惑そうな顔で通り過ぎていく。

 中にはあからさまに舌打ちするような者もいた。


 俺だけが立ち止まり、黙ってそれを眺めてた。




 2曲歌いきったところで、雨が降り出した。

 いかにも夏らしいゲリラ豪雨。

 俺たちはたまらず、手近な公園の東屋あずまやに避難した。


「うわあ、これはすごい降りですねーっ」 


「ああ、こいつは困ったな……」


「困りましたねーっ、帰れまてんねーっ」


 言葉とは裏腹のウキウキ顔でレン。


「何をおまえはそんなに楽しそうにしてんの?」


 くすぐったいような気持ちになりながら、俺はベンチに腰掛けた。


「だって、せっかくの夜なんですもん。もっとずっと、続いてほしいと思うじゃないですか」


「もっとずっと……か」


「大丈夫ですよ。プロデューサーさん」


 顔を曇らせる俺に、レンはにっこり笑って見せた。


「ちゃんと、今日で終わりだって知ってますよ。だからいいじゃないですか。最後までつき合ってくださいよ」


「……わかった」


「あ、でもっ、本気で全部を終わりにしないでくださいよ? 明日になればもう他人で、メールを送っても返信してくれなかったり、ラインを送っても既読無視したりしないでくださいよ?」


「しないけど……」


「電話しても無視したり、会って欲しいってねだっても会ってくれなかったりしないでくださいよ?」


「おまえそれは……」


 困っている俺の隣に、レンが座った。

 思いのほか強い力で、手を握ってきた。


「レン……?」


「ねえ、プロデューサーさん。わたし最近、変な夢を見るんです」


 わずかに潤んだ瞳で、俺を見つめてきた。


「わたしたちって、中学が一緒だったじゃないですか。プロデューサーさんが三期連続のスーパー生徒会長で、わたしが一個下の冴えない後輩で」


「……ああ」


 いつだったか、レンの売りを探そうと思って履歴書を眺めていた時に気づいたことだ。

 俺たちの人生は、束の間交錯していたことがある。


「その頃に戻った夢です。ふたり一緒に、意識だけあの頃に戻るんです。歌やダンスの感覚は今のままで、芸能界入りもすごい早い時期にしちゃって、だから若さを武器に出来て、年齢制限なんか遥かに先で。あれですよ、強くてニューゲームみたいな感じで」


「それは……出来たら面白いけど……」


「夢だって言ってるじゃないですかっ」

 

 ぎゅうっと手の甲をつねり上げられた。

 

「もうっ、ダメですよプロデューサーさん。ここは『それいいな』って、一緒に笑ってくれるとこですよっ?」


「そういうものか……悪いな。気がきかなくて」


 頭をかく俺を、レンはジト目で見上げ……。


「なーんて。えへへ、調子に乗っちゃいましたっ」


 ふわっと、花が恥じらうように笑った。


「さ、休憩を挟んだところでアンコール行きますよーっ」


 再び外へ飛び出すと、雨に濡れるのも構わず歌い出した。


「レン。おまえ酔っ払いすぎだぞ?」


 東屋に引き入れようとしたが、レンは巧みにターンして俺から逃げた。


「捕まりませんよー、えっへへへー」


 全身が、見る間に濡れそぼっていく。


「いいじゃないですか。だって、わたしもう23なんですよ? お酒を飲んだって雨に濡れたっていいんです。全部自由。そしてもちろん、恋することだって……ね?」


 人差し指を唇に当てると、秘密めいた笑みを浮かべた。


「ねえ、プロデューサーさん。わたしね? ホントはずっと、プロデューサーさんのこと好きだったんですよ?」


 


 次の瞬間、辺りは閃光に包まれた。

 ドドオーンと凄まじい音がして、地面が震えた。


 近くに立っていたモミの木に雷が直撃したのだ。

 モミの木はメリメリと縦に裂け、その半分がこちらに落ちて来た。


「──!」


 何かを叫びながら、俺は走った。

 レンを抱えて、少しでも遠くへ。

 俺はともかく、レンだけは守れるようにって。

 強く強く、祈りながら──




 やがて聞こえてきたのは、悲鳴ではなく苦痛の声でもなく、お坊さんの読経でもなかった。

 ミンミンうるさい、セミの声だった。


「会長、会長」 


 若い男の声がした。


 机から顔を上げると、そこにいたのは見覚えのある男子生徒だ。

 野性味のある茶髪のウルフカットの……軽音部の黒田君。

 中学3年間、俺とは座席が前と後ろの不思議な縁で……。 


「え、なんでいるの?」


「なんでとかひどいなっ。つか寝ぼけすぎでしょ。何? 昨夜も遅くまで勉強してたの? さすがはスーパー生徒会長、努力は決して怠りませんって?」


「ええと……いや、その……」


 口をついて出た自分の声があまりにも若いことに戸惑っていると……。


「でもそのせいで授業中に寝ちゃったんじゃ、ダメだわなー」


 黒田君のツッコミにみんなが──同級生たちが笑い声を上げた。


「え……と」


 辺りを見回して驚いた。


 半袖の白シャツを着た生徒たちの目が、俺に集中している。

 黒板の前には濃紺のパンツスーツ姿も凛々しい桜子先生がいて、鋭い眼光をこちらに向けてくる。


 黒板の日付は10年前の7月8日……これはまさか……。


「黒田君、ちょっと頼みがあるんだけど」 


 黒田君に借りたコンパクトミラーに映ったのは……間違いない。

 目つきの悪さこそ変わらないものの、ツヤがあって若々しい、10代前半の自分の顔だ。


 ってことは──


「レン!」


 状況を把握した瞬間、たまらず飛び出した。

 桜子先生の制止の声を振り切って、教室の外へ。


「レン!」


 リノリウム張りの廊下を、全力で走った。


 行き先はわかってる。

 最後の曲の、歌詞の通りだ。


 遥か遠い夏の日──

 一階の端の教室の、一番後ろの窓際で──

 ずっとずっと、空を眺めてた──


 白い雲に重ねてたのは──

 ステージの上で光り輝く、太陽みたいな女の子──

 もっとずっと、未来の自分──


 あれはレンが作詞したんだ。

 モチーフは、中学の頃の冴えない自分。

 

「レン!」


 もしこの状況が、レンが言った通りのものならば。 

 もう一度・ ・ ・ ・が、許されるとするならば……。


「レン!」

「プロデューサーさん!」


 角を曲がった直後に鉢合わせた。

 俺より頭一つ分身長の低い女の子。


「やっば……!」

「……わぷっ!?」


 まったく予想していないことで、避けようがなかった。

 俺はやむなく、抱きかかえるようにして女の子を受け止めた。

 衝突の勢いを殺すため、その場に尻もちを着くように腰を落とした。


「だ……大丈夫か?」

「……プロデューサーさん?」


 俺の腕の中で、女の子がおそるおそるといった風に顔を上げた。


「プロデューサーさん……ですよね?」

「ああ……おまえは……レンだよな?」


 身長は低く、顔つきだって幼い──でも間違いない、レンだ。

 レンが、生きてる。


「はい……っ、はい……っ」


 レンは何度もうなずいた。


「レンですっ、わたし……レンですっ」


 目に涙を浮かべ、喜びを露わにしている。


「……よかった、無事みたいだな」


 俺はほっと、安堵の息を吐いた。


「まあ正確には、無事じゃないからこうなったんだろうが……」


 未来の俺たちの体ほうはどうなっているのだろう。

 あのまま倒木に打たれ、凄惨なことになっているのだろうか。

 それとも過剰な電流を浴びて……。


「……まあ、いいか」


 ふたり、こうして生きているのは事実だ。

 肉体は違えど魂は同じで、つまり生命活動としては有り・ ・だ。


「ねえ、プロデューサーさん……」


 レンが心細げな声を出した。


「これからわたしたち、どうすればいいんでしょうか?」


 きゅっと俺のシャツの裾を握り、すがるような目で見つめてくる。


「大丈夫だ。俺に任せろ」


 レンの頭を撫でると、俺は口の端を上げて笑いかけた。


「俺はおまえのプロデューサーだぞ? 万事滞りなく取り計らってやる。だから大船に乗ったつもりでついて来い」


「……はいっ、プロデューサーさんっ」


 するとレンは、満面に笑みを浮かべて笑った。


「これからもよろしくお願いしますっ」


 その時俺の心の中にあったのは、ある種の満足感だ。

 再びレンと歩いて行けることが嬉しかった。

 嬉しかったから、忘れてたんだ。

 自分がレンに愛の告白を受けていたことを。


 卒業するまで恋愛禁止。

 アイドルの抱える絶対的なルールに違反してしまったことを。

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