彼がバイトを辞めたくだらない理由

無月兄

第1話

 これは、かつて筆者が職場の先輩から聞いた実話です。





 先輩の友人に、伊藤いとうさんと言う方がいました。彼はいくつかのバイトを掛け持ちして生計を立てていたのですが、どこに行ってもそれほど長続きしませんでした。

 先輩が言うには、理由は彼の性格にあったと言います。ヤンチャと言うか、短気と言うか、とにかくすぐカッとなって、ちょっとした揉め事を起こしては辞める言うのがパターンのようになっていました。


 そんなわけでいくつものバイトを転々としていた伊藤さんですが、また新しいバイトを始めました。今度の働き先は、有名な大手コンビニでした。実名をあげると、ローソンです。





「俺が、お前の教育を担当する事になった大久保おおくぼだ」

「はい、よろしくお願いします」


 伊藤さんも、何も今まで好きで揉め事を起こしてきたわけではありません。今度こそ長続きさせよう。そんな思いで、先輩である大久保さんへの挨拶はしっかりと済ませます。

 大久保さんは伊藤さんより少し年下でしたが、それでもここでは先輩です。礼儀はしっかりしなければいけません。


「よろしくな、伊藤」

「はい、大久保さん」


 例え年下に呼び捨てにされたとしても、先輩なのですから気にしてはいけません。


「これから色々教えていくが、その前にいくつか覚えておかなきゃいけないルールがある」

「ルールですか?」


 そうして教えられたのは、勤務態度やお客様への接し方など、社会人としては実に基本的な事でした。ただその中に、一つこんなものがありました。


「それと、商品名は全部フルネームで言う事。例えばそうだな……」


 大久保さんはそう言うと、レジ横にある総菜コーナーを指さしました。


「あの肉まんは、『ジューシー肉まん』その隣にある唐揚げは『からあげクン』だ。些細な事だが、間違えないようにしっかりと頼むぞ。もちろん、俺は常にそうしている」

「はい、分かりました」


 こうして、伊藤さんのコンビニバイトが始まったのです。





「伊藤、商品の補充頼むぞ」

「はい!」


「床の清掃、いつまでも時間をかけるなよ」

「はい!」


 大久保さんの指示に一つ一つ返事をしては、それをこなしていく伊藤さん。しかしこれがなかなかに大変です。コンビニと言えばバイトの定番と言うイメージがありますが、だからと言って決して楽にできるわけでは無いのです。

 ついでに言うとこの大久保さん、少々言い方が厳しい方のようで、伊藤さんは何かキツイ事を言われる度に、少々イラっと来ることもあったそうです。

 もっとも、気性が荒いのは伊藤さんだって同じですし、何よりせっかく始めたバイト。また揉め事を起こして早々に辞めるのは避けたかったです。


 そんなある日の事でした。


「今日からレジ打ちやってみるか?」

「はい、分かりました」


 と言うわけて、伊藤さんレジ打ち初体験です。出された商品のバーコードを読み取り、会計を済ませます。

 ただこのレジ打ち業務。一見シンプルですが、これもまた決して簡単なわけではありません。上手い人慣れてない人だと、その作業スピードにハッキリした違いがあります。

 今日から始めたばかりの伊藤さん、もちろん素早くできるはずもなく、さらに間の悪い事に、たまたまお客さんが一気に押し寄せてきて、レジの前には列ができていました。


「もういい、俺と代われ。お前は総菜の取り出しや温めを頼む」

「……分かりました」


 せっかく始めたレジ打ちがこんな風に終わってしまい、不満げな伊藤さん。とは言えここで怒りだすわけにはいきません。渋々ながら、大久保さんの言う通り脇に回りました。


 大久保さんはベテランだけあって、レジ打ちもお客様の対応もさすがの速さです。それを見て、伊藤さんはまるで自分との差を見せつけられているようで、さらにいら立ちが募ったと言います。


 そして、大久保さんが一人のお客さんと向き合っている時でした。


「あと、そこの唐揚げ一つください」

「かしこまりました」


 大久保さんはお客様に返事をすると、総菜の取り出しをやっていた伊藤さんに向かって言いました。


「伊藤、からあげクン一つ出してくれ」

「…………」

「どうした伊藤?早くからあげクン出してくれ」


 その言葉に、伊藤さんはすぐには何も答えませんでした。

 元々苛立ちが募っていた伊藤さん。とうとうその一言で、彼の我慢の限界を超えてしまったようです。

 伊藤さんは、突如怒り出すと大久保さんに向かって叫びました。



「お前、俺は『伊藤』って呼び捨てにするくせに、唐揚げには『クン』付けってどういう事だーっ!」



 それからはもう大喧嘩。こうしてまた揉め事を起こした伊藤さんは、結局そのバイトを止めてしまったそうです。




 もう一度言います。これは、自分が職場の先輩から聞いた実話です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼がバイトを辞めたくだらない理由 無月兄 @tukuyomimutuki

★で称える ヘルプ

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ